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テーマ:ミニマリスト(695)
カテゴリ:幸せになる「勇気」
みなさま こんにちは。 すずひです。
まもなく6月も終わろうとしていていますね。 2023年の上半期が、もう終わろうとしているのですね。 「お盆の帰省がつらい人」「実家が憂鬱な人」にとってのお盆って。 8月に入ってから、さて、というのではなく・・・ もう、このくらいの時期から「憂鬱」が始まるのだと思います。 いや、もっと前・・・? GWすぎた途端からしてそうなのかもしれません。 GWが済んだら、お盆が憂鬱で、 お盆が過ぎれば、今度はお正月が憂鬱で、 お正月を乗り越えたなら春休みが憂鬱で、 春休みが過ぎたなら またすぐにGW・・・ ツラい人にとっての「帰省」って、 GW・お盆・お正月 の「その日」や「その時」だけがしんどいのではないのですよね。 実際にはそのうんと前から身構えているし、 その後もすぐには回復できず、しばらく心がしんどいままで。 それらのはざまにも 「母の日」「父の日」「敬老の日」「お中元」「お歳暮」・・・ その他「誕生日」「孫イベント各種」等もこなしてゆくとなれば・・・ その全てが「両家とも」だったりすれば・・・ 孫も複数だったりすれば・・・ もうね、一年中、ずっと。 ずっと ずっと ずっと しんどいのです。 休む間のない「しんどい絆」なのです。 そういうこと全般にわたっての計画や打ち合わせや手配って、 多くの場合「奥さん」や「妻」に任せられていて、 楽しければ問題ないのでございましょうが、 そうではない場合の逃げ場のなさ、 頼る人のいなさ、 理解してくれる人のいないツラさって・・・想像を絶する。 何がツラいの? とか、 じゃあ帰らなきゃいいじゃん、なんて、お願いだから、簡単に言わないで。 言わないであげて。 ********************************* ツラいのは「その日」や「その時」だけじゃない。 それらの計画や、事前の打ち合わせや、 その後のお礼や画像のやりとり、 メールやラインの文言を考える時間、そして「電話」。 実家がしんどい人にとっての、しんどい連絡ツールの無双って、 やっぱり「電話」なんじゃないかな。 電話、怖い。 電話なんて出なきゃいいじゃんよ。 怖いのに、嫌なのに、なぜその電話に出てしまうの? という疑問が、ここで残りますでしょうか。 その電話に出なかったり、無視・放置してしまうと、どうなるか。 後からもっと面倒なことや、 ややこしいことになるのがわかっているので、 目のまえのことを全く楽しめなくなってしまうのです。 そんな気持ちに囚われたままで自分の時間を台無しにするくらいなら いっそ電話に出てしまって、 その「苦痛」を受け入れたほうがかえって楽、マシ、という・・・・ (これは、そういうご経験のあるひと共通の感覚だと思います) 「怖い」というのは、ね。 ただ気が弱かったり漠然と怖いのではなく、 これまでの人生経験や、 とくに「その人との関係性」において長年培ってきたセンサーが 正常な拒否反応を示し、 自らに危険を知らせてくれている状態、なのでありましょう。 その上でさえも出たほうが「楽」と判断するのだから、 まったく楽じゃないことを楽だと思おうとしているその「歪み」こそが 本人の心を苦しめ、疲弊させ、 そのたび傷つき、そんなことを思う自分を責め、 追い詰めるのだと思います。 電話なんて出なきゃいいじゃん、なんて、だから言わないで。 お願いだから、簡単に言わないで。 お願いだから、言わないであげて。 どうにもできないそのつらさを、ただ、そのまま「つらいね・・・」と。 どうか、そのまま、わかってあげて。 気持ちに寄り添ってあげて。 どうすればいいか、一緒に考えてあげて。 たとえ答えが出なくても。 わたくしと母との関係崩壊・断絶が決定的になったのも、結局は。 放置されたせいでキレた母からの「電話」でしたからね。 電話は、出ても苦痛ですけれど、 出なきゃ出ないでも、放置しても、 結局はそういうことになってしまう、 とても一方的で乱暴なツールなのです。 電話なんて、嫌い。 大嫌いだ。 他人の人生や時間や心をなんとも思ってない「暴力」だ。 この世からなくなってしまえばいい。 スマホやパソコンのない昔は必要だったと思うし、 「良い電話」や「嬉しい電話」があるのだとしても、 今は「そうじゃないほうの電話」が集中を遮ったり、仕事を邪魔したり、 人の心や人生に与えるダメージのほうが よほど取り返しがつかないし、よほど深刻なのだから。 今年の曲げわっぱは、このクロスで。ネイビーもいいけれど、茶色もなかなかいいでしょう? お盆の憂鬱も、お正月の憂鬱も、その他の憂鬱も。 何か用事で呼ばれたり、そして「電話」の恐怖も。 わたくしにはもう「ない」なんて、まだ、実感が湧かないな。 わたくしね、もう何年も前からね、 自分がいつまで頑張れるのか、 いつまで我慢できるかの自信を失いつつあったので、 高齢の母と会う時にはいつも 「今日が最後かもしれない」 「もしもこれが最後だったとしても決して後悔のないように」 という、どこか崖っぷちのような切迫した思いが常にあり、 一緒にいるあいだは、 だからとにかく「穏やかな空気感の中で楽しい時間を過ごす」ことに尽力し、 笑顔で、目を見て、手を握って「今日はありがとうね。またね。」という・・・ その日、たとえどんなことがあろうとも、 何を言われようとも、 大人の作法として、別れ際のそれを、貫いた。 今年のお正月、最後にあった日も、そうだった。 母の手を両手で握って「ありがとう」「元気でいてね」と、 せいいっぱいの笑顔で別れたの。 ちゃんと、それが、できたの。 おとーさんと息子が証人だ。 それが、わたくしにとって、唯一の救い。 母の新しい暮らしが、どうか幸せでありますように。 おわり ↓ 今日もお読みくださって、ありがとうございます。 にほんブログ村 あなたさまにとって、穏やかな、よき1日となりますように・・・ たくさんのフォロー、いつもわたくしの励みになっています : お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.07.04 11:00:06
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