箸墓・全長280mの巨大前方後円墳、
邪馬台国の女王・卑弥呼の墓なのか?
増々拡がる古代ロマンの夢
(卑弥呼の墓である可能性が高くなった「箸墓古墳」)
(前回のブログの続きです)
チョコレートコスモスのチョコレートの香りに酔いながら安倍文殊院を午前11時過ぎに後にし、この日のもうひとつの目標である大神(おおみわ)神社、箸墓に徒歩で行くことにしました。
先ずは大神神社です(下の写真)、この神社はリュウちゃんの故郷、伊勢神宮や天理市にある石上(いそのかみ)神宮などと共に、日本最古の神社で、ご神体は背後に聳える標高467mの「三輪山」そのもの、なので「ご神体を祭る「本殿」を持たず、本殿のように見える下の写真の建造物は、「拝殿」なのです。
しかし、境内に入ると、ご神体の三輪山は全く見えません。
下の写真は、境内の外にある「大鳥居」から大神神社方向を眺めたものです。鳥居の下部に見えるのが三輪山です。
三輪山は、飛鳥時代のヒロイン、額田王(ぬかたのおおきみ)の詠んだ万葉集の歌、
三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや
などによって、古代ロマンの世界に導かれる名山なのです。
大神神社に着いたのが12時過ぎ、お腹が空いてきましたので、ここの休憩所で持参したおにぎり弁当と缶ビール(2缶)で昼食、
プファー、ビールが喉に沁みる、旨い!
暫しのビール昼食を愉しみ、午後1時過ぎ、今日の主目的地であります「箸墓」に徒歩で向かいました。
冒頭及び下の写真は、その「箸墓」です。大神神社からこの地点までは、大体徒歩30分位、背後に見える山は先ほど紹介した三輪山です。箸墓と三輪山は極めて近い場所にあるのです。
全長280m、壮大で優美な前方後円墳だ!
「箸墓」は「古事記」や「日本書紀」などでは、第7代・考霊天皇の皇女・倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓とされてきましたが、すぐ近くにある纏向(まきむく)遺跡の発掘により、この遺跡が古代邪馬台国の女王・卑弥呼の住んでいた「都」ではないかとの説が有力になり、「箸墓」も卑弥呼の墓である可能性が強くなってきました。「魏志倭人伝」の記述では、卑弥呼の没年は西暦248年(3世紀半ば)とされていますが、纏向遺跡および箸墓の建造年代もこれに合致するそうです。
まるで三輪山から卑弥呼が舞い降りて来るようだ!
一瞬、そんな幻想にとらわれたのも、ビールの酔いのせいだったのでしょうね(苦笑)
下の写真は、箸墓から20分位北上した所にある景行天皇陵(第12代天皇・古墳名:渋谷向山古墳・全長310mの前方後円墳)です。景行天皇は「古事記」などでは殆ど事跡が記述されていず、その存在が疑問視されていますが、古代のヒーロー、ヤマトタケルノミコト(倭建命・日本武尊)の父親と云われ、「記・紀」ではヤマトタケルの記述に多くのページを使っています。
倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく
青垣 山隠(やまこも)れる 倭しうるはし
以上の歌は、「古事記」ではヤマトタケルの辞世の歌、「日本書紀」では景行天皇の「望郷の歌」とされています。奈良を象徴する名歌ですね。
景行天皇陵から国道を後にして「山の辺の道」に入りました。
下の写真は、景行天皇陵から30分くらい山の辺の道を北上した所にある崇神(すうじん)天皇陵(第10代天皇、古墳名:柳本行燈山古墳・全長242mの前方後円墳)です。
崇神天皇は実在性が疑われている神武天皇と同じ「御肇國天皇(ハツクニシラススメラノミコト)」という称号(諡号)を持っています。
最近の古代史研究によれば、崇神天皇が初代天皇であり、神武天皇と同一人物であるとする説が有力なのだそうです。
卑弥呼~ヤマトタケル~神武天皇~崇神天皇
リュウちゃんの頭の中で、古代の幻想がいつ果てるともなく、グルグル回り続けるのでした。
午後1時に大神神社を出発し、下記写真の標識のある場所にたどり着いたのが午後3時50分、「山の辺の道」の終着点、石上神社まで、まだ4,2キロもある!大和神社からバスで帰ろうか?
ええい、ここまで来たからには、最後まで歩いて帰ろう!
「山の辺の道」の終着点・石上神社に着いたのが午後5時少し前、天理駅に着いたのが午後5時30分、朝11時に安倍文殊院を出発してから6時間半の徒歩の旅でした。
山の辺の道沿いには、下記の写真のように、柿の木、コスモスが至る所に見られ、充実した1日になりました。
10月18日から奈良の県立美術館で「大古事記展」が開催されます。
http://www.pref.nara.jp/miryoku/daikojikiten/
今度は「大古事記展」で
再び「古代ロマン」を味わいたいと思ったリュウちゃんなのです。