1992年のイギリス映画「The Crying Game」の思い出などなど。
1990年代の「イギリス映画」と言ってすぐ思い浮かぶのは1996年公開の「Train Spotting(トレイン・スポッティング)」で主役を演じた「ユアン・マクレガー」のジーンズ姿のポスターからして衝撃的でした。このポスターに刺激を受けてしばらく履いていなかったジーンズを買いに行ったほどです。 トレイン・スポッティングが「鉄道マニア=オタク(この映画の中ではドラッグ中毒)」という意味だと映画を見た後に知って、うまいタイトルを付けるなぁと感心しました。スコットランドを舞台にドラッグ中毒の若者達をユーモアを交えて描き、また映像が当時としては斬新過ぎました。 その翌年の1997年に公開になった「The Full Monty(フル・モンティ)」は失業した6人のちょっと情けない「おやじたち」6人が男性版「ストリッパー」として成功する物語で、これは元気をもらいました。 当時ハリウッド映画に代表されるアメリカ映画に何となく物足りなさを感じて、映画通の友人から薦めてもらったイギリス映画に嵌っている時期がありました。 そして友人の一押しでビデオで見たのが1992年公開の「The Crying Game(クライング・ゲーム)」でした。舞台は20世紀初頭のアイルランドでイギリスからの独立をかけた戦いのため過激なIRA(独立軍)のシーンもあります。血を流しながら独立を勝ち取ろうという「政治」が根幹にある映画ですが、映画の根底にあるテーマは「人間の本能や性」です。 映画の中で有名な「サソリと蛙」の逸話が出てきて、このシーンは今でも私の中では一番印象的です。サソリが川を渡るために蛙に背中に乗せてくれと頼みます。蛙はサソリの説得に負けて乗せますが、サソリのどうしようもない「性」で結局蛙を刺し殺してしまいます。 4年ほど前に東京でワインバーを経営する同郷の知人から「いろいろ考えるところがあり、先日大昔に勧めてもらったクライング・ゲームをまた見てみました」とメールがきて本当に驚きました。勧めたことも全く覚えていませんでした。 そして今年、今度は彼のお店のニューズ・レターにこの映画の中の「人生の中で究極の場面に迫られた時、人はどちらかに進むしかない」という台詞が引用されていました。コロナ禍の中、究極の場面は山ほどあったのだと思います。 イギリス映画が良いなぁと思うのはアメリカ映画と違ってお金をかけていないと思わせるところ、緑の景色が日本と同じように美しいこと、ストーリ―重視の作品が多く深く心に残るところかなと思います。 その中でも私の一押しは2000年公開の「Billy Elliot(リトル・ダンサー)」で、少年がクラシックバレーに目覚め、当時イギリスの片田舎では「バレーは女がやるもの」と大反対をする昔気質の父親と徐々に親子の絆を築き、最後にはビリーが大きな夢を叶えるというストーリーです。「何故、夢を持ってはいけないんだ」勇気をもらえる一言です。