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リュウちゃんの懐メロ人生

リュウちゃんの懐メロ人生

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2019年07月09日
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カテゴリ:美術鑑賞
​​​​​​​​​​​​​​​​​​
謎に満ちたフェルメールの生涯、
謎に満ちた「青いターバンの少女」
この少女はいったい誰なのか?



(前回のブログの続きです)

​リュウちゃんの「俄かフェルメール極め」のブログ、後半に入ります。​

​冒頭に掲げた「真珠の耳飾りの少女(青いターバンの少女)」は、このブログの2番目(全体で22番目)に正式に(!)再登場しますが、今回のブログではアイキャッチとして冒頭に登場してもらいました。​

前回のブログでもちょっと書きましたように、リュウちゃんがフェルメールという画家の名前を知ったのは、多分(?)平成12年(西暦2000年)です。恐らく20世紀には、一部専門家を除いて、一般にはフェルメールの名前は殆ど知られていなかったのではないでしょうか?

​リュウちゃんが中学生だった昭和30年代、中学校に美術の教科書には、17世紀オランダの画家としては、レンブラントがただ一人掲載されていた筈です(当時の美術の教科書には、確かレンブラントの代表作「夜警」の写真が掲載されていたという記憶があります)​
​21世紀に入って、急にフェルメールの名前は日本でポピュラーになりましたが、現在でもフェルメールはリュウちゃんも含め、大半の日本人にとりましては「謎の画家」なのではないでしょうか?​

よし、それでは著名なレンブラントと
フェルメールの年譜を併記して、
フェルメールの謎に迫ってみよう!

ということで、やや煩雑になりますが、本題に入る前に2人の「年譜」を以下に書いてみます。

​​​<フェルメール(◎)レンブラント(★)年譜>​​​
★1606年、アムステルダムに近いライデンで生まれる(家業は製粉業)
★1620年、14歳でライデン大学に入学するも、同年又は翌年に退学、歴史画家ヤーコプ・ファン・スヴァーネンブルフ(英語版)に弟子入りして絵画をの道に進む。
★1624年に18歳の時、当時オランダ最高の歴史画家と言われたアムステルダムのピーテル・ラストマンに半年間師事した。
★1625年(19歳)、実家にアトリエを構え、処女作とされる「聖ステバノの殉教」を製作。


(レンブラントの処女作「聖ステバノの殉教」)​

★1628年(22歳)、初めて弟子を取る
★1630年(24歳)工房をアムステルダムに移す。
​◎1632年、ヨハネス・フェルメール、オランダの中都市「デルフト」で生まれる。父の本業は絹織物職人、傍ら、父はパブと宿屋を営んでいた(この時、レンブラントは26歳、レンブラントはフェルメールよりも26歳年上だった)​


​​(現代のデルフト)
​★1632年、出世作であり代表作の一つである「テュルプ博士の解剖学講義」を製作。


(テュルプ博士の解剖学講義)

★1634年、裕福なサスキア・ファン・オイレンブルグと結婚、この結婚により多額の持参金とアムステルダムの富裕層へのコネクションをレンブラントにもたらし、正式にアムステルダム市民として承認されると共に、オランダの画家のギルドである「聖ルカ組合」のメンバー(親方になる)の一員になった(28歳)
​★1642年、代表作の一つである「夜警(フランス・バニング・コック隊長の市警団)」を完成(36歳)


(夜警)
★1642年、妻のサスキア死去、莫大な遺産を受け継いだが、この頃からレンブラントの人生は暗転し始めた。
◎1653年、カタリ―ナ・ボルネスと結婚(21歳)、結婚後、しばらくしてカタリ―ナの大変裕福な母親、マリアの実家で生活、カタリ―ナとの間に15人の子供が生まれた。またこの年、デルフトの「聖ルカ組合」に親方画家として登録、
◎1654年頃(22歳)、現存する最初期の作品「マリアとマルタの家のキリスト」制作、
​★1656年、浪費癖により破産、無一文となり、豪邸から貧民街に移住、しかし彼の芸術探求の意気は衰えなかった。​
◎1657年(25歳)生涯最大のパトロンであるピーテル・クラースゾーン・ファン・ライフェンの知遇を得る。このパトロンはフェルメールを支え続け、彼の作品を20点所持していた。彼の援助があったからこそ、仕事をじっくり丁寧にこなすことができ、年間2、3作という寡作でも問題なかったと考えられる。
◎1662年から2年間(30~32歳)、最年少で聖ルカ組合の理事を務め、また1670年からも2年間同じ役職に就いている。2度にわたって画家の組合である聖ルカ組合の理事に選出されるのは大変珍しいことであり、生前から画家として高い評価を受けていたことが窺われる。
◎1665年頃(33歳頃)、代表作「真珠の耳飾の少女(青いターバンの少女)」制作、
​★1669年、死去(享年63歳)​
◎1672年(40歳)、第三次英蘭戦争が始まり、オランダ本土は荒廃、加えて最大のパトロンだったファン・ライフェンがこの頃死去「不遇の時代」に入る。
◎1675年(42歳か43歳)、死去。

