チョコレート色の、チョコレートの匂いのチョコレートコスモス、
今年も安倍文殊院で逢えた!
(前回のブログの続きです)
藤原宮跡から、まっすぐ東に向かって歩くこと40分で、第2のコスモススポット・安倍文殊院に着きました。
安倍文殊院のコスモスも満開だ!
安倍文殊院には、下の写真のような「コスモス迷路」が造られています。藤原宮跡のコスモスと違い、ここのコスモスは背丈が2~3m、普通の大人の背丈より高いので、子供と同じように迷路を楽しめるのです。
「コスモス迷路」の前に10数鉢のチョコレートコスモスが咲いていました。
他のコスモスと違い、背丈は20cm前後、
これはコスモスの中の宝石だ!
安倍文殊院の高台からの俯瞰の写真です。
手前にコスモス迷路、その後ろにこの地で出生したとされる安倍仲麻呂(698年~770年)、陰陽師として最も著名な安倍清明(921年~1005年)などの「安倍一族」を祀る「金閣浮御堂」(仲麻呂堂)があります。金閣浮御堂の右の背後の山は、先ほど通り越してきた大和三山の一つ、「耳成(みみなし)山」です。
天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも
、
という百人一首の短歌で有名な安倍仲麻呂は、安倍文殊院で出生したとされています。19歳の時に第9次遣唐使に同行、唐の都「長安」に辿りつき、ここの大学に学び、超難関である官吏登用試験「科挙」に合格、玄宗皇帝の治下の唐の朝廷で主に文学畑の役職を歴任、盛唐の大詩人、李白、王維などとも親交があったようです。
何度か遣唐使船に乗って日本帰国を試みましたが、結局、その思いは果たせず、在唐54年で、安南都護府(現・ベトナムのハノイ)で73歳の生涯を終えたのだそうです。
日頃親しんでいる「天の原~」の歌、
安倍の仲麻呂の生涯を考えると、
彼の望郷の思いが切実に伝わってくるな。
安倍文殊院を出たのが午前11時過ぎ、次の目的地、邪馬台国の「卑弥呼の墓」とされる「箸墓」に向かいました。
安倍文殊院から歩くこと45分、ちょうど正午に大神(おおみわ)神社の大鳥居の前に到着、鳥居の間に見える山は大神神社の神体、「三輪山」(標高467m)です。
大鳥居から10分程歩いたところに以下のような看板が立てられていました。
縁結び「赤糸の小道」周遊ルート
ここは「運命の赤い糸伝説」発祥の地なのか!?!
(伝説の由来につきましては以下のサイトを参照して下さいね)
http://www.eonet.ne.jp/~akaito/yurai.html
「赤糸の小道」の看板の場所から徒歩5分で「箸墓」が雄大な姿を現しました。
ちょうど昼食時、昨年と同じように、ここの土手で昼食、
プファ~、ビールが旨い!
龍が横たわっているような「箸墓」が雄大だ!
箸墓から山の辺の道を辿り、次の目的地である「崇神(すじん)天皇陵」に向かいました。缶ビール2缶を飲んで少々ホロ酔い、
下の写真は、「山の辺の道に咲くコスモス」、
「箸墓」の次の目的地の「崇神天皇陵」に着いたのが午後1時半。
天皇陵の前の道の脇に以下のような道標が立っていました。
龍王山、4,0km」
これ、頂上まで4キロということだな。
山道4キロは大体1時間半くらいで辿りつけそうだ、
よし、龍王山登山にチャレンジしよう!
最初の数百メートルは舗装されたなだらかな林道で右手にススキや谷川のせせらぎを見て、歩み快調、
しかし、舗装が途絶え、石ころだらけの急な山道に入ると、体調が急変、心臓がバクバクして額に油汗が出てきました。
いけない!喉が渇いてきた。
水が飲みたい!
山道の途中で水飲み場を発見、やっとの思いで喉を潤すことが出来ましたが、体調は戻らず、百歩歩いては3分休憩するという体たらく、
結局、もう頂上にすぐ近いと思われる下記の写真の場所で龍王山登頂を断念、
規模は全然違うが、
富士登山に例えれば、頂上目前の9合目で引返すようなものだ、
不甲斐ない!
標高586mの低い山とはいえ、ホロ酔い気分での挑戦は無謀だった、
不甲斐ない! 反省!
龍王山山頂には、中世に「龍王山城」という大和国随一の山城が築城されていて、現在も城の遺構が一部残っているようです。また頂上からの展望は、大和平野が一望出来る素晴らしいものなのだそうです。
悔しいので、龍王山から大和平野を一望した写真をネットから借りてきて、以下に貼り付けます、
下の写真で、背後の山並みは葛城山と金剛山、写真中央の三角形の小山は今朝散策した藤原宮跡を囲む大和三山の一つ「耳成山」、その左手奥のやや大きい山が同じく大和三山の一つ「畝傍山」です(「天の香久山」は写真が切れた左手手前にある筈です)
崇神天皇陵の手前の道標の所に戻ったのが午後4時過ぎ、いつもなら、ここから山の辺の道を北に辿り、石上(いそのかみ)神宮を経由して天理駅まで歩くのですが、今回は崇神天皇陵の近くにあるJRまほろば線の「柳本駅」をゴールとしました。
下の写真は崇神天皇陵の近くの柿の木から龍王山を見上げたものです。
こんなにになだらかな山なのに、登頂出来なかった。
返す返すも、情けない!
下の写真は崇神天皇陵の写真です。全長242mの巨大前方後円墳、卑弥呼の墓とされる「箸墓」は何となく「優美」さを感じますが、崇神陵は「豪気」な感じがするリュウちゃんなのです。
ゴールのJR柳本駅に着く前に、途上にある「黒塚古墳」に立ち寄りました(下の写真)
「黒塚古墳は「箸墓」と同時代、3世紀末頃に造られた前方後円墳で、現在は公園として整備されています。
この古墳が注目されたのは、1997年頃の発掘調査で、33面の「三角神獣鏡」が発見されたことです。
卑弥呼のことを記述した「魏志倭人伝」によれば、卑弥呼は238年頃に「魏」国に朝献し、「親魏倭王」の称号と共に銅鏡などを貰ったと書かれています。
ここが卑弥呼の陵だったのか?
それとも「箸墓」が卑弥呼の陵だったのか?
歴史の謎は深まるばかりなのです。
JR柳本駅に着いたのが午後5時、午前9時半にJR畝傍駅をスタートしたコスモス散策の旅は、7時間半後にゴールに到着しました。
今度は素面(シラフ)で龍王山に登り、
大和平野の絶景をこの目で見よう!