黄金色に輝く一言主神社の乳銀杏、
1200年の星霜を経て、今も神々し
奈良に住んで35年、初めて「葛城古道」を歩いて来ました。
葛城古道は、奈良と大阪の県境にある金剛山地の奈良側の、金剛山と葛城山の麓にある古代の道です。
奈良盆地の東は「山の辺の道」、西は「葛城古道」
なのです。
以下に葛城古道の散策マップを貼り付けます(赤く塗られた道が葛城古道です)
上記の散策マップ、ちょっと字が小さくて読みづらいのですが、簡単に補足します。
地図の左側中央にあるイラストが、今回のリュウちゃんの散策の起点となった「高鴨神社」です。上に出っ張った頂点にあるのが「高天彦神社」、そこから右側に降りたところに「高天原」・「橋本院」があり、出っ張りの右下部が「極楽寺」、極楽寺から右側に辿り、また上に上がった道の頂点にあるのが「葛城一言主神社」、そこから右に行くと「九品寺」、赤い道の終着点が「六地蔵」、六地蔵から白い道を下に降りますと(散策図の右下)、近鉄御所(ごせ)駅があります。
今回、リュウちゃんが辿った経路は以下です。
「高鴨神社」→「橋本院」→「高天原(たかまがはら)」→「高天彦(たかまひこ)神社」→「極楽寺」→「葛城一言主神社」→近鉄御所駅、(行程全長:約15キロ)
例によりまして奥方お手製のおにぎり弁当とリュウちゃんお手製の缶ビール(2缶)をリュックに詰め、午前10時30分、「高鴨神社」到着、
「高鴨神社」は、古代、この地に住んでいたとされる「鴨氏」一族の氏神を祀る神社です。ウィキペディアの記述によれば、
「鴨氏はこの丘陵から奈良盆地に出て、葛城川の岸辺に移った一族が鴨都波神社を、東持田に移った一族が葛木御歳神社を祀った。後に、高鴨神社を上鴨社、御歳神社を中鴨社、鴨都波神社を下鴨社と呼ぶようになった」
鴨氏一族として歴史的に有名な人物と致しましては、日本三大随筆の一つ、「方丈記」を著した「鴨長明」(下鴨社家)、江戸時代の国学者、「賀茂真淵」(上鴨社家)がいます。
この神社は京都の「上賀茂神社」、「下賀茂神社」など、
全国に散らばる「鴨・加茂・賀茂」神社の総社なのだ!
リュウちゃん、高鴨神社の紅葉は期待していなかったのですが、境内に入りますと、あちらこちらに紅葉を観ることが出来ました。
おお、ここは中々の紅葉の名所なのだ!
高鴨神社を後にして、次の目的地である「高天彦(たかまひこ)神社」に向かいました。途上の右手には雲に霞んだ「金剛山」が「散策の友」として付いてきているのです。
極楽寺の手前の上り坂をから約1キロの険しい山道を登ると、「高天寺橋本院」があります。この寺は奈良時代・元正天皇の勅により「行基」によって開かれ、かの「鑑真和尚」や修験道の祖「役の行者」もここで修行したとされる格式の高いお寺なのだそうです(下の写真は橋本院境内の黄紅葉、背後の山は高天彦神社のがご神体の白雲嶽です)
橋本院一帯は記紀・日本神話の「高天原(たかまがはら)」とされる場所です。
記紀の神話によれば、「高天原」は、天照大神(アマテラスオオミカミ)などの神話の神々が住んでいる所で、ウィキペディアによれば、
「天孫の邇邇藝命(ニニギノミコト)が、天照大神の命を受けて「葦原の中つ国」(日本国土)を治めるために高天原から日向国の高千穂峰へ天降った」
のだそうです。
日本神話に疎いリュウちゃん、これまで「高天原」はてっきり九州の高千穂峰にあったのだと思っていましたが、高千穂峰はあくまでも「天孫降臨」の地で「高天原」そのものではないのですね。
「高天原」の所在地論争、現代人の眼から見れば、「荒唐無稽で無意味な論争」のように考えられますが、少なくとも江戸時代の中期頃までは「高天原は奈良の葛城の地にあった」、という考えが一般的には信じられていたようです。
「天孫降臨」という神話からすれば、当然、「高天原」は天の上にあったと考える(天上説)が一番真っ当な考えだと思われますが、古来、「大和の葛城発祥説説」のような「地上説」もいっぱいありました。
以下に、幾つかの「地上説」の場所を挙げてみます。
「滋賀県・伊吹山山麓」、「宮崎県高原町」、「宮崎県高千穂町」、「熊本県山部町(阿蘇・蘇陽)」、「岡山県真庭市(蒜山<ひるぜん>)」、「群馬県上野村<生犬穴(おいぬあな>)」、「茨城県多賀郡」(荒井白石の説)、、、、
う~ん、キリがないぞ、これは迷宮入りだ。
「葛城発祥説」を信じて前へ進もう!
★「高天彦(たかまひこ)神社」
主神は「高皇産霊神(タカミムスビノカミ)」、「天孫降臨」に登場する「ニニギノミコト」の外祖父にあたる「高天原在住の神」です。背後の山はこの神社の「神体山」である白雲嶽(標高694m)です。参道は10本ほどの杉の巨木が並木を形成しています。
参道前の白雲嶽を見上げる駐車場で遅い昼食、
プファ~、ビールが旨い!
「高天原」の神になった気分!
★「葛城一言主神社」
「高天彦神社」から歩くこと1時間程で、今日の散策の終着点、「葛城一言主神社」に到着、
この神社の祭神は「一言主」と「雄略天皇」の2柱、
「古事記」の記述には、
「雄略天皇(西暦460年)、雄略天皇が葛城山へ鹿狩りをしに行ったとき、紅紐の付いた青摺の衣を着た、天皇一行と全く同じ恰好の一行が向かいの尾根を歩いているのを見附けた。雄略天皇が名を問うと「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。葛城の一言主の大神なり」と答えた。天皇は恐れ入り、弓や矢のほか、官吏たちの着ている衣服を脱がさせて一言主神に差し上げた。一言主神はそれを受け取り、天皇の一行を見送った」(ウィキペディアの現代訳)、とあります。
「一言主」は、一言の願いであれば何でも叶えてくれるとされる神として、現代でも広く信仰されていますね。
下の写真は境内に上る石段、
この石段横の紅葉、かなり素敵だ!
下の写真は境内にある「ムクロジ」の大木(樹齢約650年!)、
ムクロジの大木の右手に巨大なイチョウの木が見えています。
このイチョウこそ、この神社の御神木「乳銀杏」なのです!
★「葛城一言主神社の乳銀杏」
リュウちゃんの今日の葛城古道散策の目的は、
「乳銀杏を観る」ことだったのだ!
この「乳銀杏」、樹齢約1200年!
老木のため、地上に近い幹は半分程朽ち果て、自力で自らを支えきれなくなっているので、太いつっかい棒でかろうじて支えているのです。
幹の一番太い部分に大小の乳牛の乳首状の突起が見られます。
これが名称の由来となった「乳」の部分です。この「乳」は「気根」で、地上の幹から発生した「根」なのだそうです。
「乳銀杏」は、女性がこの巨木に祈ると、乳の出が良くなったり、子供が授かるなどの「御利益」があるとされ、特に女性の信仰を集めているようです。
「葛城一言主神社の乳銀杏」、見れば見るほど凄い巨樹だ。
葛城古道を散策した甲斐があった!
最後の写真は、石段の下に慎ましく鎮座している「亀石」です。
この「亀石」、「明日香の亀石」の弟なのかな?