「ナポレオン1世」はイタリア人的気質? 塩田七生著「男の肖像」
今まであまりフランス皇帝となった「ナポレオン1世(1769-1821)」について興味を持たなかったのですが、今読んでいる塩田七生著「男の肖像」の1人にナポレオン1世が取り上げられていて、その生い立ちや人生を知ると何だか人間臭いナポレオン1世の姿が見えて来ます。 「アルコル橋上のナポレオン」1796年 ジャン=アントゥアン・グロ エルミタージュ美術館蔵 フランス革命(1789年)後の混乱を収拾しヨーロッパ大陸の大半を勢力下に収め、1804年に皇帝として即位する前にナポレオンが「英雄」としてパリに迎えられる初戦となった対オーストリア戦争でのシーンを描いた絵です。何だか劇画タッチで描かれています。 「書斎のナポレオン」 ダヴィッド 「ナポレオン2世」 左が「男の肖像」の中に使われている絵で「吾輩の辞書に不可能という文字は無い」という私のイメージ通りの肖像画です。右はネットの画像のナポレオン1世の嫡男「ナポレオン2世」の肖像画です。病弱で21歳で亡くなったようで、人生の儚さを彷彿させる肖像画です。男系が絶えたため「ナポレオン3世」として後を継いだのはナポレオン1世の甥で、彼が最後の皇帝となりました。 昨年読んだ原田マハ著の「たゆたえども沈まず」の中にナポレオン3世の従妹でパリで豪華なサロンを開く「マチルド・ボナパルト」が登場し、俄然ナポレオン3世に興味を持つようになりました。大河「青天を衝け」の中でもパリ万国を表敬訪問する徳川家一行を出迎えるホスト役として登場し、去年の日記にナポレオン3世のことを何回か書きました。 「男の肖像 ナポレオン」を読んで一番驚いたのはナポレオンがかつてはイタリア所領だったコルシカ島生まれだったということです。有名な話なのかもしれませんが私は知りませんでした。そしてコルシカ島はナポレオンが生まれる3ヵ月前にフランス領になっているので所謂国籍としてはナポレオンはフランス人ということになります。 塩野七生氏はナポレオンはイタリア人的かフランス人的か?と疑問を投げかけていて、氏の答えは「イタリア人」です。理由の1つは「戦争の仕方」で、もう1つは「家族博愛主義」を挙げています。彼を除いて兄弟4人、妹3人の落ち着き先を見事に実行しています(長兄はスペイン王、妹の1人はトスカーナ大公夫人、弟の一人をオランダ王に等など) そしてオランダ王にした弟の妻にはナポレオンの先妻「ジョセフィーヌ」の娘を選び、嫡男がナポレオン3世(1808-1873)として即位するという徹底ぶりです。 イタリア語に「システマーレ」という言葉があって「就職先を見つけるとか結婚相手を探すための片付け」という文化・習慣がイタリアでは定着しているようです。 何となく平安時代の家族思いであった「平清盛」を思い出したりしますが、やはり長くは続かず「奢れる者は~」になってしまうのかとしみじみ思います。