まるでストップモーション!
北斎の描く大波、正に「The Great Wave」だ!
(葛飾北斎「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」)
10月6日(金)から11月19日(日)に掛けて、大阪・天王寺にある「あべのハルカス美術館で、<大英博物館 国際共同プロジェクト「北斎―富士を超えてー>という大規模な葛飾北斎展が開催されています。
<あべのハルカス美術館HP>
https://www.aham.jp/exhibition/future/hokusai/
上記HPから、この展覧会の概要を以下に紹介します。
「稀代の浮世絵師、北斎。ゴッホやモネに影響を与え、「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」は「The Great Wave」として世界で最も知られる作品の一つです。2019年から使用される新しいパスポートの図柄に「富嶽三十六景」が採用され、今、北斎は日本を象徴する存在になりつつあります。
本展では、肉筆画を中心に、還暦以降の30年に焦点を当て、90歳まで描き続けた北斎が追い求めた世界に迫ります」
雨続きで、暫く野外散策を見送っていたリュウちゃん、10月22日に「あべのハルカス美術館に行ってみました。
葛飾北斎の浮世絵につきましては、以前から断片的に幾つかの作品を観る機会があったのですが、全体像はこれまで掴めていませんでした。
この展覧会、北斎の全体像を掴む格好の機会だ!
本ブログでは、全てネットから北斎の図をお借りして、北斎の全体像に迫ってみたいと思います。
<葛飾北斎年譜>
★宝暦10年(1760年=第10代・徳川家治の時代、田沼意次の「田沼時代」)、武蔵国葛飾郡本所割下水にて貧しい百姓の子として誕生、姓は川村、幼名:時太郎(のち鉄蔵)通称:中島八右衛門、
★明和元年(1764年=北斎14歳)、幕府御用達鏡磨師の中島伊勢の養子になる。この頃、貸本の絵に興味を持ち、画家を志す。
★安永7年(1778年=北斎18歳)浮世絵師・勝川春章の門下となる。狩野派、唐絵、西洋画などあらゆる画法を習得、
★安永8年(1779年=北斎19歳)デビュー作「瀬川菊之丞正宗娘おれん」(役者絵=下の画像)でデビュー、
★寛政6年(1794年=北斎34歳)、勝川派を破門される。
★文化2年(1805年=北斎45歳)、「葛飾北斎」の号を用いる。
★文化8年(1812年=北斎52歳)、名古屋に逗留、大阪、伊勢、紀州、吉野などに旅行、
★文化11年(1814年=北斎54歳)、「北斎漫画」初版刊行、
北斎がヨーロッパで知られるきっかけとなったのは、19世紀の半ばに日本から輸出された陶器の梱包で詰められていた「北斎漫画」を、画家のフェリックス・ブラックモンが目に留めたことからのようです。
「北斎漫画」刊行200周年にあたる2014年、パリで史上最大規模の「北斎展がパリで開催され、700余点もの北斎の作品が展示されたようです。
(「北斎漫画の一部」)
★文政6年(1823年=北斎63歳)、「富嶽三十六景」の製作始まる。天保2年(1831年)に開板(版木作成)開始、天保4年に完結。
★天保5年(1834年=北斎74歳)、「画狂老人」「卍」の号を用いる。「富嶽百景」制作開始、
★天保13年(1842年=北斎82歳)秋、初めて信濃国高井郡小布施(現:長野県上高井郡小布施町)の高井鴻山邸を訪れる。その時、高井鴻山は自宅に碧漪軒(へきいけん)を建て、北斎の画室として提供、
★天保15年(1844年=北斎84歳)、小布施に4年間滞在(北斎:84歳~88歳)、上町祭屋台天井絵「怒涛図」などを描く。
★嘉永2年(1849年4月8日浅草聖天町の仮宅で没する(享年:萬89歳6ヶ月)
下の絵は、北斎の絶筆とされる「富士越龍図」です。
<今回の展示作品>
今回の北斎展は、生涯に3万点にのぼる膨大な北斎の作品の中から約220点の作品を6つのコーナー(章)に分けて展示しています。
<第1章「画壇への登場から還暦」>
最初に展示されているのは、年譜で紹介した19歳の時のデビュー作「瀬川菊之丞正宗娘おれん」です。このコーナーでは、北斎前半期の代表作といえる「二美人図」を紹介致します。
(二美人図=40歳の頃の作品)
<第2章「富士と大波」>
このコーナーが前半のクライマックスです。北斎を代表する「富嶽三十六景」の内24点が展示されています。このブログ冒頭で紹介した「神奈川沖浪裏」(21番)以外でリュウちゃんが印象印象に残った「富嶽三十六景」の図を何点か紹介します。
<12番「御厩河岸より両国橋夕陽見」>
有名な「北斎ブルー」が実に鮮やかな作品ですね。
<21番「神奈川沖浪裏」再掲>
誰もが知っている北斎の代表作です。
フランス印象派の作曲家、クロ―ド・ドビュッシーはこの絵に触発されて、交響詩「海」を作曲しました。
<ドビュッシー:交響詩「海」>
https://www.youtube.com/watch?v=hlR9rDJMEiQ
<交響詩「海」のスコア表紙>
<32番「山下白雨」>
33番の有名な「赤富士」(凱風快晴)と対をなす作品です。
<33番「凱風快晴」(通称:赤富士>
<37番「東海道金谷ノ不二(とうかいどうかなやのふじ)」>
「富嶽三十六景」というのに、37枚目の絵がある???
