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リュウちゃんの懐メロ人生

リュウちゃんの懐メロ人生

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2009年12月22日
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紅白歌合戦の視聴率調査は、昭和37年の第13回からのようです。この時は関東のみの調査で、何と80,4%、続く第14回は関東と関西での調査ですが、何と、81,4%、結局、この昭和38年の視聴率が、紅白史上、最高の視聴率として記録に残りました。

★ 第16回(昭和40年)各25組、ビデオリサーチ視聴率78,1%
(白組)井沢八郎「北海の満月」、山田太郎「新聞少年」、バーブ佐竹「女心の唄」、ジャニーズ「マック・ザ・ナイフ」、
(紅組)都はるみ「涙の連絡線」、日野てる子「夏の日の思い出」、

今をときめくジャニーズ事務所のタレント第1号、ジャニーズが初登場、メンバーは、真家ひろみ、飯野おさみ、中谷良、あおい輝彦の4人、
リュウちゃん、この年に大学入学、初めて実家を離れ、一人暮らしを始めました。しかし、年末には必ず実家で過ごしていました。

★ 第17回(昭和41年)、視聴率74,0%
(白組)島和彦「雨の夜あなたは帰る」、アントニオ古賀「その名はフジヤマ」、城卓矢「骨まで愛して」、ハナ肇とクレイジーキャッツ「チョッと一言多すぎる」、加山雄三「君といつまでも」、ジャッキー芳川とブルーコメッツ「青い瞳」、マイク真木「バラが咲いた」、
(紅組)田代美代子「ここがいいのよ」、笹みどり「下町育ち」、青江美奈「恍惚のブルース」、金井克子「ラバーズ・コンチェルト」、

この年、日本のフォークソングの先駆けでありますマイク真木、シンガー・ソングライターの先駆けとも云えます加山雄三、グループ・サウンズの先駆けでありますジャッキー吉川とブルー・コメッツが初出場、日本が高度経済成長期に突入した時期に、音楽も大変貌し始めました。

★ 第18回(昭和42年)、視聴率76.7%
(白組)布施明「恋」、美樹克彦「花はおそかった」、菅原洋一「知りたくないの」、荒木一郎「いとしのマックス」、
(紅組)山本リンダ「こまっちゃうナ」、扇ひろ子「新宿ブルース」、黛ジュン「霧のかなたに」、相良直美「世界は二人のために」、

★ 第19回(昭和43年)視聴率76,9%
(白組)千昌夫「星影のワルツ」、黒沢明とロス・プリモス「たそがれの銀座」、鶴岡雅義と東京ロマンチカ「小樽の人よ」、美川憲一「釧路の夜」、森進一「花と蝶」、
(紅組)小川知子「ゆうべの秘密」、ピンキーとキラーズ「恋の季節」、中村晃子「虹色の湖」、

森進一は、この年、デビュー3年目、デビュー曲「女のためいき」以来、作詞:吉川静夫・作曲:猪俣公章のコンビだったのですが、「花と蝶」は、作詞:川内康範、作曲:彩木雅夫、前々年に初登場した青江三奈と併せて、昭和40年代のビクターのメイン歌手となっていきます。これまでの佐伯孝夫=吉田正コンビの歌謡曲は、この辺から大幅な変容ウを遂げていきました。

★ 第20回(昭和44年)、視聴率79,7%
(白組)ザ・キングトーンズ「グッド・ナイト・ベイビー」、内山田洋とクール・ファイブ「長崎は今日も雨だった」
(紅組)いしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」、カルメン・マキ「時には母のない子のように」、奥村チヨ「恋泥棒」、由紀さおり「夜明けのスキャット」、森山良子「禁じられた恋」、高田恭子「みんな夢の中」、

この前年、ソニーレコードがCBSソニーとして発足、カルメン・マキは新生ソニー・レコード初の紅白出場歌手です。リュウちゃん、この年に社会人となって、東京に出て行きました。

★ 第21回(昭和45年)視聴率77,0%
(白組)野村真樹「一度だけなら」、ヒデとロザンナ「愛は傷つきやすく」、にしきのあきら「もう恋なのか」、フォーリーブス「あしたが生まれる」、
(紅組)和田アキ子「笑って許して」、日吉ミミ「男と女のお話」、トワ・エ・モア「空よ」、藤圭子「圭子の夢は夜ひらく」、辺見マリ「私生活」、ちあきなおみ「四つのお願い」、

「演歌の星」のキャッチフレーズで大ブレイクした藤圭子が初登場、この頃から、歌謡曲は演歌として定着していきます。
男女二人組のユニット、ヒデとロザンナが白組、トワ・エ・モアが紅組、何故?

