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リュウちゃんの懐メロ人生

リュウちゃんの懐メロ人生

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2009年12月20日
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リュウちゃんが子供の頃は、年末にNHKの「紅白歌合戦」をラジオで聴くことが、物凄く楽しみでした。

「紅白歌合戦」は昭和20年に放送された「紅白音楽試合」の流れを受け継ぎ、昭和26年1月3日の午後8時~9時の一時間番組として、「第1回紅白音楽合戦」として生放送されたのが最初です。第1回の出場者は、白組が、鶴田六郎「港の恋唄」、林伊佐雄「ダンス・パーティの夜?」、近江俊郎「湯の町エレジー」、鈴木正夫「常磐炭坑節」、楠木繁夫「紅燃ゆる地平線?」、東海林太郎「赤城かりがね」、藤山一郎「長崎の鐘」、紅組が、菅原都々子「憧れの住む町」、暁テル子「ミネソタの卵売り?」、菊池章子「母紅梅の唄」、赤坂小梅「三池炭坑節?」、松島詩子「上海の花売娘」、二葉あき子「星のためいき」、渡辺はま子「サンフランシスコのチャイナタウン」、紅組のトリが、渡辺はま子さん、白組のトリ(大トリ)が藤山一郎さんでした。

第1回の紅白放送時には、リュウちゃん4歳でしたので、もちろん全く記憶には残っていません。テレビでの放映は、昭和28年の第3回からだそうですが、当時はまだテレビ放送が実験の段階で、一般家庭には全く受像機が無かったため、当然見ていません(このあたり、NHKアーカイブス枠での放映はされたのですかね?)

以下に、第2回からの初出場歌手と歌った曲を挙げてみます。

★ 第2回(昭和27年)各12組、リュウちゃん5歳
(白組)宇津美清「ハワイ航空便」、津村謙「上海帰りのリル」、伊藤久男「イヨマンテの夜」、霧島昇「三百六十五夜」、瀬川伸「上州鴉」、岡本敦郎「あこがれの郵便馬車」、灰田勝彦「アルプスの牧場」、竹山逸郎「涙の乾杯」
紅組)池真理子「愛のスイング」、笠置シズ子「買物ブギ」、久保幸江「ヤットン節」、越路吹雪「島育ち」、三条町子「かりそめの恋」、轟夕起子「お使いは自転車に乗って」、平野愛子「君待てども」、三原純子「南から南から」

白組初出場の瀬川伸は、「命くれない」の大ヒットで御馴染みの瀬川瑛子さんのお父さんです。越路吹雪さんは、松島詩子さんが、紅白の会場に向かう車が都電と衝突する事故を起こし、松島さんが重傷を負った為、大急遽、代役で出場しました。この時、越路さん28歳、前年に宝塚歌劇団を退団し、東宝専属となったばかりの初出演でした。越路さんが、日本のトップシンガーとして、活躍するきっかけとなったのが、この急遽の代役の紅白出場だったようです。

★ 第3回(昭和28年)各12組
(白組)高英男「ロマンス」、ディック・ミネ「キッス・オブ・ファイア」、
(紅組)乙羽信子「初恋椿」、奈良光枝「白樺の宿」、久慈あさみ「ボタンとリボン」、荒井恵子「ポカ・バカビカ」、月丘夢路「新雪」、

★第4回(昭和28年12月31日)各17組
(白組)笈田敏夫「ばら色の人生」、浜口庫之助「国境の南」、岸井明「洒落男」、小畑実「ロンドンの街角で」、真木不二夫「知らない町に雨が降る」、
(紅組)江利チエミ「ガイ・イズ・ア・ガイ」、織井茂子「君の名は」、神楽坂はん子「こんな私じゃなかったに」、小唄勝太郎「島の娘」、三味線豊吉「カモン・ナ・マイ・ハウス」、服部冨子「アリラン・ルムバ」、淡谷のり子「アデュー」、

