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テーマ:今日の出来事(291401)
カテゴリ:ミニマルに暮らす
東日本の震災の時、この食器棚は。
震度3であっても、ぐらぐらと揺れかけて。 あの時はまだ大きくて、身長よりも高さがあって。 オープンになった飾り棚のところには、 いろんなお皿やグラスなどの割れ物を・・・ ぎっしり並べていたことを思い出すのです。 みなさまこんにちは。 すずひです。 今は。 棚の背丈は腰よりも低く、 重いものほど低いところに収納する習慣も身に付いて、 今回の長い長い揺れの中にあっても、 この棚は、ぴくりともしませんでした。 「震度4」は、けれど、 室内の何かが倒れるとか落ちる、というより 建物そのものの「みしみし」と軋む音、床ごと動くような感じが恐ろしく、 食器棚を低くしようが、 ヘルメットを持っていようが、 建物ごと崩壊するような大きな震災の脅威の下では、 そんなことは、なんの意味もなさないのだろうな、と。 それを理解していない訳ではないのだけれど。 大掃除の合間に、 服をこの部屋に、こうして一時待機させていた時間があって。 ここにある雰囲気もいいなあ、って思いました。 服を眺めながら、服の気配の中で眠るのもいいかもー、って。 いや、寝室には何にもない方がいい? けれど建物ごと崩壊するような大きな震災の脅威の下では、 服がどこにあろうと、もう関係ない? それを理解していない訳ではないのだけれど。 **************************** どうにもならない現実の残酷さを突きつけられた時、 考えるべきこと、心を向けるべき方向、 前向きな気持ちでいることの大切さはわかっていても、 「いつも通り」の感情でいようとすることさえ、どなたさまにとっても。 今は上手にできない、というか・・・ 緊張と安堵、絶望の情報と奇跡の情報、 そんな心の振れ幅や、悲しみの渦に巻き込まれてしまう、というか・・・ 心のバランスをとることが、 とてもむずかしい状態にあるのではないかなと思います。 それは弱いのではなく、人間として、きっと自然なこと。 ****************************** どこか縋るような気持ちで、お墓参りにいきました。 お墓参りって、これまでは。 「供養をして差し上げる」という感覚、というか・・・ 掃除をしたり、御水を供えたり、草を抜いたり、っていう 生きている人間が、亡くなった人のために「ご奉仕」というか、 どこか「して差し上げている」というような感覚があったのですが・・・ これは、逆ですね。 お参りをすることで、救われているのは、こちらだ。 見えない力に守られて、心が少し落ち着きを取り戻す。 ご先祖さまたちって、ね、 子孫たちが元気で幸せでいてくれることを いつも見守り、何よりも願い、応援してくれてるんですって。 お墓参りしてあげてる!なんて、とんでもないこと。 全力で、守ってもらってる。 **************************** お墓参りのお花と一緒のお店で、なんとなくアポロを買ったのです。 入っているかな? ラッキースター ★ わ! 入ってた! え、2こも入ってた!! ★ ★ もしかして、必ずみんな入ってる感じなの? *************************** こういう時期を、どう過ごしたらいいのか、わからないのです。 悲しくて、怖くて、まだ信じたくなくて、 なぜこんなことが・・・という、考えても仕方ないことを、 気づくと、いつまでも、ぐるぐるぐるぐる考えて続けている。 どこまでも沈んでしまいそうになる。 いつも通り!や 明るく! と、無理に誤魔化そうとすると、 かえって心はおかしくなってしまう。 この気持ちと、ならば今は。 逃げずに徹底的に向き合おう。 この怖さ、自分の弱さ、悲しみを感じ尽くしたその先に、 変わりようがないと思われた何かが変わったり・・・ 向かうべき心の方向を、きっと見つけられると信じて。 お正月用に買ってたお酒には「石川県産」の文字。 人々が、どうか希望を失わずにいられますように。 「ラッキースター」に・・・ 祈りを込める。 今日はこんな日記。 お読みくださって、ありがとう。 おわり わたくしのブログに目をとめてくださって、ありがとう にほんブログ村 今日も読んでくださって、ありがとう にほんブログ村 たくさんのフォロー、いつも励みになっています : お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.01.05 15:15:28
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