葛城山・金剛山を見上げる秋津洲(あきつしま)の道
今、彼岸花が満開!
昨日は秋分の日、
秋分の日の花は、何と言っても「彼岸花」ですね。
毎年、秋分の日の前後には、リュウちゃんは明日香村の石舞台や稲渕地区、キトラ古墳や高松塚古墳に彼岸花を観に行くことにしていましたが、今年は明日香村を離れてみることにしてみました。
明日香村の他に彼岸花の名所はあるのかな?
昨年9月下旬、ブログ友「Huちゃん」が「秋の葛城古道」というタイトルで9回にわたって葛城古道の周辺に咲く彼岸花の素晴らしいフォトブログを更新されました。
<「Huちゃん写真日記」、2016年10月7日更新「秋の葛城古道その8」>
https://plaza.rakuten.co.jp/husan/diary/201610070000/
いつもHuちゃんのブログを参考にしているリュウちゃん、昨年秋にHuちゃんのブログを拝見して、
よし、来年の秋には葛城古道の彼岸花を絶対観に行くぞ!
と固く心に誓ったのでした。
2017年9月21日、奈良の天候は「秋日和」、
例によりまして女房殿お手製のおにぎり弁当とリュウちゃんお手製(?)の缶ビール(2缶)をリュックに詰め、葛城古道の起点である御所(ごせ)市に電車で出掛けました。
午前9時40分、近鉄御所駅到着、
事前の下調べで、この辺りの彼岸花の名所は、葛城古道沿いの「一言主神社」付近だということは分かっていたのですが、「一言主神社」に行く前に以前から気に掛かっていました御所市の古代史の遺跡を散策することにしました。
以下の案内MAPは御所市の古代遺跡を巡る「秋津洲(あきつしま)の道」です。MAPの文字が小さくて、よく判りにくいのが残念ですが、赤で表示された道が秋津洲の道なのです。上のMAPで、左側を上下に貫いている道が「葛城古道」なのです。
それでは午前中に巡った「秋津洲の道」沿いの古代遺跡を順に紹介致します。
<鴨都波(かもつば)神社>
御所駅から国道24号線を徒歩5分位南下した左手の国道沿いにある神社です。
この神社は古代、この辺りを拠点としていた豪族、鴨氏・葛城氏によって創建された神社のようです。もう少し南にある「高鴨神社」は京都の上賀茂神社・下鴨神社など、全国に分布する「カモ神社」の総本山ですが、「鴨都波神社」は別名「下鴨社」と呼ばれていうるようです。
境内には、「赤い鳥居」、「ムクロジの巨木」があります。
<孝昭天皇陵>
第5代・孝昭天皇陵とされている掖上博多山上陵(わきのかみのはかたのやまのえのみささぎ)です。
戦前に教育を受けた人は
「じんむ~すいぜい~あんねい~いとく~こうしょう~こうあん~こうれい~こうげん~かいか~すじん~~~~~、、、、」
と、初代神武天皇から124代・昭和天皇まで、歴代天皇の名前を丸暗記させられましたが、孝昭天皇は上記ひらがな文字で5番目、すなわち「第5代天皇」という訳です。
孝昭天皇は「古事記」「日本書紀」共に、系譜のみ記されているのですが「事績」が一切記されていない、いわゆる「欠史八代」(第2代・綏靖天皇~第9代・開化天皇)の天皇の一人です。
「欠史八代」の天皇は現在の歴史学者の間では「実際は存在しなかった」という説が主流になっているようです。
<蛇穴>
孝昭天皇陵を少し南下すると、下のような標識が見えてきました。
御所市蛇穴、凄い地名だ!
何と読むのだろう?
「蛇穴」は「さらぎ」と読みます。
以下、ネットで、この地の由来を見つけましたので、そのまま貼り付けます。
蛇穴<さらぎ>の由来 御所市蛇穴町(旧南葛城郡秋新津村蛇穴)
役の行者が鴨の神と共に、怪しい女の化身である大蛇を追い払った。大蛇は追付の森からさらに西南の方へ逃げて行き、市部村の西の大きな穴の中へすくみこんだ。行者はこれを野口明神とあがめ、その穴を小石で埋められた。
この因縁によって、毎年旧五月五日に御所・「さらぎ」の童子らが寄りあって、小石を持って互いに打ち合いする行事になっている。それで市部村を、のちに蛇穴<じゃのあな>村と改め、「さらぎ」村といった。それが今の蛇穴町の名の由来である。市部村といったなごりとして、ここにある池を市部池といっている。(吉村定治郎・瀬川敏夫)
<野口神社>
上記、「蛇穴(さらぎ)の地名の由来」の中で女の化身である大蛇が逃げ込んだ穴の跡地に立てられたとされる小さな神社で、境内には「蛇塚」があります。
毎年5月5日には、藁で巨大な蛇を作り各戸を回り邪気を払うという「蛇綱引き」祭が行われているそうです。
野口神社から更に国道24号線を南下、右手に金剛山・葛城山が見えます。
金剛山の空の鰯雲が素敵だ!
<室(むろ)宮山古墳>
葛城地方最大の前方後円墳、全長238m、5世紀初頭(古墳時代中期)の築造と考えられています。
被葬者は諸説ありますが、古代の天皇陵と同じように、確実とされる定説はありません。
<八幡神社>
上記、「室宮山古墳」の前方部にあります。下の写真のように、境内には第6代考安天皇の皇居跡であったという石碑が立てられています。
<室宮山古墳前の田園地帯の彼岸花>
このブログ冒頭の写真のように、室宮山古墳前にある田園地帯には、彼岸花があちらこちらで開花しています。
御所市大字室(むろ)はなかなかの彼岸花の名所なのだ!
<吉祥草寺>
この古刹は、修験道の開祖、<役小角(えんのおづぬ)「役の行者」>生誕の地とされています。
(役の行者像)
役の行者が開祖とされる寺社は奈良県を中心に相当な数になります。以下のサイトは「役の行者霊跡36札所一覧」です。
http://gosyuinnotabi.web.fc2.com/newpage76.html
また、役の行者は日本で最初に富士山に登頂した人物であると云われています。
役の行者の伝説につきましては下記のブログが大変面白いので、興味を持たれた方は是非読んでみて下さいね。
<「役の行者、蓑掛岩」~さちえの伊豆温泉情報>
http://blog.livedoor.jp/izu_onsen/archives/51760591.html
境内の一角に大きな「椋(むく)の木」が植えられていました。この椋の木には、三輪山から「白竜大神」が飛来し、この木に鎮座したという伝説があります。
役の行者は白竜大神の生まれ変わりなのかな?
午前9時40分にスタートした「秋津洲の道」散策、元の御所駅近くに帰り着いたのが午後0時30分、
もう昼過ぎだ、お腹が空いた。
どこで昼食を摂ろうか?
川辺に「葛城古道」の案内板がありました。
よし、「葛城古道」に着いてから昼食を摂ろう!
(以下、「葛城古道の彼岸花(下)~葛城古道」に続きます)