レンブラントは大きな工房を運営し、多数の弟子を持っていましたが、フェルメールは弟子を持たず、一人で制作に励んだようです(「フェルメールの弟子」をネット検索しましたが、全くヒットしませんでした)。このことがレンブラントとフェルメールの生涯制作点数(レンブラント:700~1000点、フェルメール:30数点)という差になったのかな?とリュウちゃんは思っています。

それでは前回に続き、フェルメールの作品の紹介をしていきます。

<フェルメール作品一覧(2)>

(21)「赤い帽子の女」


制作年代:1665年〜1666年頃、(技法:板、油彩)、サイズ:22.8×18cm、所蔵:ナショナル・ギャラリー

(来日履歴):1回(平成30年-31年、「フェルメール展」上野の森美術館)
​「他のフェルメール作品に比べて例外的にサイズが小さいこと、カンヴァスでなく板に描かれていることなど異色の作品であり、フェルメールの真作であるかどうか疑問視する意見もある。絵の前面には、フェルメールの絵にしばしば登場する、背もたれに獅子頭の飾りの付いた椅子の飾りの部分のみが見えている。絵の各所に見られる、フォーカスがぼけたような表現や点描風の描き方は、カメラ・オブスクーラを利用して作画したためではないかと言われている。エックス線写真によって、この作品は男性の肖像を描いた別の絵を塗りつぶして描かれたことがわかっている」
この「女」、一見したところ、男性のように見えますね。

​​(22)「真珠の耳飾の少女(青いターバンの少女)」​​


制作年代:1665年 - 1666年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:44.5×39cm、所蔵:マウリッツハイス美術館(オランダ)

​(来日履歴):5回(昭和59年、、国立西洋美術館、愛知県美術館)(平成12年、「日蘭交流400周年記念特別展覧会 フェルメールとその時代」 大阪市立美術館)(平成24年)、「ベルリン国立美術館展」国立西洋美術館、九州国立博物館)(平成24-25年、 「マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝」 東京都美術館、神戸市立博物館)(平成30年-31年、「フェルメール展」上野の森美術館)​

​​「少女の謎めいた雰囲気から「北方のモナリザ」とも呼ばれ、フェルメールの最も有名な作品の一つである。他の多くのフェルメール作品と異なり、この作品には物語性や教訓性はなく、無地の暗い背景に少女の上半身だけが描写されている。修復時の調査により、下塗りには場所によって黄土、赤、クリーム色などさまざまな色を使い分け、微妙な階調を出していることがわかった。少女の衣服の襟の白色がイヤリングに反映しているところも的確に描写されている。修復の結果、唇の両端に白の点を置き、唇の濡れている感じを表していることもわかった。この作品は、トレイシー・シュヴァリエが2000年に発表した小説『真珠の耳飾りの少女』およびそれを原作とした映画によって一段と有名になった。小説ではフェルメール家の女中がモデルとされ、画家と女中の間に淡い恋物語が展開するが、無論これはフィクションで、実際のモデルは誰だったか(そもそも特定のモデルがいたのかどうか)は不明である」
​​
​(フェルメールの死後の来歴)​

