本日のタイトルは当然私の事を表していますが、射撃場にての仲間との雑談で、全く当たらなくなってしまった...、練習量を増やしても成果が付いてこない...、歳のせいもあり眼力の衰え等、身体能力がついていかなくなった...etc、と言い訳はしていますが、私が聞いていての分析として、実際の本音は、同年代若しくは年上にも敵わずですから、本人は自覚していると思われ、なぜ?、こうなってしまったのかと言う、結構深刻なクレー射撃の深い闇に落ちていると感じました...。 私は、ああ、毎度聞かされている言い訳だなと、しかし、これ等の言い訳に反論したくとも、私自身が、現実的にそれに当てはまっていて抜けられないでいますから、反論など出来るはずがなくです。 しかし、以前は私より上のスコアーを撃っていた射撃マンが、知らず知らずの内に、弾数と大会参加を重ねるごとに、クレー射撃のブラックホールに落ち込んでいってしまう。 クレー射撃が好きで、不甲斐なさへの悔しさもあり、今更やめることは出来ない、しかし、どうしたら良いのかの先が見えない...、この状態に陥った時が最悪で、ここに陥ると多くの射撃マンがクレー射撃から遠ざかっていきます。 私が、クレー射撃に復活した10年前からでも、良く行き会っていた、射撃場に来なくなった射撃マンが数多くいます。 スポーツも芸事も学生時代の勉強も皆同じで、素質がある人と同じことをやっていては適うはずがなしで、そこに気付けば、おのずと、今の自分がどの位置にいて、好きな事を楽しく長く続ける為に、少しでも上達するには何が不足しているのか、それを補うにはどうすべきかが、おぼろげに見えてくる。 私も、若い頃は焦りが多く働き、もがき苦しむのみで、この心境には至れませんでしたが、69歳となった今を遡る6年前の63歳前後の時、このまま単純な練習でクレー射撃をしていても、私の素質では息詰まり再び挫折する事間違いなしと気づき、このまま進歩せずとも我が道を行くに徹底し、友人等の教えはあくまで参考として、自分が納得できる射法への射撃練習に徹する事にしました。 このような、過去の経験から自分の考えに基づき、人の目は気にせず我が道を行く、一年間練習しても牛歩より進歩なしのミミズの歩足ですが、それでも、一途に同じ事を繰り返して練習する事の意味はありで、僅かながらでも手ごたえを感じる時もあり、この時の我がイメージに決まった射撃感触がまた楽しくです。 自分の不甲斐なさと素質の無さを認める事で、短期間結果は到底無理と初めて謙虚になれ、好きなことに再び挑戦する意欲が沸いてくるのでは。 挫折して平凡退屈な酔いどれ人生を送るか、どこまで行けるか苦痛に耐えてでも、時間と経済の許す範囲でチャレンジするか、どっちを選んでも老後人生はどっちみち残り僅かなり。(^^) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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