人生って、なんなんだろう???...パート1
私にとっての人生とは、有意義な友人関係と無難な隣人関係を維持し、趣味と遊びこそが人生そのものであり、仕事はそれ等を維持する為だけにあり、家庭的幸せとか子孫繁栄の夢は、30年前に綺麗に捨て去ったつもりでしたが。それでも尚、65歳になってしみじみ思う事あり、人生って?、幸せとか充実感って、どういう事なのだろうか???この疑問については、私は思春期の中学生時代に芽生えた疑問でして、青年期の一時、私には最大の過酷な事情により、ふっと忘れた時期がありましたが、この疑問は、私にとっては思春期の時代よりずっと引きずってきた難問であり、未だに悟り(あきらめとも言う)の心境には至れません。この分析に関しては、次回にじっくりと書き込むこととして、今の私に現実的に降りかかっている難題があります。多分、読者の皆さんから見れば、たわいない問題と笑われるでしょう小学/中学/高校と、長とかがつく役が大嫌いで、絶対拒否で 逃げ回って凌いできた我が人生でしたが、昨年度に巡ってきた、隣組順送りと決まっている副組長番だけは逃げるわけにはいかなく、今年の組長番を無難にやり切れれば次回の組役は26年後となり、私はハスの花園に囲まれた、幸せいっぱいの黄泉の国へ旅立っていると考えられ、万が一生存できていたとしても断れることは確実でしょう。しかし、なんと!!!、8月の役員会に於いて町内会長より、来年度の町内会副会長選出番が私の組番だと言う事を告げられ、しばし唖然なり、そして沈黙絶望。その後に、私の隣の副組長と相談をして、次年度の町内会副会長選出をどうすべきか???、年明けの新年会までには、確実な内定を取って、新年会にて組員の了承を得ておかなければなりません。私と副組長で、目星をつけていた的確人材はいるのですが、うわさを聞きつけた段階で、当事者は固辞しているとの、これまた最悪の噂...。年内に一発で決められなかった場合、組内の誰が町内会副役を引き受けていただけるのかは、今のところ全く未定....いやはや、何ともです。この、組順送りの町内会長番が回ってくることを事前に知っていれば、私は昨年度の副組長番の時に、間違いなく町内会の離脱を考えたと思いますね。その理由としては、町内会と隣組の機能と存在価値は何か?、と思考した時、私の町内に照らした場合、町内会に属している場合と孤立の場合での差は、価値観の差を無視すれば、煩わしい事に関わらずに済み、属していない方に分が多いとなっしまう。現実として、私の町内会に於いては全世帯の3分の一弱の加入数であることから明らかです。現実的に、町内会と隣組のなしている役割の筆頭は、公民館内と境内の毎月の清掃、古くからのしきたりの豊作祭りの継続が主であり、後は回覧板の順送り位のもので、市と町内行事に好んで参加する人たちは回覧板がなくとも予定は把握している訳ですから。毎年恒例の新年会と夏祭り、3月の総会に参加する人も、町内世帯全員の人数に照らすと、ごくわずかの人数が現実。これ等を考察すると、町内会費は月1000円程度であるから、金銭のこだわりはないと考えられるが、町内会と隣組に属しているためには、順送りとは言え、あらゆる意味で時間的拘束を受けいれなければるならない事となる。これは現実的には月に1回から多くて3回程度とは言え、時間の束縛を受けますから、束縛が嫌いな私には大きな苦痛が伴ってきます。いやはや、今年度で役から逃げられると楽観していた私にとっては、町内会副会長選出番が私の組内に回ってきた事には、我が人生に於いて数回目の大災難で、大きく泣き!です。私は神仏は信じずで唯我独尊ですから、占いとか厄年とかの類のetc.には全く無頓着ですが、今回だけは最近では最悪の厄年に当たってしまったと、嘆き節しきり。年明けの新年会までに、町内会副会長が決定できなかった場合は、私はその全責任を取り、町内会脱退を申し出ようかと、まことしやかな自分に都合の良い事を考える始末。これって、責任の取り方ではないと言うご意見ごもっとも、しかし...これしか逃避する方法はなしかなと。苦くて美味しくない晩酌中の為、後日編集削除大いにありで~す(ペコリ)