ひばり、チエミ、いづみの元祖3人娘、3人共、昭和12年産まれ、レコード・デビューは、ひばりちゃんが昭和24年7月の「河童ブギウギ」、チエミちゃんが昭和27年1月の「手眼シー・ワルツ」、「家においでよ」、いづみちゃんが昭和28年4月の「想い出のワルツ」でした。チエミちゃんが、他の2人に先行して紅白デビューしたのは、少し意外ですね。

★ 第5回(昭和29年)各15組
(白組)河野ヨシユキ「キツツキの赤いトランク」、春日八郎「お富さん」、藤原義江「鉾をおさめて」、
紅組)宮城まり子「毒消しゃいらんかね」、川田孝子「山の乙女」、松田トシ「村の娘」、雪村いづみ「オー・マイ・パパ」、ペギー葉山「月光のチャペル」、長門美保「松島音頭」、美空ひばり「ひばりのマドロスさん」

この年、ひばりちゃん初出場、既にデビューから5年を経ての初出場は何だか奇異な感じがします。

★ 第6回(昭和30年)各16組
(白組)三浦洸一「落葉しぐれ」、柴田睦陸「ラ・クンパルシータ」、芦野宏「タブー」、
(紅組)宝とも子「インディアン・ラブコール」、大谷 冽子「チリビリビン」、

★ 第7回(昭和31年)各25組(内、雪村いづみ、病気欠場)
(白組)三橋美智也「哀愁列車」、山形英夫「港の人気者」、旗照夫「恋とは素晴らしいもの」、若原一郎「風の吹きよで」、曽根史郎「若いお巡りさん」、小阪一也「ハート・ブレイク・ホテル」、藤島 桓夫「かえりの港」、
(紅組)照菊「恋のまよい鳥」、生田恵子「アイ・アイ・バンジョー」、西村つた江「横浜(ハマ)の谷間」、吉岡妙子「私の幸福は何処へ」、中原美紗緒「フル・フル」、鈴木三重子「愛ちゃんはお嫁に」、大津美子「東京アンナ」、コロムビア・ローズ「娘艶歌師」

★ 第8回(昭和32年)各25組
(白組)若山彰「喜びも悲しみも幾歳月」、三船浩「男のブルース」、白根一男「面影いずこ」、フランク永井「東京午前三時」、青木光一「二代目船長さん」、ジェームス繁田「魅惑のワルツ」、高田浩吉「うかれ駕篭」、
(紅組)楠トシエ「お花どん」、松山恵子「未練の波止場」、藤沢嵐子「さらば草原よ」、浅丘雪時路「星はながれる」、浜村美智子「監獄ロック」、、島倉千代子「逢いたいなァあの人に」、

★ 第9回(昭和33年)各25組
(白組)神戸一郎「銀座9丁目は水の上」、フランキー堺「男はよわい」、三波春夫「雪の渡り鳥」、ダーク・ダックス「ともしび」、
(紅組)築地容子「青い月夜のランデブー」、藤本二三代「夢見る乙女」、神楽坂浮子「三味線フラフープ」、石井好子「ゴンドリエ」、水谷良重・東郷たまみ・沢たまき「アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド」、

★ 第10回(昭和34年)各25組
(白組)武井義明「国境の南」、和田弘とマヒナ・スターズ「夜霧のエアーターミナル」、山田真二「娘が口笛吹く時は」、水原弘「黒い花びら」、森繁久弥「カチューシャ」、
(紅組)ザ・ピーナッツ「情熱の花」、島崎雪子「バンビーノ」、有明ゆり・藤崎世津子・宝とも子「シエリト・リンド」、

この年、「日本レコード大賞」がスタート、第1回の大賞受賞者は、水原弘の「黒い花びら」でした。以降、「レコ大」と「紅白」は。大晦日の日本の大イベントになっていきました。

★ 第11回(昭和35年)各27組
(白組)橋幸夫「潮来笠」、平尾昌晃「ミヨちゃん」、ミッキー・カーティス「恋の片道切符」、守屋浩「僕は泣いちっち」、アイ・ジョージ「ラ・マラゲー二ア」、
(紅組)花村菊枝「潮来花嫁さん」、松尾和子「誰よりも君を愛す」、森山加代子「月影のキューバ」、小割まさ江・高美アリサ・(沢たまき)・(有明ゆり)「或る恋の物語」、

