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カテゴリ:日本映画(邦画)
"Le vent se lève, il faut tenter de vivre" 風立ちぬ、いざ生きめやも
7月20日、宮崎駿の「崖の上のポニョ」以来、5年ぶりの新作アニメ「風立ちぬ」を観てきました。
「風立ちぬ」HP
例によって、観る前の事前知識は殆ど無しで、ほぼ白紙の状態で観ることにしましたが、
リュウちゃん、久しぶりに深い感動を覚えました。
観終わった後で、 あの映画の感動は何処から来たのだろう? と考え、少し調べてみました。
この映画は、太平洋戦争中にゼロ戦の開発などで名を馳せた航空技術者・堀越二郎の生い立ちから終戦までの半生を立軸として、それに同時代の作家・堀辰雄の小説「風立ちぬ」のエピソードを巧みに絡ませるという構成になっています。また、映画の中の堀越二郎は、イタリアの航空技術者、ジャンニ・カプロー二を尊敬していて、彼の造った飛行機で空を飛ぶ夢をよく見ます。
この夢のシーンは冒頭・中間部、ラストシーンと、(確か)前後6回出てきて、この映画の「空に憧れ、航空技術者に憧れ、戦争の前に技術者になるが、設計した飛行機はゼロ戦など戦闘機ばかり、やがて敗戦、最後の夢は、彼の造った戦闘機が無惨に瓦礫のように地上に散らばっている」という、この映画の狂言回しのような役割を果たしていると思いました。
以下にこの映画に登場した3人の実在の人物のプロフィールを簡単に書いてみます。
★ 堀越二郎 1903年(明治36年)、群馬県藤岡市生まれ、藤岡中学校~第一高等学校~東京帝国大学工学部航空学科をそれぞれ首席で卒業、三菱内燃機製造入社、九六式艦上戦闘機、零戦、雷電、烈風などの戦闘機の設計で名を馳せた。戦後は東大同期の木村秀政らと共に、「YS-11」の設計に参加した。会社退職後は、東大宇宙航空研究所、防衛大学校などで教鞭を取った。1982年、79歳で死去。 下の写真は、ウィキペディァにあった堀越二郎の学生時代の写真です。
★ 堀辰雄 1904年(明治37年)東京生まれ、府立三中(現・両国高校)~第一高等学校~東京帝国大学文学部国文科卒業、肺結核を病み、軽井沢で療養することが多かった。1933年(昭和8年)、矢野綾子と知り合う(彼女も肺結核患者だった)。 昭和9年、彼女と婚約し、二人で八ヶ岳山麓の療養所に入院するが、彼女はその年の冬に死去、 矢野綾子との短い交流を描いた小説が代表作「風立ちぬ」です。
以下に、小説「風立ちぬ」の全文を貼り付けます(作中の節子のモデルは、矢野綾子です) http://www.aozora.gr.jp/cards/001030/files/4803_14204.html
★ ジャンニ・カプロー二 1886年(明治19年)、ローマ生まれ、イタリアの航空機設計者、1908年(明治41年)、航空機会社「カプロ二」創業、1911年、初めて実用航空機を製造、、三翼機ながら全9枚の主翼を持ち、わずか18メートルの浮揚後墜落した無尾翼飛行艇「カプロニ Ca.60」など、非常にユニークな航空機を設計した事で知られる(この「カプロニ Ca.60」は、映画の夢のシーンに登場する最も魅惑的な飛行機です)、 第1次~第2次世界大戦中、数々の航空機を製造したが、戦後は格段に進歩した航空業界で競争力を失い、1950年に会社は消滅した。1957年、71歳で死去。 宮崎駿は、「紅の豚」を製作した後で、ジャンニ・カプロー二の曾孫に、カプロ二社の飛行機の構造物がいっぱい入ったものを贈られたのだそうです。 以下はイタリアで発行されたカプロー二の肖像をデザインした切手です。
宮崎駿は、上記3人の実在する人物を自在に絡ませたストーリーを月刊模型雑誌「モデルグラフィックス」に漫画として2009年4月号~2010年1月号に10回に渡り連載しました。当初、宮崎駿はこの漫画のジプリでの映画化を、「子供向けの内容ではない」と渋っていたようですが、プロデューサーの鈴木敏夫に強く勧められて映画化を決断したようです。
★ 実在した堀越二郎と映画の堀越二郎の虚実皮膜 宮崎駿の映画では、実際の堀越二郎の企業人としての半生に、プライベートなエピソードとして、堀辰雄の「風立ちぬ」にある結核患者の里見菜穂子との恋愛・結婚・死別というエピソードを巧みに繋いでいます。また、夢のシーンではイタリアの航空機設計者・ジャンニ・カプロー二と何回も逢い、彼の人生の指針をカプロー二から得ることになります。
★実在した堀越二郎は、実際には 堀辰雄、カプロー二と出逢っていたのか?
堀越二郎にとって、堀辰雄は、一高、東大の1年後輩です。当時の一高の定員は文科約200人、理科約200人、計400人と、少人数だったので、多分、2年間、一高で同窓だった二人は友人関係ではなかったにせよ、少なくとも顔見知りだった可能性は大きいと思われます。
カプロー二は二郎より17歳年上です。しかし、共に優秀な航空機設計者だったので、仕事を通じて第2次世界大戦の前後の時代に知己を得た可能性はゼロではないと思います。
宮崎駿は、堀越二郎と堀辰雄、ジャンニ・カプロー二の交遊を想像し、それで、虚構と現実の微妙なはざまにある絶妙な虚実皮膜のストーリーを創り出したのだとリュウちゃんは思いました。
以上、長い前置きになりましたが、次回は、物語の流れに沿って、この映画の魅力を書いて見たいと思います。
(以下、宮崎駿の新作「風立ちぬ」を観る(2)に続きます) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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