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リュウちゃんの懐メロ人生

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2011年03月25日
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カテゴリ:時事問題

 

ああ許すまじ原爆(原発)を
  三度(みたび)許すまじ原爆(原発)を
tfa475.jpg
(サルバドール・ダリ:燃えるジラフ)


★ 1945年8月6日、広島市に原爆投下、当時の廣島市の人口約35万人、内、14万人が投下直後に死去、その後の被爆が原因での死者、後遺症に悩む人多数。

★ 1945年8月9日、長崎市に原爆投下、当時の長崎市の人口約24万人、内、約15万人が投下直後に死去、その後の被爆が原因での死者、後遺症に悩む人多数。

★ 2011年3月、11日に起きたマグニチュード9,0の巨大地震と直後の大津波を原因として、福島第1原子力発電所の大事故発生、事故から約2週間経た現在でも、予断を許さない危機的状況が続いている。


福島第1原子力発電所の大事故は、日本に於ける「第3の原爆投下」だ!

1945年の2度に渡る原爆投下で、私達日本人は世界で初めての原爆被爆国になりました。この直後から、日本人は世界唯一の被爆国として、反原爆を誓った筈でした。

以下に、昭和29年に発表された「原爆許すまじ」の一番の歌詞とYou-Tubeを
貼り付けます。

1 ふるさとの街焼かれ
  身よりの骨埋めし焼土(やけつち)に
  今は白い花咲く
  ああ許すまじ原爆を
  三度(みたび)許すまじ原爆を
  われらの街に



「原爆許すまじ」の作詞者は、浅田石二、当時、東京・大井町の町工場の工員でした。作曲者の木下航二は都立日比谷高校の社会科教諭でした。
この歌は、昭和29年、太平洋のビキニ環礁での水爆実験で被爆し、死去した第五福龍丸の乗組員・久保山愛吉さんの故郷、静岡での漁民葬に於いて、静岡大生などによって歌われ、以後、反原水爆運動を象徴する歌となりました。

一般庶民の反・原水爆運動とはうらはらに、日本では「原子力平和利用」の美名の下に、終戦の数年後から原子力発電に関する研究や推進が行われてきました(以下、ウィキペディァの「原子力発電」の記述を参考にして、日本の原発推進の状況を辿ります)

★ 1954年3月、「原子力研究開発予算案」が国会に提出(予算案作成者=中曽根康弘、稲葉修、齋藤憲三、川崎秀二の各氏)
★ 1955年12月、「原子力基本法」が成立、この時に、1.研究の民主的な運営、2.日本国民の自主的運営,3.一切の情報の完全公開、の、いわゆる「原子力3原則」が原子力研究に反対する立場の「日本学術会議」から提出された。
★ 1956年1月、「原子力基本法」の成立を受け、「原子力委員会」設立(初代委員長=読売新聞社社主・正力松太郎)
★ 1956年6月、「日本原子力研究所(現・独立行政法人「日本原子力開発機構」)が特殊法人として発足、研究所が茨城県東海村に設立された。以後、東海村は日本の原子力研究の中心地となっていく。
★ 1957年4月、「原子力平和利用懇談会」立ち上げ(会長=正力松太郎)
★ 1957年5月、科学技術庁発足、初代長官となった正力松太郎氏は、以降、日本への原子力発電の導入におおきな役割を果し、「日本の原子力の父」と呼ばれている。
★ 1962年10月、日本最初の原子力発電が茨城県東海村の実験炉で行われた。
★ 1965年5月、日本最初の商用原子力発電所である「東海発電所」が稼動


★ 現在、日本には建設中のものを含め、69の原子力発電所が存在し、電力総需要の約30パーセントを原子力発電でまかなっている。

1945年の2度に渡る原爆投下を受け、「三度許すまじ原爆」を固く誓った筈の日本人が、それから約65年後には、世界に名だたる原発大国になってしまいました。


世界に名だたる地震大国の日本が、ここまで原発大国になってしまったのは、いつの間にか形作られた「安全神話」がバックボーンにあったのですが、「想定を遥かに上回る」、巨大地震・巨大津波によって、モロくも「安全神話」は崩れ去り、関東圏の人々を途端の苦しみに陥れています。

今回の大震災が起きる直前まで政府は、これまで電力の30パーセント原発依存だったのを、48パーセント依存に引き上げようと画策していましたが、今回の大事故を受けて、この計画は脆くも瓦解しました。原発の新規開発はおろか、稼動中の原発も早急に別の電源に代替せざるを得ない、今後、原発に頼ることは国民感情が許さない筈です。


 ああ許すまじ原爆(原発)を
  四度(よたび)許すまじ原爆(原発)を

 ああ許すまじ原爆(原発)を
  四度(よたび)許すまじ原爆(原発)を



前回に続き、ソプラノ歌手、バーバラ・ボニーの美しい歌をUPします。
シューベルト「水の上にて歌える」



シューマン「くるみの木」

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前回の拙ブログに多数の心温まる書き込み・コメントを頂き、どうも有難う御座いました。本来なら一つ一つにご返事を差し上げるところなのですが、今回はこの場で一括して御礼申し上げます。

尚、娘のボランティア活動に関連しまして、以下の事を追記します


23日の朝日新聞の朝刊の「支援通信」面に、「赤ちゃんとママを守ろう」という署名入りコラムが掲載されました。

この記事によれば、


(1)三つのNPO法人が協同で「赤ちゃん一時避難プロジェクト」を立ち上げた。
(2)ユニセフはソマリアで事業部長を務める国井修医師を日本に派遣、母子や妊婦の支援をつくろうと関係先で調整を始めた。

国井氏の話、「避難所では高齢者には比較的配慮が行き届くが、妊婦や乳幼児を抱えるお母さんはあまり注目されない。母乳は衛生的で免疫成分も入っているので、母乳育児を続けるための支援も必要」と話した。

以下は娘からの追記のメールの一部です。

あと、転載してもらった呼びかけ文に出典が抜けていました!
以下

参考資料:
WABA:「グローバル化」時代の母乳育児 2003年
BFHIニュース、ユニセフ 1999年9月/10月
WHO/ユニセフ「乳幼児の栄養に関する世界的な戦略」2003年(2004年訳)
ラ・レーチェ・リーグ・インターナショナル「月満ちて生まれた健康な母乳育ちの赤ちゃんが、母乳がたりているかどうかを見分ける方法」(2003年改訳)

被災された皆様、頑張って下さい!






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最終更新日  2011年03月25日 23時26分13秒
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