2219350 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

リュウちゃんの懐メロ人生

リュウちゃんの懐メロ人生

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
全て | 音楽・歌謡曲・懐メロ | 懐メロカラオケ | 懐メロ歌謡曲・カラオケ | 橋幸夫 | 美空ひばり | フォト・花・伊勢神宮 | フォトブログ・曽爾高原 | フォト・花と実・斑鳩の里 | 日本映画・小説 | フォトブログ | SF映画 | 猫のフォトブログ | 株・日本航空 | 音楽・紅白歌合戦 | 日本映画(邦画) | 外国映画(洋画) | SF・天文学 | 童謡・唱歌・歌曲 | 唱歌・抒情歌・童謡 | バンクーバー冬季オリンピック | フォトブログ・園芸、春咲く花 | 梅・桜・花のフォト | 国内旅行 | 歴史・奈良遷都 | のだめカンタービレ・クラシック音楽 | バラの花のフォトブログ | 花遍路・花のフォトブログ | スポーツ | クラシック音楽 | 洋楽ポピュラーミュージック | 時事問題 | 芸術・陶芸 | 原発問題 | 奈良散策 | 藤の花 | 京都散策 | 将棋・藤井聡太四段 | ブログ | 美術鑑賞 | 葛飾北斎 | 紅葉狩り | NHK朝ドラ「エール」、古関裕而 | 将棋・藤井聡太 | 東京オリンピック、パラリンピック | 巨樹探訪 | 将棋・藤井聡太5冠 | 寒牡丹と冬牡丹 | 梅行脚 | 河津桜 | 桜行脚 | 孫姫4姉妹 | アジサイ行脚 | ハスとスイレン | 馬見丘陵公園の花 | 長浜盆梅展 | 奈良県の河津桜 | 三重県の梅の名所「鈴鹿の森庭園」「いなべ農業公園梅林」 | 月ヶ瀬梅渓 | 醍醐寺の桜 | 2つの「吉野の桜」 | 函館「五稜郭」の桜 | 大和葛城山のヤマツツジ | 近江妙連 | 西ノ京ロータスロード | 歌川広重 | 咲くやこの花館 | 海遊館
2010年02月11日
XML
カテゴリ:外国映画(洋画)

リュウちゃん、先日、クリント・イーストウッド監督の新作「インビクタス(負けざる者たち)」を観て来ました。


クリント・イーストウッドは、リュウちゃんの世代の人間には、約45年前のマカロニ・ウェスタン、「荒野の用心棒」、「夕陽のガンマン」などを観られた方も多いかと思いますが、残念ながら、リュウちゃんは、ほとんど知りません。
リュウちゃんが「男はつらいよ」シリーズを観始めた昭和46年に第1作が公開された「ダーティハリー」シリーズも、ほとんど観ていません。


リュウちゃんがイーストウッドの映画に注目するようになったのは、平成7年の「マディソン郡の橋」からです。この映画は、ベストセラーとなったR・J・ウォーラーの小説の映画化、還暦を過ぎた男と、中年にさしかかった女の燃えるような恋を描いた作品でした。監督兼主演のイーストウッドは、この時65歳、共演のメリル・ストリープは、この時46歳、この映画の公開時、そろそろ50歳に手が届く歳になりましたリュウちゃん、この映画のラストでは、不覚にも涙でウルウルになってしまった記憶があります。

クリント・イーストウッドが、映画界最高の巨匠であり俳優だなと実感したのは、平成16年公開の「ミリオンダラー・ベイビー」です。この映画のラスト・シーン、ヒラリー・スワンク演じる女子プロボクサー・マギーを安楽死させた後、どこともなく姿を消すエンディングに、男(THE MAN)生き様、男(THE MAN)の死に様に、イーストウッドの美学を見ました。

この、イーストウッドの「美学」は、その後の「硫黄島からの手紙」の栗林中将の「美学」となっていきます(余談になりますが、「硫黄島からの手紙」のような映画が何故、谷口千吉、黒澤明、熊井啓、小泉堯史のような日本人の監督の手で映画化出来なかったのでしょうか?リュウちゃん、この点に関しましては、日本の映画界の貧しさが感じられて仕方が無い思いが致します)

昨年公開された「グラン・トリノ」は、クリント・イーストウッドの「THE MAN」の美学が、極限に達したような映画であると思いました。


映画「インビクタス(負けざる者たち)」は、モーガン・フリーマン演じるネルソン・マンデラが、1990年に27年間に渡った獄中生活から釈放されるところから始まります。時に、マンデラ71歳、マンデラを演じたモーガン・フリーマンは、この映画撮影時には71歳、年齢・風貌共に、まさにマンデラ役には、これ以上は望めない適役でした。

