葉桜に近くなれども吉野・上千本
やはり絶景、絶景!
4月20日、2年ぶりに「吉野の桜」を観に行きました。
今年は春の天候不良で、桜の開花も例年と比べ、一週間くらい遅れていました。
3月始めの時点では、4月15日くらいに行こうかと考えていたのですが、4月14日の新聞の「桜便り」によれば、4月14日は、まだ「上千本」は「咲き始め」、
4月15日は、まだちょっと早いかな?
と思い、「吉野行き」を一週間ほど延期しました。
しかし、その後の数日で、初夏のような高気温の日が続き、吉野の桜は一挙に開花が進み、14日には「咲き始め」だった上千本が18日の「桜便り」では、一挙に「満開」になってしまいました。
ありゃ~、これでは上千本の満開には間に合わないかな?
よし、明日(19日)に吉野に行こう!
と思ったのですが、あいにく、19日は「春の嵐」、雨・風とも強く、とても散策に行ける天候ではありません。なので、「嵐の後」の20日に行ったという次第です。
例のよりまして女房殿お手製のおにぎり弁当とリュウちゃんお手製(?)の缶ビール(2缶)をリュックに詰め、御前8時、家を出発、御前10時、近鉄吉野駅到着、
案の定、下千本の桜は全て「葉桜」になっていました。
一昨年と同じように、近鉄吉野駅からバスで「奥千本」に行くことにしました。
といいましても、一本のバスで直接、奥千本に行ける訳ではありません。途中、「中千本」にあるバス停で一旦下車、ここで「奥千本」行きのバスに乗り換え、「奥千本」に行くという、2段構えになっているのです。
下の写真は、中千本バス停の斜面の桜です。
おっ、まだ中千本には桜が残っているぞ!
ここでの「乗り換え」が実は曲者、一昨年はバスの待ち時間が「1時間40分」と案内されましたが実際には40分待ちで「奥千本行き」に乗れました。
今回は「1時間10分待ち」という案内、
一昨年と同じように、かなりサバを読んでいるな、
30分待ちくらいで乗れるだろう?
と軽く考えていましたが、実際には50分待ちでやっと「奥千本行き」のバスに乗ることが出来ました。
やれやれ、
歩いて奥千本に行くのと、あまり変わらない時間になってしまった。
午前11時30分、奥千本の「金峯神社(きんぷじんじゃ)」の山門、
「修行門」です。ここから神社の拝殿まで、急な坂が100m位続きます。
急坂から見下ろした桜、
「金峯神社」の拝殿の桜です。
<義経隠れ塔>
拝殿前を左側に下ってすぐの所に、初めて見る「義経隠れ塔」があります。
兄・頼朝から追われ、文治元年(1185)11月、義経一行は吉野に逃れます。
しかし、吉野で愛人だった静御前は捕らえられ、京都に連れ戻されます。
義経一行は、この「隠れ塔」に籠りますが、頼朝の追手が迫る中、一行は追っ手から逃れるため屋根を蹴破って外へ脱出し、追手から逃れたとされる「伝説の塔」なのです。
吉野で捕らえられた静御前はその後、鎌倉に送られ、鶴岡八幡宮で頼朝により「白拍子の舞」を命じられます。その場で静御前は、有名な以下の歌を詠みます。
しづやしづ しづのおだまきくり返し
昔を今になすよしもがな
吉野山 峰の白雪ふみわけて
入りにし人の跡ぞ恋しき
静御前にとりましては、吉野が恋人であった義経との「今生の別れ」の地だったのですね。約1200年後の私達にとりましても、この歌には哀切の念を禁じ得ませんね。
<西行庵>
金峯神社からさらに500m程奥の道を辿った所に、義経と同時代に生きた出家僧であり歌人の「西行(さいぎょう)」が3年間住んでいたとされる「西行庵」があります。
西行は元永元年(1118年)生まれ、文治6年(1190年)没、源義経は平治元年(1159年)生まれ、文治5年(1189年)没、西行が何時、ここで住んだのかは定かではありませんが、ひょっとすると、義経一行が吉野に落延びた時にここに住んでいたかも知れませんね。としますと、
西行は吉野で義経一行と逢っていた?
