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リュウちゃんの懐メロ人生

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2010年07月13日
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カテゴリ:スポーツ
 

ああ、大相撲よ、どこへ行くのか?

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(第4代横綱・谷風梶之助)

 

いよいよ、前代未聞の実況中継の無い大相撲が始まりました。

昭和21年生まれのリュウちゃん、少年時代は大相撲の大ファンでした。物心ついてから少年時代は栃錦、若乃花(初代)の、いわゆる「栃・若時代」で、テレビ時代の到来と共に、戦後の相撲人気が一挙に盛り上がった時期でありました。

 

NHKテレビが開局したのが昭和27年、栃錦が横綱に昇進したのが昭和29年、この時栃錦は身長178センチ、体重106キロ、ライバルの若乃花が横綱に昇進したのは、昭和33年、身長179センチ、体重103キロ、(栃錦は全盛時の体重は132キロでした)二人の横綱は、ほぼ同じ体格だったのですね、

 

この頃の最巨漢力士は、最高位が小結だった大起(おおだち)、身長194センチ、体重180キロ、昔の云い方で48貫目、(昔の云い方では。栃錦、若乃花共に28貫目ということになります)

敗戦から約10年を経たとは云え、まだ一般の庶民の暮し」は豊かではなく、日本人の体位も、現在と比較しますと、まだまだ貧しいものでした。因みに、昭和30年に二十歳を迎えた男子(昭和10年生まれ)の平均身長は、162,9cm、今年二十歳の男子の平均身長が約170cm強ですから、現在より8cm位、平均身長が低かったという事になります。

そのような中で、大相撲の力士の体格は、当時の世界水準を抜くもので、体格の点からも、力士は当時の日本人の憧れだったように思われます。

 

(キーワード1)力士の体位は当時の日本人の憧れ

 

リュウちゃんが大相撲に熱中した昭和30年代の初めの頃は、まだ一般家庭にテレビが普及していませんでした。リュウちゃんが育った所は、戸数が100軒弱の小さな集落でしたが、若乃花が横綱になった頃、この集落の中でテレビを所有していたのは(確か)3軒しかなかったと思います。小学生だったリュウちゃん、この3軒にはテレビを観るために、足繁く通ったのです。大相撲の他には、プロレスの力道山もご贔屓でした。散々攻撃された後に、「堪忍袋の緒が切れた」とばかりにくり出す空手チョップの嵐、宿敵シャープ兄弟、ボボ・ブラジルやプリモ・カルネラなどは、この空手チョップの嵐の中で、たちまちギブ・アップになるのでした。

 

力道山は元、大相撲の力士、二所の関部屋所属、上述の初代若乃花は取的時代に二所の関部屋に所属していたため、よく力道山に(相撲用語で云う)可愛がられたそうです。彼がプロレスで一躍、日本のヒーローとなったのは、昭和291229日、蔵前国技館で行われた日本ヘビー級王座決定戦で、柔道の日本チャンピオン・木村政彦(この時には、既にプロレスに転向していました)勝ってから、彼の人気は決定的になりました。

 

リュウちゃんが第48代横綱・大鵬の本物を初めてみたのは、確か昭和35年、中学1年生の時でした。伊勢神宮の奉納相撲で初めて本物の力士を見たのですが、当時、関脇にに昇進したばかりの大鵬は、まだ均整のとれた体格で、後年のようにお腹は出ていませんでした。白い肌が桜色に染まって、女性のような美しさでした。

 

小学校の頃には、大相撲とならんで、プロ野球にも熱中していました。今だに鮮明に記憶に残っていますのが、昭和33年の読売ジャイアンツ-西鉄ライオンズの日本シリーズ、巨人の監督は水原茂、西鉄の監督は三原脩、当時、宿命のライバルと云われていました。この年の日本シリーズは巨人が3連勝、その後、西鉄のエース、鉄腕・稲尾和久投手が奇蹟の復活、4連投で4勝、最初の3戦で2敗していましたので、この年の日本シリーズの稲尾投手の成績は4勝2敗!稲尾が登板しなかったのは第2戦だけという、現在のローテーションが確立されているプロ野球とは違って、高校野球並の連投に継ぐ連投でした。因みに、この年のペナント・レースで、稲尾は72試合に登板、3310敗の成績

この年の日本シリーズでの獅子奮迅の活躍ぶりは「神様、仏様、稲尾様」と讃えられました(昭和36年、稲尾投手はペナント・レースで78試合に登板、4214敗という大記録を打ち立てました。この記録は、今後、永遠に破られる事のない、不滅の大記録ですね)

 

