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カテゴリ:花遍路・花のフォトブログ
やっと2列目、 2列目には どんな桜があるのでしょうか? <2019年の桜行脚(5)~大阪造幣局の通り抜けの桜(2)の続きです> 4月15日に終えた「大阪造幣局の通り抜け」の桜見物、遂にブログ公開が夏に突入してしまいました。 リュウちゃん、 自分のブログ公開のテンポの遅さに 呆れるばかり! でも、頑張って最後までやり遂げるつもりです。お付き合い頂ければ幸いです。 例に寄りまして、以下に<大阪造幣局の通り抜けのMAP>を貼り付けます。 それでは早速、前回のブログの続きの桜を紹介していきます。 <「大阪造幣局の通り抜け」の桜図鑑(3)> (61)<鐘馗(しょうき)> 「東京荒川堤にあった桜である」 (62)<静香> 「北海道松前町で「天の川」と「雨宿」を交配から選出育成された桜。花は白色で、花弁数は15~20枚あり、芳香がある」 (63)<林二号> 「林一号に続き育成された八重桜で、花弁数は15~18枚ある。花は淡紅紫色をしている」 (64)<高遠小彼岸桜> 「長野県高遠町の高遠城址にある県天然記念物に指定されている桜。花はやや小ぶりの一重桜、花の色は濃い紅色で、枝が見えなくなるほど花を付ける」 上記の写真は、4月9日に撮ったものです。4月9日の時点で、ほぼ開花は終わっていたようです。 (65)<紅南殿(べになでん)> 「京都の佐野藤右衛門氏が栽培していた桜。花は紅紫色」 (66)<楊貴妃> [昔、奈良地方にあった桜で、つぼみは紅色であるが、開花時には淡紅色となり、花色も優れ豊満なので、中国の楊貴妃を連想して世人が名付けた。花弁数は、20枚程である] 「楊貴妃」という名称から、てっきり中国産の桜かと思いましたが、奈良産の桜だったのですね。ちょっとビックリです。 (67)<春日井(かすがい)> 「奈良春日山の麓にあった桜を京都市の佐野藤右衛門氏が接木育成した桜。花は淡紅色で、花弁数は15~20枚の里桜」 「春日井」というば愛知県の市だと誰もが思う筈ですが、これも奈良の原産の桜だったのですね。 (68)<紅時雨(べにしぐれ)> 「北海道松前町で、「東錦」の実生の中から選出育成された桜である。紅色の豊な花が垂れ下がって咲くことから、この名前が付けられた。花は濃紫紅色で、花弁数は28~40枚ある」 (69)<高台寺> 「京都洛東高台寺の玄関口にある桜で、花は淡紅白色、花弁数は10~15枚の優雅な大輪の桜である」 (70)<芝山> 「東京荒川堤にあった一重の桜で、つぼみは極淡桃色で、開花後白色となり少し香りがある」 (71)<白雪> 「東京荒川堤にあった里桜系の名花で、花は白色の一重で、花つきが多い優美な品種である」 (72)<市原虎の尾> 「京都洛北市原にあった桜で、その咲く有様は虎の尾のようで、花は淡紅白色で、花弁数は30~40枚ある」 (73)<南殿(なでん)> 「チョウジザクラと里桜との間に生じた桜と推定され、花は淡紅色で、花弁数は14~20枚ある」 (74)<白妙(しろたえ)> 「東京荒川堤に移植された大島桜系の里桜の一種で、花は白色の大輪で、花弁数は10~15枚ある」 (75)<簪桜(かんざしざくら)> 「佐野藤右衞門氏が東北の旅の途中、見つけた桜で、花が婦人のかんざしに似ているところから、この名が付けられた。花は淡紅色で、花弁数は14~31枚」 ◎佐野藤右衞門氏について、 佐野 藤右衛門(さの とうえもん)は、庭師の名跡。京都・嵯峨野にある造園業「植藤(うえとう)」の当主が襲名する。藤右衛門は、天保3年(1832年)より代々、仁和寺御室御所の造園を担ってきた。 当代の第16代 佐野藤右衛門(1928年(昭和3年) - )は、日本の造園家、作庭家。祖父である第14代藤右衛門が始めた日本全国のサクラの保存活動を継承し、「桜守」としても知られる。 「簪桜」を発見した佐野藤右衞門氏、 14代なのかな? (76)<福禄寿> 「東京荒川堤にあった大島桜系の里桜で、花は淡紅色で、花弁は波打つようなしわがある。花弁数は15~20枚あり、大輪として代表的なものである」 ◎「荒川堤の桜」について(ウィキペディアからの抜粋) 桜の品種改良は平安時代頃から行われていたと考えられており、江戸時代後期には品種が250種類近くが存在していた。これらの多くは大名屋敷や神社仏閣に植えられていたが、明治維新後、旧大名や社寺の権威が下がると共に桜が植えてある敷地は荒廃し、所有者が変わることで多くの桜が近代化に伴い伐採された。駒込の植木職人だった高木孫右衛門は、このような桜を惜しみ、自宅に多種多様な桜を集めて保存を行っていた。 1885年(明治18年)に荒川の堤防が改修される時に、堤防上に桜を植えてはどうかという周辺住民の要望によって、桜が植えられることになった。