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カテゴリ:わたしらしく
今日は、とある著名なカウンセリングの先生の講演を聞いてきました・・・ そこで、こんなお話がありました。 最近多いのは、 会社でも、家族でも、 相手のありのままの姿を認め、受け入れる前に、 成果、結果、役割を要求してしまっている、ということ・・・ 例えば、上司が部下に仕事の成果を求める 親が子どもにきちんとできることを求める、そんなときに。
それによって、期待されたひとは 期待通り頑張らなくちゃ、と思って頑張ってしまう・・・ でも、存在自体を認めてもらっていると感じられているわけではないから、 気持ちは不安定。 できないなんて言えない、 できなかったら受け入れてもらえない、 ちゃんとやらなくちゃ・・・ と、苦しいスパイラルに入ってしまうのですね。
おとなでも、こどもでも、 ありのままの姿を受け入れてもらえている、という安心感がなければ、 のびのびと「何か成果を出そう!」という気持ちになれません。 逆に言えば、 ありのままの姿を認めてもらえていないのに、 成果を出しなさい、見せなさい、と言われても、 とっても苦しい・・・ たとえ、頑張れたとしても、 それは受け入れてもらいたいための必死な思い、かもしれません。 そして頑張った後には、心か、体か、あるいは両方が疲れてしまう・・・
頑張ろう 結果を出そう 前に進もう
そう思えるためには、ひとは、 自分を囲んでくれる”無条件の愛”を感じていないと だめなものなのですね。
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本当に、そうですよね。
無条件の愛を感じることができれば、 可能性は無限に広がるし、また引き出されるんだと思います。 これについては私自身がずーっと束縛されてきたことで、 家族の中の役割とか、こうでなければいけないとか、 本当に苦しかったです。 やっと抜け出せたと感じられるのは、ここ半年くらいかなぁ。 だからこそやっぱり、家族の存在って偉大だと思います。 (November 17, 2006 08:17:01 AM)
みおちゃん、ありがとう♪
>無条件の愛を感じることができれば、 >可能性は無限に広がるし、また引き出されるんだと思います。 無条件に受け入れられてる、愛されている、 そう感じた上でないと、 ひとは本当の力を出せない、 輝けないんだよ・・・ そう教えてもらったような気がしました。 >これについては私自身がずーっと束縛されてきたことで、 >家族の中の役割とか、こうでなければいけないとか、 >本当に苦しかったです。 うん、そうだったね・・・。 >やっと抜け出せたと感じられるのは、ここ半年くらいかなぁ。 みおちゃんは、ずっと頑張って来てたね。 もう、今は少し肩の力が抜けて、自分のことを考えてここにいられる・・・そんな感じかな?(^-^) (November 17, 2006 08:19:00 PM) |