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リュウちゃんの懐メロ人生

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2009年12月23日
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前回の「紅白歌合戦のお話(2)」に引き続きまして、今回は、昭和51年から昭和60年までを辿ってみます。例によって、各年度の初出場歌手をズーと挙げて見ます。

★ 第27回(昭和51年)視聴率74,6%
(白組)新沼謙治「嫁に来ないか」、あおい輝彦「あなただけを」、田中星児「ビューティフル・サンデー」、
(紅組)太田裕美「木綿のハンカチーフ」、研ナオコ「LA-LA-LA」、伊藤咲子「きみ可愛いね」、二葉百合子「岸壁の母」、

★ 第28回(昭和52年)、視聴率77,0%
(白組)狩人「あずさ2号」、清水健太郎「失恋レストラン」、森田公一とトップ・ギャラン「青春時代」、松崎しげる「愛のメモリー」、小林旭「昔の名前で出ています」、
(紅組)ピンク・レディ「ウォンテッド」、高田みづえ「硝子坂」、ハイ・ファイ・セット「フィーリング」、しばたはつみ「マイ・ラグジュアリー・ナイト」、石川さゆり「津軽海峡冬景色」、

リュウちゃん、この年に現在の奥方と結婚しました。

★ 第29回(昭和53年)視聴率72,2%
(白組)平尾昌晃・畑中葉子「カナダからの手紙」、角川博「許して下さい」、ツイスト「あんたのバラード」、さとう宗幸「青葉城恋唄」、原田真二「タイム・トラベル」、
(紅組)榊原郁恵「夏のお嬢さん」、芹洋子「坊がつる讃歌」、庄野真代「飛んでイスタンブール」、サーカス「Mr,サマータイム」、渡辺真知子「迷い道」、中原里恵「東京ららばい」、

この年、紅組のトリは山口百恵、歌は「プレイバックPart2」でした。

★ 第30回(昭和54年)視聴率77,0%
(白組)渥美二郎「夢追い酒」、サザンオールスターズ「いとしのエリー」、さだまさし「関白宣言」、ゴダイゴ「ビューティフル・ネーム」、
(紅組)石野真子「ジュリーがライバル」、大橋純子「ビューティフル・ミー」、金沢明子「津軽じょんがら節」、金田たつえ「花街の母」、ジュディ・オング「魅せられて」、小林幸子「おもいで酒」、

★ 第31回(昭和55年)視聴率71,1%
(白組)田原俊彦「哀愁でいと」、クリスタルキング「大都会」、もんた&ブラザーズ「ダンシング・オールナイト」、
(紅組)松田聖子「青い珊瑚礁」岩崎良美「あなた色のマノン」、八神純子「パープル・タウン」、五輪真弓「恋人よ」、ロス・インディオス&シルビア「判れても好きな人」、

★ 第32回(昭和56年)視聴率74,9%
(白組)近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」、山本譲二「みちのくひとり旅」、寺尾聡「ルビーの指輪」、西田敏行「もしもピアノが弾けたなら」、竜鉄也「奥飛騨慕情」、
(紅組)河合奈保子「スマイル・フォー・ミー」、石川ひとみ「まちぶせ」、松村和子「帰ってこいよ」、川中美幸「ふたり酒」、牧村三枝子「みちづれ」、

★ 第33回(昭和57年)、視聴率69,9%
(白組)シブがき隊「100%・・・SOかもね!」、中村雅俊「心の色」、
(紅組)三原順子「ホンキでLove Me Good!」、あみん「待つわ」、シュガー「ウェイディング・ベル」、

★ 第34回(昭和58年)、視聴率74,2%
(白組)大川英策「さざんかの宿」、梅沢富美男「夢芝居」、アルフィー「メリーアン」、(サザン3回目の出演)
(紅組)柏原芳恵「春なのに」、日野美歌「氷雨」、早見優「夏色のナンシー」、
中森明菜「禁区」、杏里「キャッツアイ」、

この年、NHK朝の連続ドラマ「おしん」が紅白以外の最高視聴率62,9%を記録、

★ 第35回(昭和59年)、視聴率78,1%
(白組)舘ひろし「泣かないで」、チェッカーズ「涙のリクエスト」、芦屋雁之助「娘よ」、
(紅組)堀ちえみ「東京Sugar Town」、小泉今日子「渚のハイカラ人魚」、高橋真梨子「桃色吐息」、