昭和34年6月25日、後楽園球場での巨人-阪神戦も、近所のお家でテレビ観戦しました。この試合はプロ野球では初めてとなる「天覧試合」で、「卑しい職業野球」と揶揄されたところからスタートを切ったプロ野球を一挙に国民的スポーツの地位に押し上げました。試合は、入団2年目の長嶋茂雄のサヨナラ・ホームランで劇的なサヨナラ勝ち(スコアは5-4)、この時の阪神のピッチャーはルーキーの村山実でした。尚、王貞治も、この年に巨人に入団、この「天覧試合で、長嶋と共にホームランを放ち(王=通算第4号ホームラン)、いわゆる「O・Nアベック。ホームラン」の最初の試合となりました(O・Nアベックホームランは通算106回だそうです)

 

この「天覧試合」で、プロ野球は、大相撲と並ぶ国民的人気プロ・スポーツとなりました。ノンフィクション作家、佐野真一の「巨怪伝」によりますと、この「天覧試合」の仕掛人は読売新聞・読売ジャイアンツ、日本テレビ放送網の社主であった正力松太郎、日本の民放テレビ第1号の会社として、NHKに対抗出切る人気番組を作る事を模索していた正力が、「相撲のNHK」に対し、「プロ野球の日テレ」というNHKに対抗できる図式を確立したのが、「天覧試合」だったという訳です・

 

(キーワード2)NHK対民放のスポーツ中継戦争

 

昭和39年、相撲と共に日本のお家芸とされていた柔道に衝撃的な事件が起こりました。東京オリンピックで初めて正式競技として採用された日本のお家芸・柔道の無差別級(当時は柔道=無差別級という考えが一般的でした。柔よく剛を制す、これは相撲の醍醐味でもあった筈です)で、金メダルが確実視されていた神永六段を、オランダのヘーシンク三段が袈裟固め一本で下し、金メダルを獲得してしまったのです。

 

(キーワード3)国技の国際化による衝撃、「柔よく剛を制す」から「やはり剛がベスト」へ

 

昭和39年の「東京オリンピック」開催の頃から、日本は高度経済成長の時代に入りました。それに伴い、中央と地方の経済格差の縮小、日本人の体格の飛躍的向上、高学歴社会時代の到来、社会のあらゆる部分に於ける国際化の到来と、昭和30年代と比べまして日本人の生活環境は劇的に様変わりしました。

 

(キーワード4)中央と地方ぼ経済格差の縮小、高学歴社会の到来、体格の向上

 

 

昭和42年3月場所、ハワイ出身の高見山が初めて外国人として関取になりました(最高位は関脇)その後、小錦が昭和58年に関取となり、大関まで昇進しました。身長184cm、体重285kg、昔の云いかたでは、76貫目!!

力士の大型化を象徴するような関取でした。ハワイからは、その後、曙、武蔵丸が横綱に昇進、それぞれ、体重が232キロ、223キロの超大型力士、

リュウちゃんが子供の頃には、相撲は「心・技・体」といいまして、小さい力士が大きい力士を倒すのが相撲の醍醐味だと思っていましたが、かっての巨漢力士、大起の48貫目を遥かに上回る71貫目の小錦が出現した事で、大相撲は、「心・技・体」の三位一体の時代から、「体」だけの時代になってしまったように思われます(何か、淋しさを感じています)

 

(キーワード5)力士の大型化の加速、「心・技・体」の三位一体の時代から、「体」だけの時代への移行

 

近年、メタボリック症候群が世界的に大きな話題になりましたが、大型力士の体型は、まぎれもなくメタボ体型ですね、これに関して、象徴的な出来事がありました。

65代横綱・貴乃花光司、全盛時は身長183cm、体重155キロ、それが引退し、貴乃花親方になってから、体重を一挙に半分近くの80キロ台に落としました。体重を落としたきっかけは、膝への負担を軽減するためという事だそうですが、この体重では弟子を自ら指導出切るのか?はなはだ疑問に思いますね。

 

(キーワード6)メタボリック・シンドローム

 

日本人の横綱は、第66代・若乃花勝が最後で、横綱昇進が平成10年5月、すでに彼が横綱になってから12年の歳月が流れています。ずっと後世から大相撲を振り返りますと、「若乃花勝関が最後の日本人横綱だった」という事になるような感じがしています。

 

今回は、リュウちゃんの幼児からの大相撲や他のスポーツとの関りを書きましたが、次回は、最近の不祥事に関連しまして、リュウちゃんの大相撲に対する個人的な感想を書いて行きたいと考えています。大相撲ファンの方も、そうでない方も、リュウちゃんブログに感想のコメントを頂ければ幸いです。宜しくお願いいたします。

 

 






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最終更新日  2010年07月13日 10時23分40秒
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