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テーマ:暮らしを楽しむ(388221)
カテゴリ:ミニマルに暮らす
何年かにいちど、ふと思うのです。
このままでいいのだろうか、と思うのです。 わたくしは いまだに 「IKEA 」と「コストコ」に行ったことが、一度もありません。 そうはいってもいつかの日にか行くわよ! わたくしだって行きますとも! 行かないはずなどない!と、 40代のおわり頃までは、そう意気込んでおったのですが・・・ 最近は、もうこのまま本当に1度も行かないのではないか。 訪れるべき用事の終ぞなきまま、 わたくしは臨終のその時を迎えてしまうのではないか、という予感がしてまいりました。 そっちの線が濃厚なのでは、と。 テレビでタレントさんや俳優さん(丸山桂里奈さんとか矢田亜希子さんとか)が、 大きなカートでどんどんお買い物してゆく番組がありますでしょう? もうね、それ見てるだけで十分に楽しくて、満足。 (自分は絶叫マシーン苦手だけれど、乗ってる人を見るのは楽しい!と似た感覚・笑) 週に1度の買い出しさえも、 暑かったせいか、最近しんどくてさー ( ;∀;) なんでこんな疲れるんだろ、ってこないだ考えたのですが、 1)カートを押しながら 2)大量の商品の並んだ騒がしい店内を歩き回り 3)レジに並んで 4)なにかを山盛り買う、という・・・ 5)自分以外のそういう人も、たくさん見る その「視覚」や「情報量」に疲れているような気がするのですよ。 便利で助かるネットスーパーも時々利用しますが、 揃えきれないものもあるし・・・ やっぱりスーパーはこれからも「実店舗」なのかなぁ ( ;∀;) みなさま こんにちは。 すずひです。 さて、このあいだ、 とある獣医関係の知人から、とっても興味深いお話を聞いたのです。 「猫派」と「犬派」ってあるでしょう? 派、というくらいだから それは人間側が「どっちを好きか」を決めてることで、 人間側の権利! 選択権! っていうイメージでしたが・・・ いやいや違うんだよ、選んでるのは実は向こうなんだよ。 「猫や犬のほうなんだよ」というお話。 ******************************* 猫は「〇〇〇〇」に寄り添う。 犬は「〇〇〇〇」に寄り添う。 猫や犬が言葉を話せるわけではないので、 真偽のほどはわからないことなのですが、 〇〇〇〇、それぞれ何が入ると思う? ↓ ゼリーにも、シリアルにも。 ビールやワイン、そして「200cc」の計量にも(笑) とっても丈夫で割れにくい・・・「ラ・ロシェール」のゴブレット ( ´▽`) 猫はね、「さみしさ」に寄り添うのだそう。 人間の抱える「さみしさ」の感情に寄り添おうとしてくれるのが「猫」。 さみしい人が猫を好きになる、というよりも、 猫のほうが、人間のさみしい気持ちに寄り添いたいんですって。 家族で猫を飼っていたとして もしもとくべつに懐いている人がいるとすれば、 その家族の中でいちばん「さみしさ」を抱えてる人が猫にはわかってて、 その人のそばにいたいって思ってることが多い、って。 (さみしい人の全くいない環境は、猫はとても居心地が悪いのだそうですよ。) へえ、そうなのか・・・ Σ(゚д゚lll) 人間か癒してるでもなく、猫が癒されてるでもなく、 「互いが互いを癒し合う」という・・ そういうことなのかな? では「犬」は。 人間の持つ何に寄り添うのでしょう。 犬は、人の「やさしさ」に寄り添うのだそう。 犬には「やさしい人」「やさしさの器の大きさ」がちゃんとわかるんですって。 人間同士ならさ、 言葉や表情で「やさしい人」を装うこともできるけれど、 (それにあっさり騙されちゃうこともあるけれど・笑) 犬は決して騙されなくて、 ちゃんとその人の本性を見抜いてて、 やさしい人のそばにいたい、やさしい人が好き! 人の「やさしさ」に寄り添いたい、って思うんだって。 ほう・・・・・。 