​​この絵は、注文を受けて描かれたのか、そうであれば誰から注文を受けたのか、という事も不明である。その後、フェルメールは1675年に43歳で破産同然で死去したので、残された作品も競売にかけられるなどして散逸した。『真珠の耳飾りの少女』も、他の絵とともに1696年に競売された目録が残っている。その後、1881年まで所有者は転々としたが、1881年、ハーグで開催されたオークションで、デ・トンブ(A.A. des Tombe)によってわずか2ギルダー30セント(およそ1万円!)でこの絵を落札した(当時この絵は極めて汚れており、そうした低評価もやむを得なかった)。デ・トンブには相続人がいなかったため、この絵を他の絵画と一緒にマウリッツハイス美術館に寄贈し、以後ここに所蔵されている。1882年には補修が行なわれ、1960年、1994年から96年にも補修されたが、1994年から2年間の修復は入念かつ徹底的に実施され、その結果、絵はフェルメールによって描かれた当時の状況に非常に近いものとなっている。現在取引きされるなら、その価格は100億円とも150億円とも言われる」​​

​リュウちゃん、先週レンタル店から2003年に公開された映画「真珠の耳飾りの少女」のDVDを借りて来て観ることが出来ました。​
 
この映画は、アメリカの女流小説家トレイシー・シュヴァリエ(1962~)が2000年に発表した小説「真珠の耳飾りの少女(原題:Girl with a Pearl Earrng)」を2003年に映画化したもので、 フェルメールの絵のモデルになったのは、フェルメール家の女中だったという設定になっています。この設定は上述のように歴史的な根拠はないようですが、無理のない設定で、一番有力な設定ではないかとリュウちゃんは思いました。

設定は仮説だが、映画で描かれた17世紀のデルフトの街並み、当時の風俗、全編フェルメールの絵のようなフェルメール家の内部の描写、モデルの女中を演じたスカーレット・ヨハンソンの魅力、

​素晴らしい映画だ!​

下、この映画のスチル写真を2枚貼り付けます。





​(余談)​
​リュウちゃんがフェルメールを認識した平成12年、この絵は確か「青いターバンの少女」というタイトルで日本に紹介されたと記憶しています。結局リュウちゃんは現在まで本物を観たことはないのですが、展覧会のポスターのこの絵を観た時、特にターバンの青色に魅かれました。​
 
​​​このターバンに使われた青色は俗に「フェルメールブルー」と言われており、西アジア原産のラピスラズリ(瑠璃=12月の誕生石)という宝石から作った非常に高価な絵の具を用いたものだそうです。ウィキペディアにも「ともとこのターバンが人々の目を引き、『青いターバンの少女』・『ターバンを巻いた少女』と呼ばれて来た」と記述されています。​​​

そのタイトルが「真珠の耳飾りの少女」に変わったのは、この映画(平成15年公開)からなのかな?

​(23)「合奏」​​


制作年代:1665年 - 1666年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:72.5×64.7cm、所蔵:イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館(アメリカ合衆国)

(来日履歴):なし、(1990年に盗難、現在も未発見)
​​「画面奥に楽器を演奏する人物を配する点は『音楽の稽古』と似るが、この絵では女性が2人になっている点が異なっている。左の女性が弾く楽器はチェンバロ(クラヴサン)(※)で、蓋の裏面には田園風景の絵が描かれている。こちらに背を向けた中央の男性は斜めに置かれた椅子に腰掛けてリュートを弾き、右の女性は右手で調子を取りながら歌っている。背後の壁に掛けられた絵のうちの1枚は、フェルメール家の所蔵品であったディルク・ファン・バビューレン作『取り持ち女』である。これは売春婦と客、その両者を取り持つ「取り持ち女」を描いた絵であり、リュートを弾く男性の関心が音楽以外のところにもあることを暗示している。本作は1990年3月18日に所蔵先の美術館から盗まれた。フェルメールの作品は1970年以降相次いで盗難に遭ったが、本作品のみが現在も未発見であり、FBIが捜査中である」​​

(※)(チェンバロ):ルネサンス・バロック期に使用された大型の撥弦鍵盤楽器、形状は現代のグランドピアノに似ている(小型の撥弦鍵盤楽器であるヴァ―ジナルは現代のアップライトピアノに似ている)​

映画「真珠の耳飾りの女」にも、この絵に描かれた蓋の裏に田園風景が描かれたチェンバロが出て来ましたよ!