★ 第22回(昭和46年)視聴率78,1%
(白組)尾崎紀世彦「また逢う日まで」、五木ひろし「よこはま・たそがれ」、はしだのりひことクライマックス「花嫁」、堺正章「さらば恋人」、
(紅組)南沙織「17才」、加藤登紀子「知床旅情」、小柳ルミ子「わたしの城下町」、本田路津子「一人の手」、渚ゆう子「京都慕情」、真帆志ぶき「嘆きのインディアン」

今日まで演歌歌手の第一人者として君臨する五木ひろしが、この年に初登場、
でも、社会人になって間もないリュウちゃんのこの頃の関心は、「演歌」よりも、南沙織ちゃんなどのポップスに向かっていったのでした。現在でも、沙織ちゃんの歌は大好きなのです。

★ 第23回(昭和47年)視聴率80,6%
(白組)石橋正次「夜明けの停車場」、青い三角定規「太陽がくれた季節」、野口五郎「めぐり逢う青春」、ビリー・バンバン「さよならをするために」、上條恒彦「出発の歌―失われた時を求めて」、沢田研二「許されない愛」、
(紅組)天地真理「ひとりじゃないの」、朱里エイコ「北国行きで」、欧陽菲菲「恋の追跡」、千田隆夫とセルスターズ「ハチのムサシは死んだのさ」、

天地真理ちゃん、可愛かった!この頃から、ソニー・レコードがアイドル・ポップスで歌謡界を牽引していくことになったのです。


★ 第24回(昭和48年)視聴率75,8%
(白組)GARO「学生街の喫茶店」、三善英史「丸山・花町・母の街」、郷ひろみ「男の子女の子」、ぴんから兄弟「女のみち」、
(紅組)森昌子「せんせい」、八代亜紀「なみだ恋」、チェリッシュ「てんとう虫のサンバ」、麻丘めぐみ「わたしの彼は左きき」、アグネス・チャン「ひなげしの花」、

リュウちゃん、森昌子のデビュー曲「せんせい」に、一発でイカれた記憶があります。以来、未だにファンなのです。郷ひろみは、最初はジャニーズ事務所所属だったのです。


★ 第25回(昭和49年)視聴率74,8%
(白組)西城秀樹「傷だらけのローラ」、中条きよし「うそ」、殿さまキングス「なみだの操」、海援隊「母に捧げるバラード」、渡哲也「くちなしの花」、
(紅組)山口百恵「ひと夏の経験」、桜田淳子「黄色いリボン」、あべ静江「にずいろの手紙」、ペドロ&カプリシャス「ジョニイへの伝言」、

あべ静江さん、リュウちゃんと同じ三重県出身、デビュー曲「コーヒーショップで」は良かったなあ!

★ 第26回(昭和50年)視聴率72,0%
(白組)細川たかし「心のこり」、ずうとるび「初恋の絵日記」、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」
(紅組)岩崎宏美「ロマンス」、キャンディーズ「年下の男の子」、西川峰子「あなたにあげる」、

リュウちゃん、キャンディーズではスーちゃんのファンでした。でも、メイン・ヴォーカルがランちゃんに代わってから、大ブレイクしたのですね、
またリュウちゃん、実は、西川峰子の「あなたにあげる」には本当にハマッたのです。最後の歌謡曲歌手だと思いました。未だに峰子のLPを持っています。
アルバム曲の「くちづけ帰り道」、最高!です。


昭和40年代の「紅白」を巡る状況について、以下にまとめて見ます。
★ 昭和40年代を通じて「紅白歌合戦」の視聴率は、ほぼ80%に近い超高視聴率をキープ、まさに「お化け番組」、「全国民的番組」だったのです。
★ 昭和39年の東京オリンピックを契機として、日本は高度成長期に入りましたが、音楽もそれに伴い多様化、昭和30年代の、ほぼ歌謡曲一辺倒の時代から、フォーク、ポップス、シンガー・ソングライターの出現と、日本の音楽シーンに若者志向が、より鮮明になってゆきました。
★ 森進一、青江三奈、藤圭子、五木ひろし、八代亜紀などの歌は、従来の「歌謡曲」ではなく、新しい「演歌」というジャンルとしてファンに認知されました(「歌謡曲」から「演歌」への転換)
★ 昭和43年のCBS・ソニーの発足も、従来の老舗レコード・メーカーばかりだった業界に大きな転換を余儀なくさせる事となりました。カルメン・マキの出現には、リュウちゃんといたしましても、「新しい時代が来たな」と感じたのでした。
★ 昭和46年10月から日本テレビでスタートしたオーディション番組「スター誕生」は、その後のアイドル・ポップス全盛時代の牽引役を果しました。「スター誕生」から登場した主な歌手を挙げてみますと、森昌子、桜田淳子、山口百恵、伊藤咲子、岩崎宏美、新沼謙治、片平なぎさ、ピンク・レディ、石野真子、小泉今日子、中森明菜、などがいます。正に錚々たる顔ぶれですね。
★ 昭和50年に「アザミ嬢のララバイ」でデビューしたシンガー・ソングライターの中島みゆきは、大ブレイク後も「紅白」出演に関心を示さず、第53回に黒部ダムからの中継に一度出演したのみ、この頃から、大物歌手の「紅白離れ」が始まりました。


リュウちゃんの「紅白歌合戦のお話」、当初は2回くらいで終わる予定でしたが、歴代の出演者を追っていくうちに、興味津々になってきました。「こうなれば、最後まで追跡せずには終われない」、ということで、あと数回、この「お話」を続けます。年内に終われるのか不安ではありますが、もう暫くおつき合い下さい。



















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最終更新日  2009年12月22日 10時13分53秒
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