戸長だった清水謙吾はありふれたソメイヨシノではなく、サトザクラ類の優れた品種を植えたいと考え、旧知の仲だった高木と交渉を行い、彼が集めていた78種3225本の桜をそっくり堤防上に植えた。もしこのとき入手しやすかったソメイヨシノだけを植えていたら、現在見ることのできる江戸時代の品種はもっと少なかっただろうと言われている。 (77)<奈良八重桜> (残念ながら、「枝」でした) 「日本で最も古くからある八重桜で、昔より歌にも詠まれている有名な桜である。花は淡紅色で、開花が進むにつれ白色となり、花弁数は20~50枚ある」 いにしへの奈良のみやこの八重ざくら けふ九重ににほひぬるかな <伊勢大輔(いせのたいふ)> 上記、百人一首第61番目の短歌で有名になった桜です。しかし、2度の「造幣局の通り抜け」訪問では、2度共、「枝」でした(残念!) この桜の開花期は4月下旬から5月上旬、従いまして、「造幣局の通り抜け」の開催時には、絶対、開花が観られない桜の一つのようです。 以下にネットからお借りした写真を2枚貼り付けます。 (78)<作並山> (残念ながら、「枝」でした) 「淡紅色の八重咲き、花期は4月下旬とかなり遅い」 この桜も造幣局の通り抜けの開催時には見られない桜のようです。 以下にネットからお借りした写真を貼り付けます。 (79)<箒桜(ほうきざくら)> (残念ながら、「枝」でした) 「「ヤマザクラ」と「シナミザクラ」との間に生じた桜と考えられる。竹箒を逆さに立てたような樹形を作る。花径3cm程の花は淡紅色の長楕円形で、花弁数は20~30枚である」 この桜もネットからお借りしたものを以下に貼り付けます。 (80)<衣笠(きぬがさ)> 「京都平野神社境内にあった一重桜で、花は淡紅色である。神社の後方には、衣笠山と呼ばれる山があり、発祥地との説もある」 (81)<御座の間匂(ござのまにおい)> 「東京荒川堤にあった品種である。花に香りがあり、花弁数は10~15枚である」 (82)<墨染(すみぞめ)> 「東京荒川堤にあった桜で、花は淡紅白色、直径は大きく4cm、一重の里桜。若葉の色がやや暗い感じがするところから、この名が付けられた」 (83)<浦和> 「浦和の桜愛好家が育成した品種で、花は淡紅色である」 (84)<笹賀鴛鴦桜(ささがおしどりざくら)> 「原木は長野県松本市笹賀地区にあり、百瀬氏が自宅で栽培していた大島桜の種子より育成選抜されたという桜。葉や花の特徴から、大島桜にオシドリザクラが交雑したものと推定され、花は淡紅色で、花弁数は50~60枚ある」 (85)<塩竈桜(しおがまざくら)> 「仙台塩竈神社にあった八重桜で、大輪の花が密生して咲く。花は淡紅色で、花弁数は35~50枚で縦しわがあり、先端は切れ込みが多く、雌しべが緑色葉化している」 <3、4列目> (86)<松前薄紅九重> 「北海道松前町の浅利政俊氏が「ココノエ」と「カスミザクラ」との交配から育成した桜で、花は淡紅色で花つきが良く、花弁数は12~15枚である」 ◎松前町の「桜守」、浅利政俊氏 浅利さんは元小学校教諭で、昭和20年代後半から八重桜のルーツ解明や苗木の育成に取り組んだ。松前松城小学校勤務時代の1957(昭和32)年、当時の佐々木豊松前町長が掲げた「町教育植物園構想」で、桜の園づくりを依頼された。 昭和30年当時、松前神社の左右に八重桜や山桜を中心に300本ほどしかなかった松前公園の桜を、現在では250種1万本の「桜の名所」に育て上げた。自らも「桜博士」として105種の桜を育成、平成17年、財団法人「日本さくらの会」から北海道ではただ一人、「桜守」に選ばれた。 北海道の「松前公園」、 大阪造幣局の約2倍の桜の品種があるのだ! 行ってみたい! (87)<須磨浦普賢象> 「平成2年4月、兵庫県神戸市の須磨浦公園において「普賢象」の枝変わりとして発見された。花色が黄緑色に変化したもので、開花終期には花弁の基部から赤色に変色する」 (88)<糸括(いとくくり)> 「江戸時代から知られている桜で、花は淡紅色、花弁数は10~15枚ある」 この桜、素晴らしい! (89)<笹部桜> 「水上勉氏の小説「桜守」のモデルとなった笹部新太郎氏が、実生の中から選出育成した桜。直立高木で成長が速く、花は淡紅色で、花弁数は14枚程度の中輪である」 フ~! やっと89種を紹介する事が出来ました。 次回のブログで ゴールインしたいと思っていますが、 どうなりますことやら? (以下、「2019年の桜行脚(7)~大阪造幣局の通り抜けの桜(4)」に続きます) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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