​(チェンバロ)​

​​チェンバロが弦をはじいて(撥いて)音を出す撥弦鍵盤楽器であるのに対して、ピアノは弦をハンマーで打って音を出す打弦鍵盤楽器です。形は似ていますが、音の出し方が全く違っています。ピアノは打弦機能によって小さな音(ピアノ)から大きな音(フォルテ)まで、自由に音量を出せるようになり、オーケストラに匹敵する楽器になりました。​​

​(24)「フルートを持つ女」
​​
制作年代:1665年 - 1670年頃、()技法:板、油彩)、サイズ:20×17.8cm、所蔵:ナショナル・ギャラリー

(来日履歴):なし、
​「この作品は保存状態が悪い上に出来映えも他のフェルメール作品に比べて劣ると評価され、フェルメールの真作とは見なさない研究者が多い。所蔵先の美術館でも「伝・フェルメール作」と表示している。フェルメールの描いた未完成作を彼の死後に他の画家が補筆したものだという説もある。フェルメール作とされる絵画のうち、板に描かれているのは本作品と『赤い帽子の女』のみである」​

板で描かれた2作品、(21)「赤い帽子の女」と本作品に描かれた女性はよく似ていますね。でも、リュウちゃんにとりましては、魅力薄な作品です。

​​(25)「絵画芸術」


制作年代:1666年 - 1667年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:120×100cm、所蔵:美術史美術館(オーストリア、ウィーン)

(来日履歴):1回(平成16年、東京都美術館、神戸市立博物館)
​「こちらに背を向け、イーゼルに向かう画家とモデルの少女とが表されている。この作品は単なるアトリエ風景の描写ではなく、「絵画芸術」そのものをテーマとした寓意画と見なされている。青のローブと黄色のスカートをまとったモデルの少女は月桂冠をかぶり、名声を象徴するトランペットと歴史を象徴する分厚い本を手にしている。通説ではこの少女は歴史のミューズであるクリオであり、画家(一説にはフェルメール自身と解釈されている。)は「歴史画」を描いていることになる。「歴史画」とは、聖書や古代の神話、古典文学、歴史上の事件などを題材とした絵画のことである。描く画家にも一定の教養と構想力が要求される「歴史画」は、西洋においては「風俗画」「肖像画」「静物画」「風景画」などの他のジャンルの絵画よりも一段高いランクの絵画と見なされていた。背景の壁にかかる地図は、カルヴァン派(新教)の北部諸州(オランダ)とカトリックの信仰を守った南部諸州(後のベルギー)に分かれる以前のネーデルラントの地図である(ただし、地図の中央にある大きな折りじわが南北両地域の境に当たることが指摘されている)。天井から下がるシャンデリアには過去の支配者であるハプスブルク家の紋章(双頭の鷲)が表されている。これらのモチーフは、フェルメールのカトリック信仰の表明とも見なされている(フェルメールは新教徒の家に生まれたが、結婚の際にカトリックに改宗したと推定されている)。しかし、画面中央にフェルメールの名前が刻まれていることから、後世の見る目のない批評家、美術史家の解釈を含めた作品、それらを超える作品であると言える。なお、第二次世界大戦中、ヒトラーのためにナチス・ドイツに接収された」​

​​(26)「少女」


制作年代:1666年 - 1667年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:44.5×40cm、所蔵:メトロポリタン美術館

(来日履歴):なし、
​「『真珠の耳飾の少女』と同様、無地の暗い背景に少女の上半身のみが描かれている。しかし、『真珠の耳飾の少女』ほど評価は高くなく、絵全体の印象もかなり異なっている。『真珠の耳飾の少女』同様、実在のモデルを描いたものかどうかは定かではない」​

​(27)「婦人と召使」​​


制作年代:1667年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:90.2×78.7cm、所蔵:フリック・コレクション

(来日履歴):なし、

​「女主人と女中、そして手紙というモチーフは他の作品(『恋文』『手紙を書く婦人と召使』)にも共通するものだが、本作品では背景を黒で塗りつぶしている点が他と異なっている。女性が着ている、毛皮の縁のついた黄色の上着は他のいくつかの作品にも登場するものである」​

​​この作品では、右側の「婦人」の着ているドレスの「黄色」が鮮やかです。(22)「真珠の耳飾りの少女」でもターバンのブルーとイエローの対比が鮮やかですね。この鮮やかな「黄色」は、「フェルメール・ブルー」に匹敵する重要な色で、「フェルメール・イエロー」というべきものだと思われます。​​
​「フェルメール・イエロー」の黄色い絵の具は、実は「インディアンイエロー」というインド・ベンガル地方の特産品で、マンゴーの葉だけを食べさせた牛の尿(おしっこ)を集めて乾燥させたものなのだそうです。​

