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25日 09:51 東 25日 16:21 東北自動車道下り加須IC付近にて撮影。 -22:22- 一昨日23日更新後から現在までの国内有感地震は *24日00:54 山梨県中・西部 深さ約20km M2.5 *24日01:08 茨城県南部 深さ約70km M3.7 *24日03:35 伊豆半島東方沖 深さはごく浅い M4.0 最大震度3 *24日17:57 新潟県中越地方 深さ約10km M2.4 *25日14:28 新潟県中越地方 深さ約10km M2.8 *25日15:39 日向灘 深さ約20km M4.2 今日朝から感じたサインで気になったものは、右手首(九州もしくは遠方)、はっきりとした右中指(関東)、右薬指(東北)、左人差し指(中部。北陸など日本海側も含む。)でした。 慌しかったので、音のほうは聞いている時間がありませんでした。 今日は仕事の関係もあって午後から宇都宮のほうにきていますが、途中東北自動車道でたまたま入った「都賀西方PA」で「西方山古墳の石室のうちの一つ」がPA内に移築されているのを見つけ、写真におさめました。 案内板には「西方山古墳の石室保存について」ということで、このように書かれてありました。 『本古墳は東北自動車建設に伴い、下り線パーキングエリア後方の西方山を土取山に選定し調査した結果、この山に西方山古墳群が存在していることが判明し、栃木県教育委員会の協力により西方山古墳群のうち弟四号墳を移築したものであります。 古墳は7世紀(約1300年前)頃の豪族の墓で、直径約18メートル、高さ3.4メートルの古墳であり、石室は栃木県地方が7世紀頃の古墳にみられる典型的なもので、横穴式石室と呼ばれ、左右の壁は主に川原石を用いた小口積みという積み方であって、天井に近くなるにしたがって少しずつ内側にせり出していきます。 天井は5枚の大きな石を横にして置き、その上は白色粘土で覆われていました。 内部からは金メッキをした耳飾り、鉄製のやじり、刀等が出土しました。 なお、この古墳の形状、大きさは移築前のものよりも縮小されております。 昭和47年11月 日本道路公団』 思いがけないものを見ることができたのは嬉しかったのですが、古墳が移築された場所はPAの外れのほうのトイレの近くで、皆トイレまでは行くけれど、そこから先にあるこの古墳のそばを通る人は少ないように思えました。 たまたま車がいっぱいで駐車するところがなく、PAの奥の外れのほうに車を止めたので見つけることができましたが、あまり人目につかないようで少し残念に思いました。 -26日01:09- その後の国内有感地震は *25日23:07 岩手県沖 深さ約50km M4.0 *25日23:08 大分県中部 深さは約10km M2.8 *25日23:27 大分県中部 深さは約10km M2.3 *25日23:52 大分県中部 深さは約10km M2.9 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006/11/26 01:39:10 AM
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