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昨日、番組欄をみて目が釘付けになってしまった。
夕方のテレビ朝日の「スーパーJチャンネル」 スーパーJチャンネル長崎 余命2ヶ月と宣告された小児がんの少年と家族・・・ 実家に電話をかけたすぐ後、そのコーナーが始まりました。 去年の4月に余命二ヶ月と宣告された「かずくん」とその家族の記録です。 かずくんは「横紋肉腫」を2歳で発症。 4歳と6歳で再発・・・・ おかあさんは、かずくんの前では絶対泣かない!!と決めていたそうです。 ああ、わかるなあ。わかるなあ・・・って思ってた。 5月には運動会。 かずくんは玉入れや、ダンスをみんなと楽しく出来ました。 ご両親は「この元気がずーーーっと続くといいのに・・」と 願っていました。 わたしも、YUTAが外泊のとき近所のおともだちとかけっこを している姿を見てそう思っていました。 しかし、その願いは届きませんでした。 数値の悪化が顕著になってきたからです。 おかあさんは 「覚悟なんていつになったって出来るはずないですよね」と言った。 同じこと思ってたし、言った。 病院のクリスマス会。かずくんは個室にいました。 もう歩けなくなっていました。でも、おしゃべりは大好きでいつもおかあさんと おしゃべりしています。 YUTAもクリスマスの頃には歩くことは出来ませんでした。 でも、年が明けて最後の外泊のとき、麻酔の影響で興奮してわたしのももの上に ずーーーっと踏ん張って立ちました。すごい力でした。 かずくんは、サンタさん(先生)から欲しかったプレゼントをもらい とても喜びました。 その数日後かずくんは様態が急変しました。 呼吸が困難になっていたのです。 呼吸器をつけるかどうか・・・でも、呼吸器をつけたらかずくんはお話を することができなくなってしまいます。 YUTAも年明けに先生から「遅かれ早かれ呼吸器をつけるときがくるかもしれない」と 言われていました。 でもYUTAは最後まで自分の力で生きたんです。 かずくんは、おかあさんが「愛してるよ」と話しかけると「オレも・・・」と 答えました。 そして意識が朦朧としている中、かずくんは腕を差し出すのです。 おかあさんは「採血はもうしないんだよ、もういいんだよ・・・・」と 何度も何度も言いました。 YUTAもお薬やチックンが大嫌いでした(まあ、当たり前ですが) それなのに、お口の中まで腫れてしまい「いたい、いたい」と訴えたとき がありました。 「もう、治んないんだよ!!!」とYUTAは言いました。 YUTAの前では泣かない!と思っていたわたしもこのときは 泣きながら「そんなことないよ!先生がお薬してくれたら治るよ!!」と YUTAに話しました。 先生に痛み止め(モルヒネ)のフラッシュ(注射で数回入れること)を してもらい、少し経つと 「先生、ありがとう!!YUTAくん痛いの治ったよ!!」と とても喜んだんです。 あんなに薬や注射が嫌いなのに、それを喜ぶなんて・・・・ よっぽど痛みが辛かったんだね。。。 先生も「YUTA君にはじめて喜んでもらった!!」とスタッフの方に お話していたそうです。 そしてかずくんの最期の時が訪れました。 主治医の先生が心臓マッサージをします。 YUTAも元主治医の先生と、もう一人の先生にマッサージをしてもらいました。 かずくんとYUTAの姿がだぶって、だぶって・・・・ それでもそれをYUTAだと思っていたんでしょうね。 最期まで見てしまいました。 かずくんは最期のときはお父さん、お母さんにだっこされて、旅立って逝きました。 かずくんが荼毘に付された夜に、お母さんは陣痛が来て かずくんが旅立った同じ病院で赤ちゃんを出産しました。 かずくんは4月に「おかあさん、赤ちゃんが欲しい。女の子だったら「はなちゃん」」と 言っていたそうです。 赤ちゃんを抱っこしたおかあさん。 「できるなら、かずくんに帰ってきて欲しい。でもそれは無理だからいつも私たちを 見守っていて欲しい」と話されていました。 本当に、その気持ちです。 いつになってもYUTAに会いたい、だっこしたい、すりすりしたい、 「おかあさん」って言われたいよ!! なんで、そんな当たり前のことが出来ないんだろうね・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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