どちらかというと自分は猫に好かれるなあ、という人と どちらかといえば何故か犬に好かれるよ、という人と分かれるのは、 多くの場合、それで説明がつくのだそう。 どっちもから分け隔てなく好かれる人もいますね ( ´▽`) これ、すごく腑に落ちちゃった。 納得のゆく実例は、 わたくしの周りにも、 わたくしの遠い記憶の中にも、 そして SNSの世界にも、散見されるように思うから。 **************************** わたくしは、 52年の人生の中で、猫に懐かれたことがなく、 「飼う」や「ひろう」といったご縁もなく・・・ うんと幼い頃、祖母の家に住みついていた迷い猫「みい」も、 わたくしのことをすこぶる嫌っており(というか、みい側の眼中になく)、 いつもどこかに隠れたり離れてて、寄ってきてくれたことはなく・・・ (そういえば「みい」は、誰よりも「母」に懐いていましたっけ。) 懐いてくれる犬がわたくしはやっぱり好きで 自分は、だから「完全なる犬派です!」と思っていたんですけど、 そのお話を聞いたことで、 ああ、それはこっちが決めてるんじゃなかったのか、と。 人間側の選り好みの問題ではなかったのか、と。 ああごめんね、 選んでるような気になっていたわたくしは傲慢だったね・・・って、 とても申し訳なく思ったわ (;_;) 「私は猫が好きですけど、少しもさみしくなんかないわ!失敬な!」 「犬に好かれてるあいつ、全然優しくないですけど!?」 というお声も、もちろんあるかとは思いますが、 ここはひとつの考え方、可能性、傾向・・・ そして、そう。 「ファンタジー」として、ね ( ´▽`) 寂しさだけの人もいないし、優しさだけの人もいない。 強いだけの人もいないし、弱いだけの人だっていないはず。 元気で絶好調な日もるし、 失敗してしまったり、悲しいできごとに落ち込んでる日だってある。 同じ人の中にあっても、それは日々刻々と移ろうもの。 けれど。 今日昨日のことじゃなく、表面的なことではなくて、 抱えてきたものの期間や重さ、心の状態・・・ そういう目には見えないもの。 人間の目には決して見えないもの。 どの人の中にもある、自分でさえも気づかないような強さや弱さ、 認めたくない「さみしさ」や、隠れてる「やさしさ」・・・ 誰にも話したことのないようなツラい胸の内さえも・・・ 猫や犬にはそれが、ちゃんと、わかってしまうのでしょう。 感じるのでしょう。 そう思うと。 猫や犬を愛しく思ったり、 大切に抱きしめるとき、優しく撫でるとき・・・ 人間が抱っこして、人間が撫でてるのか、 それとも本当は、人間が抱っこされていて、 温もりを与えてもらったり、やさしく撫でられているほうなのか・・・ もう、わかんないですよね。 なんだか、じーんとなっちゃうね (;_;) ****************************** それはきっと人も同じ。 ずっと昔。 とても悲しいことがあったとき。 まだ上手に言葉を話せないころの、 小さな息子をそっと抱きしめた時にも、同じこと感じたことがあった。 子を抱きしめてるのか、それとも子から抱きしめられてるのか、 わからなくなる、あの感じ。 小さなぬくもりに、涙が出そうになるようなあの感じ。 小さな命だけが持っている、大きな大きな「愛」。 今日はこんなお話。 お読みくださって、ありがとう。 おわり ↓ 秋の訪れを感じるとき。 それは「いちじくのゼリー」に出会った時!! ( ´▽`) にほんブログ村 いつもポチッとしてくださるお気持ちを、ありがとう。 あなたさまにとって、良きよき1日となりますように・・・ たくさんのフォロー、いつも励みになっています : お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.08.30 13:13:39
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