命を読む、つなぐ
柔らかい口調で少しでも心に沁みこむように、
(吉永小百合インタビュー37面の見出し)
前回のブログでは、8月6日の朝日新聞の吉永小百合さんのインタビュー記事の予備知識として、『「吉永小百合さんと広島、長崎、福島」を基にした年譜』を書いてみましたが、今回のブログでは、インタビューの内容の詳細を出来るだけ忠実に再現したいと思います。
この記事では、37面は明確に朝日新聞と小百合さんのQ&Aになっていますが、一面の記事はそうなっていません。全体を統一する為に、一面の記事も含め、全体をQ&Aの形式に書き直して見ました。なので、少し記事本文に違和感が生じる点があるやも知れませんが、お許し頂きたいと思っています。
★Q&A形式による吉永小百合インタビュー
(朝日新聞の質問:以下、単にQとます)終戦の年と同じ1945年に生まれた吉永さんの人生は、広島・長崎への原爆投下で幕を開けた「核の時代」と重なりますが、、
(吉永小百合さんのアンサー:以下、単にAとします)「日本人だけはずっと、未來永劫、核に対してアレルギー持って欲しい」
(Q)唯一の戦争被爆国・日本は今、核兵器廃絶を唱える一方で、米国の「核の傘」に頼るジレンマを抱えていますが、、
(A)「どういう形にせよ、核の傘に入っているにせよ、あれだけ酷い広島、長崎の原爆被害があったんだから、それを皆しっかり勉強して、どんな状況にも核兵器はノーと言って欲しい」
(Q)2011年3月の東電福島第一原発事故で、「核と人類は共存出来るか」という課題と向き合うことになりましたが、、
(A)「本当の核の威力というものが私にはまだ判っていない」
「でも原子力の発電というのは、特に日本では止めなくてはいけない。これだけ地震の多い国で全く安全ではない造り方、管理の仕方をしている訳ですから。
どうやって廃炉にしていくかを考えないと、」
(Q)原発の再稼働や輸出の動きに対しては?
(A)「『さよら原発』と私は声を出して言いたい。皆の命を守るために、今せっかく原発が止まっているのだから、今やめましょうと」
「まだ毎日、汚染水など現場で苦しい思いの中で作業していらっしゃる方が沢山いる。そういう中で外国に原発を売るというのは、とても考えられないことです」
(リュウちゃんの注釈:以下、単に『注』と表示します)日本では、フクイチの事故が起きる以前から官民挙げて原発プラントの輸出を国策として進めて来ました。今は原発ゼロを標榜している菅直人元首相も、3・11の福島の事故が起きる前は原発輸出を推進する立場にありました。菅直人氏はフクイチの事故後、原発輸出の考え方を180度改めましたが、その為に政権から引きずり降ろされてしまいました。菅氏の後の野田首相は原発輸出推進派でしたが、野田氏の後の安倍首相によって原発輸出は大幅に加速しています。
現在のところ、ベトナム、ヨルダン、トルコ、アラブ首長国連邦(UAE)、インドなどにも原発を輸出しようとしていますが、当該国の民衆の殆どは反対しているようです。ベトナム、ヨルダンへの原発輸出の問題に関しては以下のサイトを参考にして下さい。
http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-1087.html
(Q)被爆・戦後69年となる今年、日本では戦争放棄をうたう憲法9条の解釈が変えられ、自衛隊が他国を守るために海外で戦う集団的自衛権の行使容認が閣議決定されましたが、、
(A)「今の流れはとても怖い。大変なことになる気がしているんです」
「政治が悪いからと言っていえる段階ではない気がしています。一人一人の権利を大切にし、しっかり考え、自分はどう思うかを語らなければならない」
(Q)核の無い世界を目指し、吉永さんは原爆詩の朗読CD「第二楽章」の広島版と長崎版を作られましたが、、
(A)「私は俳優だから、詩を読むことが一番伝わる」
「次は福島の第二楽章を作りたい」
(Q)詩の朗読で自ら選んだ一つが、「にんげんをかえせ」で知られる峠三吉の「原爆詩集・序」でした。
(A)「どんな朗読会でも最初に読む、まさに『序』なんです。峠さんの全ての思いが詰まっています。全く原爆のことを知らない方でも、『えっ』という思いになって下さる気がするので、日本語と英語で読むようにしています。本当のことを言えば、もっと強い表現の詩が沢山あります。ただ、それを直接読んでしまうと、拒否反応があると思うんです。最初に判り易く、やさしく読んで、『あぁ、こうゆう詩があったんだ、じゃあ、違う詩も読んでみよう』と思って下されば一番いい」
(注)小百合さんが原爆詩を朗読している動画の中には、峠三吉の「序」の英語ヴァージョンを朗読したものは見つけることが出来ませんでした。「序」のオリジナルの詩は前回のブログで紹介しましたので、今回は以下に英語ヴァージョンを貼り付けます。
英語音痴のリュウちゃんにも分かる簡単な英詩だ!
(峠三吉氏)
give back my father give back my mother
give back the elderly
give back the children
give back myself to connect to myself
give back humanity
as long as there is a world a human world
give back our peace an unbreakable peace
(Q)朗読の手応えは?
(A)「私の力は小さくて、大きくならないいんですけど、例えば朗読を聴いた学校の先生たちが子供たちに教えて下さり、その生徒が先生になって、ご自身が子供たちに教えている。受け止めて下さった方がまた次に伝える。それが被爆者の方たちの一番の願いだと思うし、年齢的にも中々先頭に立って動けない場合もあるから私たちがその思いを受け止めて伝えていかないと」
「そうすると全然そういうことを知らない、知ろうとしない人たちにどうやって分かって頂くかが一番の問題でしょうね。スティーブン・オカザキという日系アメリカ人の監督がドキュメンタリーの冒頭で、渋谷の女子学生にインタビューして、『1945年8月6日に何が起きたか知っている?』と聞いたら、『え~、知らない、地震?』って、鳥肌が立つほど悲しかったんですよね。そんな事が日本であってはいけない。皆があの時の痛みを分かろうとしないといけないと思います」
(注)スティーブン・オカザキ氏は1953年生まれ、日系3世のアメリカ人ドキュメンタリー映画監督です。1985年に広島・長崎の被爆者を題材にした「Survivors」で高い評価を受けました。2006年、原爆投下から60年後の広島を描いた「マッシュルーム・クラブ」はアカデミー・ドキュメンタリーにノミネートされました。以下のサイトは、その「マッシュルーム・クラブのトレーラー(予告編です。
http://www.youtube.com/watch?v=KifQIy39BBk
このトレーラーの最後のシーンは、まさに衝撃!
現実の原爆投下では、この何万倍、何十万倍もの残酷な衝撃があったのですね。私たちはこのような衝撃から目を背けることなく、風化させることなく、後世に伝えなければならないのだと思っています。
(原爆の図の一部)
今回のブログでインタビューの全てを書いてみようと思いましたが、この辺で容量不足になってしまいました。なのでインタビューの後半は次回に回します。
(以下、「命守るため、さよなら原発」~吉永小百合・朝日新聞インタビュー(3)に続きます)