天王山山麓に建つアサヒビール大山崎山荘美術館、
ここは新緑に包まれた別天地だ!
先日、女房殿から、
招待券を2枚入手したので、
アサヒビール大山崎山荘美術館に行ってみない?
との誘いを受けました。
ビール大好き人間にリュウちゃん、
アサヒビールが経営している美術館であれば、きっとビールが安く飲めるビア・レストランがある筈だ。
よし、ここで、
プファ~、ビールが旨い!
をやってみたい。
という訳で、5月11日に女房殿と2人で出掛けました。
以下は山荘美術館で開催されている「漱石と京都」展のポスターです。
文学音痴のリュウちゃん、夏目漱石と京都はどういう関係だったのか、行く前の時点ではサッパリ判りませんでした。
漱石と京都、どんな関係があったのだろう?
まあ、行けば判るかな?
午前10時過ぎ、JR山崎駅下車、踏切を越えるとすぐ美術館のある「天王山ハイキングコース」の山道に入ります。
天王山、
ここは明智光秀が羽柴(豊臣)秀吉に打ち取られた
「山崎合戦(天王山の戦い)」のあった古戦場なのだ!
入り口から5分程登ったところに、小さな隧道があります。
ここがアサヒビール山荘美術館の入り口なのだ。
奥にどんな世界があるのか、楽しみだ。
美術館に向かう山道の沿道には、緑の楓に交じって、紅葉が何本か点在しています。
緑萌える木々の中の紅葉、
春と秋が一挙に楽しめる!
午前10時30分、山荘美術館に入場、
美術館内は撮影禁止なので、下の展示室はベランダの外から撮りました。
さすが昭和初期屈指の洋館、
内部も重厚で歴史の重みが感じられる。
ここで、この山荘の持主であった加賀正太郎氏について、年譜を作製してみます。
<加賀正太郎年譜>
★1888年(明治21年)、大阪・船場にあった繊維業・米穀仲買業・両替商の「富商加賀商店」の長男として出生。
★1900年(明治33年)、父親死去、12歳で「加賀商店」の家督相続をするも、母の意思で成人するまで事業にはノータッチ、
★1908年(明治41年)頃、東京高等商業学校(現・一橋大学)入学後、ヨーロッパに遊学、日英博覧会(1910年・明治43年)見学、世界的に著名な植物園「キューガーデン」(イギリス)見学、スイスの高峰「ユングフラウ」の日本人として初登頂を果たす。
★1911年(明治44年)頃、学業を終えるとすぐに家業に参画、「加賀証券」(後の菱光証券)の他、様々な業種で実業家として成功者となる。
★1912年(明治45年・大正元年)大山崎山荘建設着手(1917年完成)
★1915年(大正3年)、夏目漱石、建設中の大山崎山荘を訪れ、加賀正太郎にこの山荘の命名を約す(この時、夏目漱石48歳、加賀正太郎:若干25歳!)
★1916年(大正4年)山荘で「蘭」の栽培開始(山荘の温室に約1万鉢、ここで生み出された新種は1140種だったようです)、夏目漱石没、
★1917年(大正5年)大山崎山荘一次完成、
★1934年(昭和9年)ウィスキー製造に乗り出した竹鶴政孝を支援して、大日本果汁(株)(後のニッカウヰスキー)設立に参加、筆頭株主(70%保有)になる。
(竹鶴政孝は2014年に放映されたNHK朝ドラ「マッサン」で主人公「マッサン」のモデルになった人物です、このドラマでは、オール阪神が演じた渡さんが加賀正太郎のモデルと言われていますが、本当かな?)
★1946年(昭和21年)83点の「蘭の木版画」を収めた「蘭花譜」を自費出版(限定300部)
★1954年(昭和29年)保有していたニッカの株をアサヒビールに売却、同年、喉頭癌のため死去、
う~ん、年譜作成に四苦八苦してしまいました(苦笑)
今回の「漱石と京都」展は、上記「年譜」にありますように、大正3年、漱石が未完成だったこの山荘を訪れ、その際、加賀から、「この山荘の名前を付けて下さい」という要請があり、漱石はこれを快諾、帰京してから14通りもの命名案を加賀宛てに書簡で送りました。その書簡がメインの展示物になっている展覧会なのです。
しかし、目の悪いリュウちゃん、
ガラスケース越しに展示された書簡の文字が全く読めない!
こりゃ、猫に小判だ(トホホ!)
目の悪いリュウちゃんにとりましては漱石直筆の書簡よりも、館内の至る所に展示(多分、常設展示)されていた「蘭花譜」の美しい木版画に心惹かれました。
「蘭花譜」こそは加賀正太郎の一番美しい遺産なのだ!
以下にネットから拾った「蘭花譜」の木版画を幾つか貼り付けてみます。写真のクオリティはあまり良くないのですが、雰囲気だけでも味わって下さいね。
アサヒビールが経営母体なのに、館内にはビア・レストランが無い!?
代わりにアンティークなカフェがありましたが、
ケーキをツマミに
プファ~、ビールが旨い!
という訳にはいきません。なのでビールは一旦「お預け」です。
下の写真はカフェのテラスです。
ここからの眺めは正に絶佳!
写真の右手にあるなだらかな山は京都府八幡市にある「男山」です、山頂に日本三大八幡宮の一つ「石清水(いわしみず)八幡宮」があります。写真左手の平野部には、木津川、宇治川、桂川が淀川に合流する地点があるようです。
山荘美術館下の「モネ風の池」です。
池の上手に見える建物は、この山荘の最初の建築物、「白雲楼」(栖霞楼)です。恐らく、加賀正太郎はここで漱石に会ったのではないでしょうか?
山荘美術館を出て、下にある庭園を散策しました、以下はこの庭園で撮った写真です。
ツツジが今、盛りです。
ここにも「紅葉」がありました。
新緑の中の紅葉、コントラストが美しい!
また秋の紅葉の季節に来たい!
丸窓の石碑、まるで上野公園の「月の松」だ!
いけない、もう正午を過ぎた。
山荘美術館界隈にはレストランがないので、京都駅に出て、地下街のポルタにある天婦羅店「ハゲ天」で遅い昼食、
プファ~、ビールが旨い!
山荘散策の余韻が心地良い!
午後2時頃に「ハゲ天」を出て、次の目的地の京都植物園に向かいました。
(続きます)