​(28)「天文学者」​​


制作年代:1668年、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:50×45cm所蔵:ルーヴル美術館(フランス、パリ)

(来日履歴):1回(平成27年、国立新美術館、京都市美術館)
​「フェルメールの現存作のうち、作者のサインとともに制作年が記された数少ない絵の1つである(他に制作年が記載されているのは『地理学者』、『聖プラクセディス』、『取り持ち女』のみ)。本作品は『地理学者』とサイズがほぼ等しく、両者は一対の作品として構想されたとするのが通説である。モデルについては確証はないが、フェルメールと同年の生まれで、同じデルフトの住人であった科学者アントニ・ファン・レーウェンフックではないかと言われている。フェルメールの死後、レーウェンフックが遺産の管理にあたっていることなどから、2人の間には何らかの交流があったと考えられている。天文学者は天球儀に向かっている。その手前にあるのはアストロラーベという、天体の角度を測る器械である。机の上の本は研究者のJ・A・ウェリュ(J. A. Welu)によってアドリアーン・メティウス著『星の研究と観察』という書物であることが指摘され、その本の何ページが開かれているかまで解明されている。壁の絵は『モーセの発見』であり、ユダヤの民を導いたモーセは地理学・天文学にも縁のある人物だと解釈されている」​

​(29)「地理学者」​​


制作年代:1669年、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:51.6×45.4cm、所蔵:シュテーデル美術館(ドイツ、フランクフルト)

(来日履歴):2回(平成12年、「日蘭交流400周年記念特別展覧会 フェルメールとその時代」 大阪市立美術館)(平成23年、豊田市美術館)

​「『天文学者』と対をなす作品とされる。フェルメールの作品のうち、男性単独像は本作と『天文学者』の2点のみである。モデルは長髪や鼻の形が『天文学者』の男性と似ており、同一人物のように見える。地理学者は日本の綿入はんてんのようなローブを着、手にはコンパス(またはディバイダ)を持っている。背後のたんすの上の地球儀は、『天文学者』に描かれている天球儀とともにヨドクス・ホンディウス(1563年 - 1612年)の作になるものである」​

​(30)「レースを編む女」​​


制作年代:1669年 - 1670年頃、(技法:カンヴァス(板の裏打ち)、油彩)、サイズ:23.9×20.5cm、所蔵:ルーヴル美術館

(来日履歴):1回(平成21年、国立西洋美術館、京都市美術館
​「フェルメールの作品には小品が多いが、中でも本作は『赤い帽子の女』『フルートを持つ女』とともにサイズの小さい作品の1つであり、(板でなく)カンヴァスに描かれた作品の中ではもっとも小さい。手紙のやりとり、楽器の演奏、飲酒といったテーマから離れ、生産的活動に努める女性を単独で表している点で、他のフェルメール作品とは異なっている。絵の各所に見える焦点のぼけたような描写(特に女性の手前の赤い糸に顕著に見られる)はカメラ・オブスクーラを用いて作画したことの影響と見なされている」​

​​(31)「恋文」​​


制作年代:1669年 - 1670年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:44×38cm、所蔵:アムステルダム国立美術館

(来日履歴):4回(平成12年、愛知県美術館、国立西洋美術館 )(平成17~18年、兵庫県立美術館)(平成19年、兵庫県立美術館)(平成30年-31年、「フェルメール展」大阪市立美術館)

​「本作品では、手紙を受け取って当惑顔の女主人と、訳知り顔の女中が描かれ、物語の細部は鑑賞者の想像にゆだねられている。女主人が手にしている楽器(ここではシターン)は恋愛と関係の深いモチーフである。また、背後の壁に掛かる海景を表した絵は、女性の揺れ動く心を象徴している。洗濯物の入った籠や画面手前に見える箒は、恋に落ちた女性が(17世紀当時の価値観では女性の義務であった)家事をおろそかにしていることを暗示している。女主人と女中の描かれている長方形の空間を「鏡」であると見なす研究者もいる」​

​(32)「ギターを弾く女」​​


制作年代:1670年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:53×46.3cm、所蔵:ケンウッド・ハウス(イギリス、ロンドン)

