久しぶりに成田射場へ、ついでに過労死問題にも大いに異議あり!、
今月は事業所の引っ越しと本業業務も多少あり、そこそこに多忙が続きました。そして本日の土曜日はキッパリ息抜きの休みと決めて、Am11:30に自宅を出て成田射場へ向かいます。成田射場につくと、すでに射撃仲間が数人来ていて、私も一ラウンドを撃ち、仲間と昼食をとります。そして午後よりの射撃を始めると、愛しのY子ちゃん含む、親しい射撃仲間が続々と集まってきました。空いた時間の暇つぶしとしての、成田射場の最大の利点がここにあるのですね。親しい射撃仲間と一緒にたわいのない雑談と射撃談義をしての楽しいひと時です。しかし、その後に多少の緊張が走ります。私と同じグループで公式セットクレーを撃っていた一人の射手が、後方の待合で談笑している声にクレームをつけ睨みつけていますが、後方の談笑している射手は気づかずで、射撃がストップしてしまいます。射撃場の顔なじみのプーラーが私を見て困った顔で、後方の私の仲間に注意してくれと嘆願しています。私は仕方なく、後方で雑談している射友に、指を口に当て、し-っと合図すると、射友はしばし怪訝な顔をして、私が後方にいる仲間に向かって、私の顔に指を2本立てて、鬼の角の例えをすると要約理解できたようで雑談は収まり事なきを得ました。これらの経験は過去に幾度もあり、事をまとめ損じると感情的になっていき、重大な事態に陥ることになります。日本の銃規制は異常といえるほど厳しいですから、事態が収拾できずにもめた場合は警察の介入となり、銃所持剥奪等の厳しい処分がいとも簡単に下されてしまいます。今回、後方の雑談にクレームつけた射手は日本クレー射撃協会のトップシューターであり、練習とは言えど、いかに集中して射撃に打ち込んでいるかと言う事の見本であるといえますが、しかし、大会本番での事ならいざ知らず、今回はマイナー射手も多数参加している射場の練習射撃ですから。格の如きに、射撃/釣り/モータースポーツ/恋愛等(^^)、人生の全般に言えることとして、自身の散々たる挫折を味わい教訓として、他人の不幸をも考察し、人生の達人の領域が少なからずとも理解できてこないと、摩擦が生じた場合に柔軟に対処することが出来ず、大きな禍根を残す事となっていきます。「泣いた数だけ幸せに~♪」とは,己の人生おいての辛酸を舐めた経験の何たるかが理解できてこないと、他人への思いやりにもかけていき唯々唯我独尊になってしまい、己の知らず知らずの内に友達も去っていってしまう。孤高の人に徹して唯一人孤独の我が道を進むか、友と共に切磋琢磨して好敵手として向上心を持ち立ち向かうか。私はこの年になって要約のことに、射撃も釣りもモータースポーツも下手なギターも、友を好敵手として向上心を持って挑みたいという心境が理解できてきました。私の残り少ない老後人生ですが、この心境に至るまでに、どれほどの無駄な時間を費やした事か、己の素質のなさに気付くのが遅かったという事であり、そのことに謙虚に立ち向かうことが出来るようになって、初めて理解できたことであると思いました。己に謙虚になるという事は、己のふがいなさを認めることとなり、いかに難儀な事かとの結論に達するわけです。電通の東大卒業女子の過労による自殺が世間を騒がしていますが、私はこの女性の過労自殺問題の後遺症には大いに疑問符なのです。この女性が自殺した原因を考察すると、自殺とは己の意思で死を求めるという事であり、一般人から見たら大いに勇気がいる決断です。その自殺の理由は、電通の勤務状態に耐えられなくなったとの事で、普通人が考えるには、逃げる気さえあれば電通を退社すれば簡単に済むことで、死を選んだと言うことは彼女のプライドの葛藤の問題で、プライドに負けて自殺を選んだと考えられ、彼女自身の中では、これしかとる道はないとの自発的自殺行動であると思っていますから、己のプライドの苦しさから逃れるための致し方なしの結果ではと考えられます。嘆き苦しむ親御さんの気持ちも少しはわかりますが、それほど辛かったのであれば電通を退職すれば良かったわけで、自分の娘の精神的弱さを棚に上げての電通批判は本末転倒と言え、娘の死を受け入れ静かに供養すべきだったと私は思っています。このような理由で社会情勢の一般規範に制限が加えられたら、自由経済の基本である競争原理が破たんに陥り、日本が世界経済に立ち向かうことは出来なくなっていってしまう。優秀な人材とは、それらに立ち向かうことが出来る人材を指しているわけで、落ちこぼれていく軟弱な人材は適応無理としてしかるべきで、過労自殺問題を過剰に取り上げることには異議ありと感じています。