「アリアンス・フランセーズ」で上映のドキュメンタリー映画で「印象派絵画」を堪能。
昨日は待ちに待ったイギリス制作のドキュメンタリー映画「The Impressionists and the man who made them(勝手に印象派画家を世に知らしめた男と邦題を付けました)を見て来ました。 19世紀、未だ「印象派」の画家達が描く絵画の評価が定まらない中、いち早く画家達の才能に触発されたフランス人画商「ポール・デュラン=リュエル(1831-1922)」の半生を描いた映画です。 映画はピアノの音に合わせて「モネ」「ルノワール」「セザンヌ」などの有名絵画が大きなスクリーンに映し出されて始まりました。まるで拡大鏡で見るように絵の一部を見せてくれるシーンもありました。 こんな形で絵を見るのは初めてで、絵の具の凹凸やうねり、ぼかされた人物描写の謎めいた様子、そして一番驚いたのは美術館や画集でも多分見ることが出来ないのではと思う「瞳」に映る水面の輝きなど、正しく自然の光を取り入れた絵の中の詳細部分でした。背景の一つ一つの草木や人物の肌の色分けなど改めて印象派絵画の素晴らしさを感じました。「日のあたる女の上半身」 ルノワール 何回かこの絵がスクリーンに映し出され瞳に映る水面が何とも美しかったです。 何故イギリスがこのドキュメンタリー映画を作成したのか不思議でしたが、1870年-1871年の普仏戦争から避難するためにロンドンに渡ったポール・デュランが同じくパリからロンドンに逃れて来ていたモネやピサロらと会い彼らに触発されロンドンに設けた画廊で「フランス人画家協会展」を初めて開いたことに関係があるようです。 その後パリに戻り意欲的に印象派画家たちの絵の購入を続けます。「落選展」で酷評された「マネ」の絵を23枚立て続けに購入した様子は今でも語り草になっているようです。「あなたの絵をこれから描く絵も含めて全て買い取りたい」とマネのアトリエに足を運んだようです。 ポール・デュランのギャラリーで開く「印象派展」は徐々に評判をよんだようですが、未だ絵画の古い因習に縛られる人達に絵を売ることは簡単ではありませんでした。絵画の購入と販売の何冊にも及ぶ記録帖も公開され、何年間も売れないままだった絵もありました。 財政的危機にも陥っていた時、ニューヨークの「Fine Art Academy」から1885にポール・デュランに絵画展を開催しないかとお誘いがありました。翌年350点ほどの絵画と自ら作成した絵画展用のカタログを持参してアメリカに渡りました。そのカタログに自分の名前を入れなかったというところでグッときました。あくまでも主役は印象派画家と絵画というポール・デユランの思いが伝わります。 ニューヨークを皮切りに、アメリカ東海岸のボストンやフィラデルフィアを回り確実に手ごたえを掴んだようでした。「Little by little, price is up(少しずつ印象派の絵画は売れ、値を上げていった)」と字幕が流れました。 1886年のニューヨーク初の「印象派展」がどこで開催されたのか個人的には興味がありましたが、映画の中では場所については説明がなく、ただ3年後の1889年に私が勝手に期待していた「メトロポリタン美術館」で開催されたと説明がありました。 印象派画家達から絶大な信頼を得、絆を深めていたポール・デュランのルノワール作の「肖像画」が映画の最後の方で映し出されました。そして終生手元に置いていたルノワール作の「ダンス3部作」も3枚並んだ形で何回かスクリーンに映し出されました。 ポール・デュランの妻は20代の若さで4人の子供を残し亡くなっています。子供達を育てるために家計の安定を図りながらも評価の定まらない所謂ギャンブルのような絵画購入と2つの相反する面を持つ人物としても興味深いとコメンテーターの言葉もありました。 ただただ目先の損得は「2の次」にして自分の審美眼を信じ、己の心に正直に突き進み、最終的には世界中に印象派絵画のファンを生み出したポール・デュランの人生はまさしく圧巻でした。