★ 第36回(昭和60年)視聴率66,0%
(白組)吉川公晃司「にくまれそうなNEWフェイス」、C-C-B「Lucky Chanceをもう一度」、鳥羽一郎「兄弟船」、安全地帯「悲しみにさよなら」、
(紅組)石川秀美「愛の呪文」、テレサ・テン「愛人」、松原のぶえ「おんなの出船」、原田知世「早春物語」、

前回に続きまして、上記に挙げました昭和50年代の「紅白」を巡る状況につき、リュウちゃんの見解を下記にまとめて見ました。

★ 前回の昭和40年代の視聴率は、大体80%前後でしたが、今回の昭和50年代は、大体70%強で推移しました。昭和40年代と比較しまして、大体5~10%位下がった訳ですが、元々、80%前後という、とてつもない視聴率だったのですから、この視聴率低下は、ある意味、民主主義国家のアミューズメントのあり方としては、当然かつ健全な方向だと思います。70%前後でも、「異常な高さ」ですね。
★ 具体的な視聴率低下の要因といたしまして、リュウちゃんは以下のように考えています
(1) 昭和58年に任天堂からファミリーコンピューター発売、これより、若者のゲーム文化がスタート、音楽と共に、若者の2大文化に発展してゆく。
(2) 昭和54年にソニーからカセット・テープによるウォークマン発売、いつでも、どこでも、全く個人的にステレオ音楽が楽しめる時代が、ここから始まりました。ここに至り、音楽鑑賞は、家庭という単位から、個人という単位に急速に移行していきました。これにより、音楽嗜好の年代別の細分化は、ますます加速していき、一家揃って楽しめる音楽というものは、本当に希少になってしまいました。これは、日本の核家族化の進行と期を一にしているように思います。
(3) 中島みゆき(昭和50年デビュー)、松任谷由美(昭和48年デビュー)、井上陽水(昭和47年デビュー)小椋佳(昭和46年デビュー)矢沢永吉(昭和50年デビュー)などの大物歌手達が、紅白出場を辞退あるいは拒否し始めたのも、この頃です。サザンオールスタースは、3回出場していますが、それ以降は出場なし、それ以前の大物では、石原裕次郎が紅白未出場ですが、これは、彼は映画俳優が本業で、歌は余技だという考えがあったのかも知れません。もう充分に売れているのに、わざわざ年末の休養期間まで働くことはないでしょうからね、
(4) 昭和57年にソニー、コロムビアから音楽CDソフト発売、以後、アナログ・レコードは急速にCDに代わっていきました。リュウちゃんが子供の頃、レコードはSP磐といいまして、片面3分少々しか音楽を収録できませんでした。その頃の歌謡曲を「3分芸術」なんていっていたものですが、これが、SP磐→FP(ドーナツ)磐→CDと進化するにつれて、シングル曲もどんどん長い曲が増えていきました。にも拘わらず、相変らず「紅白」では、昔のSP晩時代の「1曲3分少々」という考え方で、「紅白」を制作しているように感じ始めたのも、この昭和50年代からです。

番組制作現場が、音楽制作現場についていけなくなっているのではないか?

(5) 昭和53年の第29回の「紅白」のトリで出場した山口百恵ちゃんは、この時「プレイバックPart2」を歌ったのですが、一番の歌詞(詩:阿木 燿子)のオリジナルは「緑の中を走りぬけてく真っ赤なポルシェ」なのに、「紅白」では「ポルシェ」が、一般名詞の「くるま(車)」になっていました。この詞の生命線は、この「ポルシェ」という固有名詞の切れ味にあるのに。NHKは公共放送であるとの大義名分から、商品名である「ポルシェ」を外し、一般名詞である「くるま」に改竄してしまったのです。

何という暴挙!!!、これで、この名曲が死んでしまった!!!

これは、NHKの横暴という外に言葉が見つかりません。リュウちゃん、この「事件以来、「紅白歌合戦」に重大な疑問を抱くようになりました。

次回は、「紅白歌合戦のお話(4)」と致しまして、昭和の終わりから平成にかけての、状況を追って見たいと思います。「紅白」への疑問は、益々深まっていくのです。






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最終更新日  2009年12月24日 00時02分28秒
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