(来日履歴):なし、

​「フェルメールの晩年(と言っても30代後半から40代前半であるが)の1670年代の作品には、明らかな画力の低下が見られ、この時期の作品は一般にあまり高く評価されていない。本作品も1660年代の最盛期の作品に比較すると表現が平板で単調になっている点は否めない。この作品は1974年2月23日に盗難に遭った。犯人からは絵の返却と引き換えに政治的な要求が突き付けられ、その内容からIRA系の人物の犯行と推定された。要求が通らない場合は絵を燃やすとの声明もあったが、盗難から2か月半後の5月6日、匿名の人物からの電話通報により、絵はロンドン市内で無事発見された」​

​(33)「手紙を書く婦人と召使」​​


制作年代:1670年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:71.1×60.5cm、所蔵:アイルランド国立絵画館(アイルランド、ダブリン)

(来日履歴):3回(平成20年、「フェルメール展 -光の天才画家とデルフトの巨匠たち-」 東京都美術館))(平成23年、京都市美術館、宮城県美術館、Bunkamuraザ・ミュージアム)(平成30年-31年、「フェルメール展 」上野の森美術館、大阪市立美術館)
​​「フェルメールの作品には手紙をモチーフにしたものが多く、本作品もその中の1つである。女主人と女中を描いた作品は他に『恋文』と『婦人と召使』があるが、これら2作品が女中が女主人に手紙(おそらくは男性の愛人からのもの)を渡す場面を描いているのに対し、本作品では女性が手紙を書き、女中はその手紙が書き終わるのを待っているという構図である。女中は窓の外を見やっている。テーブルの前の床には印章と封蝋(手紙に封をするためのもの)が転がっている。背後の壁の絵は『モーセの発見』(※)をテーマにしたもので、『天文学者』の背景にも描かれている」​​

(※)「モーセの発見」;エジプト王ファラオは全国民に「生まれたヘブライ人の男子は一人残らずナイル川に投げ込んで殺せ」、レビー族のある夫婦の間に男の子が生まれた。夫婦は三ヶ月間隠しておいたが、もはや隠し切れず、パピルスの籠を用意して、その中に男の子を入れ、ナイル河畔の葦の茂みに置いた(出エジプト記2章1~3節)​
嬰児殺害を命じたファラオの娘(王女)は、水浴びをしようとして川へ入り、そこで籠に入れられたモーセを発見、ヘブライの子と知りながら王女は男の子を助け、彼をモーセと名付けた(出エジプト記2章4~10節)

「モーセの発見」は多くの画家によって描かれました。以下にルネサンス期ヴェネチアの画家ヴェロネーゼの作品を貼り付けます。


​(ヴェロネーゼ「モーセの発見」)​

​​(34)「信仰の寓意」​​


制作年代:1671年 - 1674年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:114.3×88.9cm、所蔵:メトロポリタン美術館

(来日履歴):なし、
​「この作品より数年前に描かれた『絵画芸術』と同様、寓意をテーマにした作品であり、部屋の様子も『絵画芸術』のそれと似ている。片足を地球儀の上に乗せ、片手を胸に当てる女性は信仰の寓意像であり、手前の床に転がるリンゴと血を吐く蛇は原罪の象徴である。女性の視線は天井から下がるガラスの球体に向けられているが、この球体は信仰を受け入れる人間の理性の象徴とされている。女性の服装を含め、画中の道具立てはペルージャ出身のチェーザレ・リーパが著した寓意画像集『イコノロギア』に基づくものであることが指摘されている。背景の画中画はキリストの磔刑図で、ヤーコプ・ヨルダーンスの作とされている。オランダでは建国以来プロテスタントが支配的で、フェルメールの住んだデルフトも例外ではなかったが、本作品に見られるキリスト教のモチーフはカトリック的であり、カトリック信者からの注文と思われる(フェルメール自身は、結婚時に新教からカトリックへ改宗したと推定されている)。本作品については、細部はよく描かれているものの、女性の身振りが芝居がかっていて品位に欠ける点、女性の身体把握(特に右脚の位置)に不自然さが見られる点などから、現代の美術界ではあまり高い芸術的評価は与えられていない」​

​​(35)「ヴァージナルの前に立つ女」​​


制作年代:1672年 - 1673年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:51.8×45.2cm所蔵:ナショナル・ギャラリー(イギリス、ロンドン)