釈放後、4年目の1994年4月にマンデラは、南アフリカ共和国の第9代大統領に就任します。南アフリカ共和国は、1814年にイギリス領になり、1910年、南アフリカ連邦(自治領)となり、1961年、南アフリカ共和国と国名を変更、イギリス連邦から脱退し、独立国として歩み始めますが、「アパルトヘルト(人種差別)政策」という言葉が象徴するように、政権はイギリスからの移民の白人が支配し、公用語は英語、先住民である黒人はカラードと呼ばれ、様々な面で白人との差別を受けていました。

1918年生まれのネルソン・マンデラは、1944年、大学在学中にアフリカ民族会議(ANC)に入党、以降、「反アパルトヘイトの闘士」として名を馳せますが、1862年、反アパルトヘイト活動の罪で逮捕、1964年、国家反逆罪の罪で終身刑となり、収監されていましたが、全世界での南アフリカのアパルトヘイトに対する批判の高まり、第8代大統領デクラーク(もちろん白人)の、(国際的なアパルトヘイト政策に対する批判を受けたのか)先住民である黒人に対する融和政策もあって、上述した様に、マンデラは1990年に、27年間に及んだ獄中生活から開放されたのです。


映画は、釈放され、1994年に第9代大統領に就任したマンデラが、如何にして、実質的な、アパルトヘイト撤廃を推進していくのか、という点にドラマの焦点を合わせます。その大きなものとして、大統領就任の翌年(1996年)に南アフリカで開催されるラグビーのワールドラップを成功させよう、弱小であった南アフリカのラグビー・チーム、「スプリングボクス」を、強いチームに生まれ変わらせよう、というマンデラの行動が、ドラマの中心となります。

ラグビーは、サッカーと違い、イギリス発祥の、いわゆる紳士のスポーツとされていて、「スプリングボクス」のレギュラー15人の内、14人は白人、黒人は一人だけ、大統領であるマンデラは、このメンバーの人種構成や、「スプリングボクス」の名称、ユニフォームの変更を一切せずに、ワールドカップに臨むように持って行きます。

ある日、大統領の官邸に「スプリングボクス」の主将(マット・ディモン扮する)を招待し、歓談します。この二人の歓談のシーンが、この映画の第1の見所、マンデラは、若い主将に対し、声高に檄を飛ばすわけではなく、静かに、淡々と、自分の計画を話すのですが、この歓談の後、若い主将は、すっかりマンデラの人柄に魅了されてしまいます。


大統領という権力による強圧ではなく、無私で誠実な人柄と、静謐ではあるが情熱溢れるマンデラの言葉が、「アパルトヘイト」の世界に安住していた白人の若者の前途を大きく変えてしまったのです!


そうです、この映画の魅力の一つは、マンデラのダイアローグの美しさにあると思います。一度観ただけでなので、具体的にどこが魅力的であるのかは、お伝え出来ませんが、再度観る機会がありましたら、この静謐なダイアローグの細部に細心の注意を払いたいものだと思っています。

魅力の第2番目は、それまで白人のスポーツであったラグビーを、ワールドカップ開催というビッグ・チャンスを機会に、黒人達にも親しみのあるスポーツにしていくという過程の面白さではないでしょうか、
マンデラは、「スプリングボクス」のメンバーに、黒人居住区に出向き、そこに住んでいる貧しい黒人少年達に、ラグビーの指導をするように要請します。その要請を受けたメンバー達は、初めは渋々と黒人居住区に指導に行くのですが、少年達に指導している内に、黒人達との一体感・連帯感が生まれます。
その連帯感が、人種の垣根を越えて、南アフリカ共和国の国民的スポーツになって来たラグビーで、ワールドカップ優勝という、とてつもない偉業達成に繋がっていくのです。


しかし、何と言っても、この映画の最大の魅力は、モーガン・フリーマン演じるマンデラの生き様です。


この映画でのモーガン・フリーマンの存在感は、それこそ圧倒的で、本物のネルソン・マンデラさんさえ凌いでいるような錯覚さえリュウちゃんは覚えました。モーガン・フリーマン=ネルソン・マンデラを2時間余り観るだけでも、この映画を観る価値は充分にあるなと、リュウちゃんは感服しつつ、思ったのでありました。


今年はサッカーのワールドカップが南アフリカ共和国で開催されます。この映画での15年前のラグビー・ワールドカップのような奇蹟が、また南アフリカの人々を、新たな奇蹟に導く事になるのでしょうか?





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2010年02月11日 23時55分32秒
コメント(5) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.
X