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カテゴリ:音楽・歌謡曲・懐メロ
今回は、最初の流行歌手でありました佐藤千夜子、二村定一に続くビクターの歌手の特集です。 灰田勝彦さんの歌は、幼少時から巷に流れていました「野球小僧」、「煌く星座」、「鈴懸の径」、「アルプスの牧場」などの記憶が強く残っています。 戦後生まれのリュウちゃん、灰田さんの歌の、ハイカラで明るい曲調から、てっきり戦後デビューの歌手かと思っていましたが、戦前の昭和11年のデビューなのですね、「煌く星座」、「お玉杓子は蛙の子」は昭和15年、「ジャワのマンゴ売り」、「新雪」、「鈴懸の径」が、太平洋戦争突入後の昭和17年、日本のスイングジャズのスタンダードナンバーになっている「鈴懸の径」が、戦争最中の昭和17年の曲だとは、全く驚くべき事ですね、因みに、この歌の一番の歌詞を下記に挙げます(詞:佐伯孝夫) 友と語らん 鈴懸の径 通いなれたる 学舎(まなびや)の街 やさしの小鈴 葉陰に鳴れば 夢は帰るよ 鈴懸の径 以前のブログで少しふれました二木紘三さんの「二木紘三のうた物語」によりますと、この学舎(まなびや)は、灰田さんの母校、立教大学のプラタナス(鈴懸)の並木道をイメージして作詞されたようです、この二木さんのホームページ、大変良く作られていまして、リュウちゃんも大いに参考にさせて頂いています。二木様、有難う御座います。 しかし、「やさしの小鈴」って、何なのでしょうね?立教の始業の合図なのかな? まさか、リュウちゃんの小学校1~2年生当時の分教場じゃあるまいし、広大な立教のキャンパスで「小鈴」の音では合図にならないですよね、どなたか、この「小鈴」の実体がお判りの方、是非御教示頂きますよう、お願いいたします。 この歌の作曲は、灰田勝彦さんの兄の灰田有紀彦(別名:晴彦)です。灰田兄弟はハワイ生まれ、ハワイで医者をしていた父が勝彦の幼児の時に亡くなったこともあり、勝彦12歳の時に日本へ帰りました。現在で云うと、「帰国子女」ですね、兄・有紀彦はハワイアンバンドを結成、「鈴懸の径」は、ハワイアンの曲のようです。 それにしても、太平洋戦争の真っ只中に、このような戦争とは縁遠い歌が発売禁止にならなかった事は、慶賀に値すると思います。この歌は、前述の二木さんも、「キャンパスフォークの走り」だと言っています。昭和39年、ペギー葉山の歌った「学生時代」(こちらはペギーさんの母校、青山学院のイメージ)の戦前版といえる歌ですね、 灰田さんの歌の中で、これまでリュウちゃんがカラオケで一番歌ってきたのが、昭和26年発売の「水色のスーツケース」です。この歌、リュウちゃんの幼い頃の記憶には無いのですが、社会人になってすぐに歌い始めていました。果たして、何時覚えたのかな? 例によって、1番の歌詞(詞:井田誠一、曲:利根一郎)を挙げます。 何処かで誰かが呼ぶような そんな気がして旅に出た 水色のスーツケースの中には 消えた悲しい恋の花束 ああ 大空に 雲は白く流れて はてしなく汽車は走るよ ちょっと気障(きざ)なのですが、リュウちゃん、この歌を聴くと、フランスのデュパルクという作曲家がボードレールの詩に付けた「旅への誘(いざな)い」という曲を思い出します。この歌のメロディは、焼きつくような旅への憧れを表現していますが、昔も今も旅への憧れは変わらないのですね。 この「水色のスーュケース」の詞は、仄かな悲しみを秘めていて、しかし透明でサラリとした、いい詞だと思います。メロディもいいのです。 灰田さんといえば、野球狂としても有名、立教の後輩であるミスタージャイアンツ、長嶋茂雄氏とは、深い親交があったようです。例の渋谷警察裏の歌声酒場「季味」の常連の「野球バカ」のオジさん、お元気ですか?今でも、「野球小僧」を歌っておられますか? 