(来日履歴):なし、
​「似た主題の『ヴァージナルの前に座る女』とともに晩年の作品と見なされている。左方の窓から光の入る室内という設定はおなじみのものだが、この作品では、室内全体が明るく照らされていることと、女性が光に背を向けて立っている点が他の作品と異なっている。背景の画中画はトランプの「1」のカードを持つキューピッド像で、女性の愛がただ一人の人にのみ向けられるべきものであることを意味している。同じ画中画は『中断された音楽の稽古』にも見られる。室内の壁の一番下、床との境目の部分には白地に青の模様の入ったデルフト焼きのタイルが貼られている。これは壁のこの部分が掃除の時などに傷むのを防ぐためのものである」​

​​(36)「ヴァージナルの前に座る女」​​


制作年代:1675年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:51.5×45.6cm、所蔵:ナショナル・ギャラリー

(来日履歴):なし、
​「『ヴァージナルの前に立つ女』やヤン・ミーンス・モーレナール作の『ヴァージナルを奏でる女』(アムステルダム国立美術館所蔵)とテーマが似ている。前者とは画面のサイズもほぼ等しいことから対の作品として描かれた可能性がある。ただし、本作品は『ヴァージナルの前に立つ女』に比べても一段と画力の衰えが見られ、フェルメールが43歳で没する直前の最晩年の作と考えられている。画力の衰えは、背景の画中画の額縁の簡略な描き方や、ヴァージナルの側面の大理石模様の描写などに端的に見られる。画中画は『合奏』の背景にも描かれていた、ディルク・ファン・バビューレン作『やり手婆あ』(娼館の情景を描いた絵)であるが、この画中画が絵のテーマと密接に関係しているかどうかは定かでない」​

​37)「ヴァージナルの前に座る若い女」​


制作年代:1670年頃、(技法:カンヴァス、油彩)、サイズ:25.5×20.1cm、所蔵:個人蔵

(来日履歴):1回(平成20年、「フェルメール展 -光の天才画家とデルフトの巨匠たち-」 東京都美術館)
​「本作品はベイト・コレクション旧蔵で、文献で初めて紹介されたのは1904年であるが、長年模作または贋作と見なされていた。専門家による鑑定の結果、キャンバスと絵具が17世紀のものであることが明らかとなり、フェルメールの真作と見なされるようになったのは2004年のことであった。そして同年のサザビーズのオークションに出品されて33億円で落札され、一般に知られるようになった。2008年の東京におけるフェルメール展の監修者であるピーター・C・サットンは、この作品のカンヴァスの組織が『レースを編む女』のカンヴァスとほぼ同一であり、両者は同じ布から裁断されたと推定されること、本作品と『レースを編む女』のモデルの髪型がほぼ同じであること、本作品にはフェルメール特有の画材である、高価なラピスラズリが使用されていることなど、作風、技法の両面から、本作をフェルメールの真作と断定している。一方、小林頼子のように本作を真作と認めるにはなお検討を要するとする立場の研究者もいる」​

以上でフェルメールの作品の
紹介は終わりです。
​​
​​このブログの冒頭で、
「謎に満ちたフェルメールの生涯」というキャッチコピーを書きましたが、全ての作品を紹介し終わっても、「謎」は深まるばかりです。まあ、ズブの素人のリュウちゃんが俄かに「フェルメール極め」をしようと思っても「全く無理」であることが痛いほど判ったことが「収穫」だったのですね。​​

「フェルメール極め」は奥が深い、
謎は益々深まる!

これが今回の結論なのでした。

このブログの最後に、日本で公開されたフェルメールの絵画につきまして時系列で確認しておきます。

​​​​<来日した作品一覧>
(下記のナンバーは、本文のナンバーと違い、来日順です)