という可能性があります。
まあ、これはリュウちゃんの単なる妄想なのですがね。
下の写真は「西行庵」周辺の桜です。
西行庵の近くの石に腰かけ、昼食、
プファ~、ビールが旨い!
桜と歴史の風が心地良い!
<苔清水>
「西行庵」のすぐ近くに、昔から山の湧水の出る「苔清水」があります。
恐らく、西行もここを「水飲み場」にしたのではないでしょうか。
江戸時代の俳人、松尾芭蕉も何度かここを訪れたようで、「苔清水」の左右に2つの「芭蕉句碑」は建てられています。
露とくとくこゝろみに浮世すゝがばや
(芭蕉「野ざらし紀行」より)
春雨の木下につたふ清水哉
(芭蕉「笈の小文」より)
松尾芭蕉は歌人としての「西行」を慕っていたのかも知れませんね。
昼食を終えて、ほろ酔い気分で金峯神社に戻ったのが午後1時過ぎ、いよいよここから徒歩で、「吉野山下り」です。
<高城山休憩所>
奥千本の金峯神社から上千本の「吉野水分神社」に至る途上にこの休憩所があります。
ここは奥千本と上千本の中間点なのかな?
ここでリュウちゃんが歩いた「吉野の散策図」を貼り付けます。
<吉野水分(みくまり)神社>
ここは以前はリュウちゃんの「吉野行き」の到達点だったのですが、一昨年から到達点を「西行庵」まで延ばしたという次第です。
本殿前のしだれ桜、まだ咲いていた。
良かった!
<花矢倉展望台>
ここは上千本の絶景スポットの一つです。ここには「子守茶屋」という茶店がありまして、絶好の休憩所になっています。早くも小腹が空いてきたリュウちゃん、この茶店の座敷で「吉野葛餅」をツマミに瓶ビールを1本、
またまた、
プファ~、ビールが旨い!
となってしまいました(笑)
<さくら咲競(さくら)プロジェクトの立て札のある展望台>
「花矢倉展望台」のすぐ下にある展望台です。ここはリュウちゃん一押しの吉野の絶景スポットです!
残念ながら、殆ど葉桜になってしまったが、
ここは吉野随一の絶景スポットだ!
下の写真は中千本の道沿いに咲いていた八重桜、
いつもこの桜には癒される!
<桜本坊>
中千本にある神仏習合の修験道場です。役行者(えんのぎょうじゃ)の高弟・角乗の開祖になる道場で、「壬申の乱」で勝利した大海人皇子が天武天皇となり、ここで「桜見物」をしたという伝説が残っています。
吉野の山桜が終わった後でも、
ここの八重桜は「見頃」なのだ!
<吉水神社>
南朝の後醍醐天皇を主祭神とする神社、南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に潜幸したときにここを天皇の居所(皇居)にしたという由緒ある神社です。
尚、後醍醐天皇の墓陵は、吉水神社の近くにある「如意輪寺」にあります。
残念ながら、ここには桜は見られませんでした。
<金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂>
吉野を象徴する建築物です。残念ながら、蔵王堂の前の若い桜は、完全に「葉桜」になっていました。
<黒門>
金峯山寺の「総門」です。昔は公家大名といえども槍、この門の前で槍を
伏せ、馬をおりて歩いたといわれます。奥千本から山を下って来たリュウちゃんにとりましては、この門はまさに「吉野の出口」なのです。
<七曲がり道>
「黒門」から近鉄吉野駅まで続く「下千本」の道、周囲のヤマザクラは完全に葉桜になってしまいましたが、この道沿いにある「しだれ桜」はいつも開花が遅く、この日もまだ咲き残っていました。
いつもここのしだれ桜には慰められる、
吉野の名残り桜なのだ!
最後の写真は「七曲がり道」の道沿いに咲く「シャガの花」、
「シャガの花」は上千本から下千本の道沿いに、延々と群生しています。
吉野の花の表看板はシロヤマザクラ、
それを通奏低音のように支えているのが「シャガの花」なのだ!
奥千本の金峯神社を午後1時10分に出発、近鉄吉野駅に午後4時30分に到着、
標高差550m、道の全長6,3キロ、
3時間20分の「下り道散策」でした。
来年は中千本の満開の時期に吉野に行くぞ!