灰田勝彦は、昭和11年、ビクターと専属契約、「ハワイのセレナーデ」でデビュー、 ★ 煌く星座、★峠の我が家、★お玉杓子は蛙の子、☆ジャワのマンゴ売り、★新雪、★鈴懸の径、☆東京の屋根の下、★アルプスの牧場、★水色のスーツケース、★野球小僧、 伊勢市のはずれにあったリュウちゃんの実家は、リュウちゃんが4歳の時に分家したのですが、ごく近所にあった本家の庭には、三重県ではあまり見られなかったザボン(文旦)の木がありまして、おやつや果物の少なかった当時、リュウちゃんにとりましては、ザボンは、おやつの王様だったのです。 小畑さんの歌も、「湯島の白梅」、「勘太郎月夜唄」「高原の駅よさようなら」、「そよ風のビギン」などは、自然に覚えましたが、本家のザボンの縁で、「長崎のザボン売り」は、とりわけ印象に残っている歌です。 この頃はまだ現在のように、食べ物が豊富にある時代ではありませんでした。分家のリュウちゃんの家でも、庭の鶏小屋で、数羽のニワトリを飼っていましたが、その卵は、普段はめったに口に出来ませんでした。卵を口にできるのは、病気になった時だけ、ですから、病気になって、はじめて食べられる生卵かけご飯のことを、薬飯(くすりめし)と呼んでいました。そのような貧しい食環境だった為か、この頃には物売りの歌が幾つかヒットしました。「長崎のザボン売り」の他で印象に残っています歌としては、暁テル子の「ミネソタの卵売り」(この歌、また最近、よくカラオケで歌っています)他に、同じ暁テル子さんの、「リオのポポ売り」、灰田さんとソプラノ歌手の大谷冴子のデュエット曲「ジャワのマンゴ売り」などがあります。 小畑さんの歌唱はクルーナー唱法というようです。藤山一郎のクルーン唱法と同じように、喉に力を全く入れずに、軽い弱声による歌唱なのでしょうね。 この歌唱法の典型だと考えられますのが、「山の端に月の出る頃」です。この歌は、歌唱の中に、全体で9回、「ホー」という感嘆詞といいますか、一人合いの手が入ります。確か、この歌は、当時、「ホー歌謡」と呼ばれたのではないでしょうか(少し違っているかも知れません) 他にクルーナー唱法の典型的な曲と致しましては、「そよ風のビギン」が旋律線の柔らかな、いい曲です。あと、ちあきなおみさんの歌唱とテレビ・コマーシャルで注目された「星影の小径」、この歌はリュウちゃん、ちあきさんの歌唱でハマった歌なものですから、オリジナルの小畑さんより、なおみさんが断然いいのであります。 例によって、渋谷警察裏のうたごえ酒場「季味」のママ、キミちゃんには、「アメリカ通いの白い船」を教えてもらいました。来週、上京の際には、この歌にチャレンジしてみようと企んでいるリュウちゃんなのであります。 小畑実は、昭和12年、日本音楽学校入学、昭和16年、「成吉思汗」でデビュー、昭和17年にビクターから発売した「湯島の白梅」が出世作、 ★湯島の白梅、★勘太郎月夜唄、★長崎のザボン売り、☆小判鮫の唄、☆薔薇を召しませ、☆アメリカ通いの白い船、★星影の小径、★高原の駅よさようなら、★山の端に月の出る頃、☆花の三度笠、★そよ風のビギン、 灰田さんも小畑さんも、共に海外生まれで、太平洋戦争の最中に、明るく、モダンな歌で、一世を風靡しました。このモダニズムは、戦後もビクターの歌謡曲の大きな傾向として、引き継がれて行くのです。 今回は、戦前から戦後にかけてのビクターの歌手をもっと取上げるつもりでしたが、灰田さんと小畑さんで一杯になってしまいましたので、次回にはビクターの続編といたしまして、渡辺はま子さんなどを書く予定です。 (今回の★☆追加) ★ →15曲、☆→6曲、 (累計) ★→513曲、☆→436曲、★☆累計→949曲です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年12月01日 00時02分41秒
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