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1)「ディアナとニンフたち」
(昭和43~44年、国立西洋美術館、京都市美術館 )、(昭和59年、、国立西洋美術館、愛知県美術館)(平成20年、「フェルメール展 -光の天才画家とデルフトの巨匠たち-」 東京都美術館)(平成24-25年、 「マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝」 東京都美術館、神戸市立博物館)
<計4回>
(2)「窓辺で手紙を読む女」
(昭和49年、国立西洋美術館、京都国立博物館)(平成17年、兵庫県立美術館、国立西洋美術館)<計2回>​
(3)「真珠の耳飾りの少女」
(昭和59年、、国立西洋美術館、愛知県美術館)(平成12年、「日蘭交流400周年記念特別展覧会 フェルメールとその時代」 大阪市立美術館)(平成24年)、「ベルリン国立美術館展」国立西洋美術館、九州国立博物館)(平成24-25年、 「マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝」 東京都美術館、神戸市立博物館)(平成30年-31年、「フェルメール展」上野の森美術館)<計5回>​
(4)「手紙を書く女」
(昭和62年)、(平成11年、国立西洋美術館 )(平成23年、京都市美術館、宮城県美術館、Bunkamuraザ・ミュージアム)(平成30年-31年、「フェルメール展 上野の森美術館、大阪市立美術館」<計4回>​
(5)「聖プラクセディス」
(平成12年、「日蘭交流400周年記念特別展覧会 フェルメールとその時代」 大阪市立美術館)<計1回>​
(6)「天秤を持つ女」
(平成12年、「日蘭交流400周年記念特別展覧会 フェルメールとその時代」 大阪市立美術館)<計1回>​
(7)「リュートを調弦する女」
(平成12年、「日蘭交流400周年記念特別展覧会 フェルメールとその時代」 大阪市立美術館)(平成20年、「フェルメール展 -光の天才画家とデルフトの巨匠たち-」 東京都美術館)(平成30年-31年、「フェルメール展 」上野の森美術館、大阪市立美術館​<計3回>
(8)「地理学者」
(平成12年、「日蘭交流400周年記念特別展覧会 フェルメールとその時代」 大阪市立美術館)(平成23年、豊田市美術館)​<計2回>
(9)「恋文」
(平成12年、愛知県美術館、国立西洋美術館 )(平成17~18年、兵庫県立美術館)(平成19年、兵庫県立美術館)(平成30年-31年、「フェルメール展」大阪市立美術館)​<計4回>
(10)「絵画芸術」
(平成16年、東京都美術館、神戸市立博物館)<計1回>​
(11)「牛乳を注ぐ女」
(平成19年、国立新美術館)(平成30年-31年、「フェルメール展」上野の森美術館)<計2回>​
(12)「マリアとマルタの家のキリスト」
(平成20年、「フェルメール展 -光の天才画家とデルフトの巨匠たち-」 東京都美術館)(平成30年-31年、「フェルメール展 」上野の森美術館、大阪市立美術館)<計2回>​
(13)「小路」
(平成20年、「フェルメール展 -光の天才画家とデルフトの巨匠たち-」 東京都美術館)<計1回>​
(14)「ワイングラスを持つ娘」
(平成20年、「フェルメール展 -光の天才画家とデルフトの巨匠たち-」 東京都美術館)​<計1回>
(15)「手紙を書く婦人と召使」
(平成20年、「フェルメール展 -光の天才画家とデルフトの巨匠たち-」 東京都美術館))(平成23年、京都市美術館、宮城県美術館、Bunkamuraザ・ミュージアム)(平成30年-31年、「フェルメール展 」上野の森美術館、大阪市立美術館)<計3回>​
(16)「ヴァージナルの前に座る若い女」
(平成20年、「フェルメール展 -光の天才画家とデルフトの巨匠たち-」 東京都美術館)​<計1回>
(17)「レースを編む女」
(平成21年、国立西洋美術館、京都市美術館​<計1回>
(18)「青衣の女」
(平成23年、京都市美術館、宮城県美術館、Bunkamuraザ・ミュージアム)​<計1回>
(19)「天文学者」
(平成27年、国立新美術館、京都市美術館)​<計1回>
(20)「水差しを持つ女」
(平成28年、福島県立美術館、京都市美術館)​<計1回>
(21)「紳士とワインを飲む女」
(平成30年-31年、「フェルメール展 」 上野の森美術館)​<計1回>
(22)「赤い帽子の女」
(平成30年-31年、「フェルメール展」上野の森美術館)<計1回>​
(23)「取り持ち女」
(平成30年-31年、「フェルメール展」上野の森美術館、大阪市立美術館)​<計1回>

​​果たしてリュウちゃんは生きているうちに「青いターバンの少女(真珠の耳飾りの少女)」の実物に巡り合うことが出来ますことやら?​​
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最終更新日  2019年07月09日 23時25分09秒
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