実は当初、36枚で完結する筈だったのですが、好評のため、後で10枚を追加したのだそうです。
「富嶽三十六景」は実際は「富嶽四十六景」だったのだ!
<45番「甲州石班澤(こうしゅうかじかざわ)」>
このコーナーには、北斎の波の絵として「富嶽三十六景」の他に「千絵の海」という10枚のシリーズから2作品が展示されていました。その内の1点を下記に紹介します。
<千絵の海「総州銚子」>
北斎より27歳年下の浮世絵師「歌川広重(旧称:安藤広重)」は「東海道五十三次」が代表作ですが、北斎に刺激されたであろうと思われる「富士三十六景」というシリーズがあります。
ここでは、特に北斎の「神奈川沖浪裏」を彷彿させる1点を紹介いたします。
<歌川広重「富士三十六景~駿河薩夕之海上」>
北斎は、「富嶽三十六景」に続き、迫力満点の「富嶽百景」という102枚のスケッチ集を残しました。「富嶽百景」はこの展覧会の第5章「想像の世界」で紹介されますが、本ブログではここで紹介させて頂きます。
<富嶽百景より「海上の不二」>
「富嶽百景」に添えられた跋文(あとがき)の現代語訳(ウィキペディアより抜粋)を以下に紹介致します。
「私は6歳より物の形状を写し取る癖があり、50歳の頃から数々の図画を表した。
とは言え、70歳までに描いたものは本当に取るに足らぬものばかりである。
(そのような私であるが、)73歳になってさまざまな生き物や草木の生まれと造りをいくらかは知ることができた。
ゆえに、
86歳になればますます腕は上達し、
90歳ともなると奥義を極め、
100歳に至っては正に神妙の域に達するであろうか。
(そして、)100歳を超えて描く一点は一つの命を得たかのように生きたものとなろう。
長寿の神には、このような私の言葉が世迷い言などではないことをご覧いただきたく願いたいものだ。」
以上の跋文、北斎75歳の時の文章です。
正に「画狂老人」の面目躍如!
75歳はまだ青二才、100歳を超えて自らの達成を予感する、
凄い!
<第3章「目に見える世界」>
(1)「諸国滝廻り」:北斎73歳頃の作品です。落下する水の表情を見事にデフォルメした8作品です。以下に2点紹介させて頂きます。
<木曽路ノ奥阿弥陀ケ滝>
<美濃国養老の滝>
(2)「諸国名橋奇観」:北斎74歳頃の作品です。全国の珍しい橋を画材とした11図の名所絵です。以下に2点を紹介させて頂きます。
<足利行道山くものかけはし>
<飛越の堺つりはし>
こんな吊り橋、渡れる筈が無い!
<第4章「信州小布施の肉筆画と神の領域」>
実際の展覧会では<第4章「想像の世界>、<第5章「北斎の周辺」>、<第6章「神の領域」>となっているのですが、本ブログでは、北斎が晩年に4回にわたり長期逗留した長野県の小布施町に残した肉筆画を中心に紹介したいと思います。
<信州小布施 東町祭屋台天井絵 「龍図」>
中央の「龍」を縁取るのは北斎の「The Great Wave」、北斎80代半ば頃の作品です。
<岩松院「八方睨み鳳凰図」下絵>
北斎89歳の時の作品です。この絵より約100年前に描かれた伊藤若冲の「群鶏図」を彷彿しますね。
<信州小布施 上町祭屋台天井絵「波濤図」の「男波図」「女波図」>
北斎85歳から88歳の3年の歳月を費やして完成された作品です。
晩年の「The Great Wave」、
まるでブラックホールだ!