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テーマ:暮らしを楽しむ(388268)
カテゴリ:幸せになる「勇気」
みなさま こんにちは。 すずひです。
突然ですが。 本音を話せるおともだちって、いますか? 本当に本当の、本当の「本音」ですよ? なんか、本音とは言いつつも幾許かの虚飾が含まれたり、 自分を実際よりも「ちょっといいもの」に見せたい心理が働いたり、 何となく平等ではなかったり、 どこか張り合っていたり、馬鹿にされたくなかったり、 その人の前での一定のイメージを保とうとしたり・・・ 生きてたら、大人なら、まあ、そういうベースのお付き合いがほとんどで、 それでも仲良しでいられたり、 そうであるからこそ仲良くいられたりする関係性も、 もちろんあると思うのですが、 そういうことに疲れ果てると、無性に会いたくなる人が、わたくしにはいます。 Eちゃんです。 この「とげとげ」のお名前は・・・なんていうのかしら。 Google先生。 ****************************** 自分らしくいたい。 誰かに本音を聞いてもらいたい。 こういうことが起こってね、こう感じたんだよ、というそのままの感情を、 恐れず、そのまま話したい。 それとはかけ離れた時間を強要された後などは、とくに。 Eちゃんと会いたい!! ってなる。 たとえ会えても、けれど時間が限られていたりすると、 足りない! Eちゃんが足りない!!! という、欠乏症状が残ることもあります(笑) 本音が言えないのって、とても苦しいことですね。 ちなみに、 わたくしがこの世で一番本音を言えなかったのは、母だったです。 言ってみたこともありますが、ことごとく否定されて終わるだけなので、 弱音を吐くと叱られ、辛いと言えばせせら笑われ、 相談ごとをしても、まずはわたくしへの否定から始まり、 昔の自分の苦労話か愚痴(か悦に入った自慢話)を延々聞かされることになるので、 そして、そもそも人の話を全く聞いていないので ← ここ どこかの時点で、もう、諦めました(笑) 風の花「エリンジューム」ですって ( ´▽`) 美しいお名前ですね! 母と一緒だと、 「母が満足するような偽りの自分」で常にいなければならなくて、 少しでも本音を出すとうまくゆかなくて、 偽ってると、全てうまくゆく。 そういう歪んだ関係でした。 職人技のように平気でそれをできていたわたくしが、 もう嫌だ、もう我慢できない、と、なぜあの時感じたのかは・・・ 今もまだ、よくわからないのです。 偽ってる状態を保つのが、困難になった。 若い頃や、30代、40代半ばまでは、 1日とか半日一緒にいることもできたのに、 近年では、母と過ごすのは「2時間半」が、わたくしの限界でした。 母には「足らない!」だったかもしれませんが、 わたくしには、もうそれが限界で・・・ 精一杯だった。 歳をとったこともあるのかもしれません。 偽りの自分でいようとする時間が長いと、 自分らしさや自分という存在がわからなくなって、 とてもしんどい。 偽るのは、疲れるのです。 ものすごく気力・体力を消耗しますから、 そういう無理がきかなくなった、ということなのでしょう。 昔は おとーさんにも、なかなか本音が言えなかった。 今は、ずいぶんと堂々言えるようになりました。 おとーさんは嫌かもしれませんが(笑) とはいえね、日々の暮らしの中でね、 全て本音で生きることなんて不可能で・・・ 「ああ〜 なんか偽っちゃったよな〜」ってことは きっと、どなたさまにもあるのだと思います。 そういうことが、ある一定のところまで溜まってしまうと、 わたくしは、まず、ものすごく「ひとり」になりたくなる。 そして、少し落ち着くと、Eちゃんに会いたくなる。 Eちゃんと会えることは、 楽しい!というよりも、嬉しい!というよりも とても「安心」するのです。 わたくしはわたくしのままでいい、と、 何者にもならなくていい、と、心から安心できるのです。 いいでしょう? これって、すごいことでしょう? 何でしょうね、このあたたかい気持ち、って ( ´▽`) そんなEちゃんも、 旦那さんや娘さんには小言を言わずにいられない自分のことを悩んでたりして、 わたくしにはあんなに優しいのに、 無条件に優しいのに、とても不思議です。 きっとそれが「人間」なのだ。 そんなところも愛おしいさ。 彼女と月1・月2、しょっちゅう会わなきゃいられなかったころは、 楽しいから! おしゃべりしたいし!ランチしたいから!って思い込んでいたけれど、 おそらくわたくしは「不安」だったのだと思います。 いつも心に不安がいっぱいあって、 本当は打ち明けたい本音があって、 あちらこちらで自分を偽っては、そんな自分に、疲れ果てていた。 今、そんなに頻繁に会わなくてもいられるようになれたのは。 わたくしの状態が、その逆になりつつある、ということなのでしょう。 ちょっと成長できた証、なのかもしれません。 もちろん会いたいですよ。 今日だって会えるなら飛んでゆきたいですけれど、 以前の「渇望」とか「足らない!」みたいなのとは、 ちょっと違う。 何をしてくれたとか、どこに行ったか、 会えたか会えなかったか、 一緒に何をしたか、ということはもはやほとんど関係なく・・・ 彼女の存在がこの世にある、ということが「安心」なのだと思う。 わたくしも、Eちゃんにとって、 そして 自分にとって大切な人にとってそうあれるよう・・・ 1日1日生きたいって思う。 今日は、こんなお話。 お読みくださって、ありがとう。 ※ 私信 YASUKOさん、お返事ブログ、うれしかったです ( ´▽`) いつも楽しい日記を、ありがとうございます ( ´▽`) おわり ↓ あなたさまにも、そんな大切なお友達が、きっといらっしゃるのだと思います。 にほんブログ村 ↓ 思い浮かばないなあ、というときは、きっとこれから出会うのだと思います ( ´▽`) にほんブログ村 いつもポチッとしてくださるお気持ちを、ありがとう。 穏やかな、平和な、良きよき1日となりますように・・・ たくさんのフォロー、いつも励みになっています : お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.07.05 17:17:20
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