いよいよ、リュウちゃんの生涯の歌謡曲アイドルの一人であります橋幸夫さんの初出場です。リュウちゃん、この時中学2年生、多分、リュウちゃんの実家でも。この頃、テレビを購入した時期でした。

★ 第12回(昭和36年)各25組
(白組)村田英雄「王将」、井上ひろし「別れの磯千鳥」、坂本九「上を向いて歩こう」、ジェリー藤尾「石松野郎の歌」、佐川ミツオ「背広姿の渡り鳥」、
(紅組)西田佐知子「コーヒールンバ」、こまどり姉妹「姉妹酒場」、寿美花代「ジャズ・バンド」、坂本スミ子「アロロコ」、、

★ 第13回(昭和37年)各25組
(白組)松島アキラ「ああ青春」、飯田久彦「ルイジアナ・ママ」、北原謙二「若い二人」、ダニー飯田とパラダイス・キング「グッドバイ・ジョー」、デューク・エイセス「ドライ・ボーンズ」、植木等「ハイ、それまでよ」、
紅組)仲宗根美樹「川は流れる」、弘田三枝子「バケーション」、中尾ミエ「可愛いベイビー」、トリオこいさんず「ジャンジャン横丁」、吉永小百合「寒い朝」、及川三千代「愛と死のかたみ」、スリー・グレイセス「ストライク・アップ・ザ・バンド」、五月みどり「おひまなら来てよね」、

リュウちゃんにとって、永遠の青春ソング、「いつでも夢を」のデュエット相手であった吉永小百合ちゃんも、この年初出場、リュウちゃん、この時、高校1年生、ニキビが盛んになって来た頃でありました。

★ 第14回(昭和38年)各25組
(白組)田辺靖雄「雲に聞いておくれよ」、北島三郎「ギター仁義」、立川澄人「運がよけりゃ」、ボニージャックス「一週間」、田端義夫「島育ち」、舟木一夫「高校三年生」、
(紅組)高石かつ枝「りんごの花咲く町」、畠山みどり「出世街道」、倍賞千恵子「下町の太陽」、三沢あけみ「島のブルース」、梓みちよ「こんにちは赤ちゃん」、伊東ゆかり・園まり・(中尾ミエ「キューティパイ・メドレー」、

北島サブちゃん、「オースッ!」のバタやん、詰襟の舟木さんが同時に初出場とは意外でした。サブちゃんのデビュー曲「ブンガチャ節」は、放送禁止になった歌、この辺が尾を引いていたのですかね?、根っからの庶民派、バタやんはこの時、44歳、既にデビューから24年が経過していました。

★ 第15回(昭和39年)各25組(ここからカラー放送)
(白組)三田明「ごめんねチコちゃん」、克美しげる「さすらい」、新川二朗「東京の灯よいつまでも」、西郷輝彦「十七才のこの胸に」、
(紅組)九重祐三子「ウェイディングドレス」、岸洋子「夜明けのうた」、二代目コロムビア・ローズ「智恵子抄」、青山和子「愛と死をみつめて」


以上、リュウちゃんが4歳の時に始まりました「NHK紅白歌合戦」の出場歌手を、リュウちゃんが高校3年生の年の第15回まで、ザッと回顧して見ました。リュウちゃんと同じ年代以上の皆様には、本当に懐かしい名前のオン・パレードで、興味尽きないものがあったかと思われます。さすがのリュウちゃんも、今では全く覚えていない歌手、歌手の名前は覚えているのですが、全く題名を忘れてしまっている曲がイッパイ出てくるのには、正直ビックリしている次第です。歌謡曲は本当に奥が深いですね。

後から考えますと、リュウちゃんが生まれた昭和20年代の初頭から、昭和30年代にかけては、正に歌謡曲が創成期から黄金時代であった時期です。リュウちゃんが高校を卒業した頃に、歌謡曲の変質が始まったように感じていますが、それにつきましては、次回に「NHK紅白歌合戦のお話(2)」と致しまして、近々、「お話」をさせて頂きます。





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最終更新日  2009年12月20日 23時05分11秒
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