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リュウちゃんの懐メロ人生

リュウちゃんの懐メロ人生

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2020年04月14日
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​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​<「長崎の雨」:藍川由美>​​「長崎の鐘」:藍川由美​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​
古関裕而の格調高いメロディは
戦後に大輪の花を咲かせた。


(晩年の古関裕而)
(前回のブログの続きです)
​​◎「夢淡き東京」
​​
​戦後、古関裕而の最初の大ヒット曲になったのは、サトウハチローの東京の復興を明るく、力強く謳いあげる詞に付曲した「夢淡き東京」です。
 
<「夢淡き東京」~藤山一郎>​→ここをクリック(以下同様)​
以下に、この歌の1番の歌詞を挙げます。

♪~柳青める日 つばめが銀座に飛ぶ日
  誰を待つ心 可愛いガラス窓
  かすむは春の青空か あの屋根は
  かがやく聖路加(せいろか)か
  はるかに朝の虹も出た
  誰を待つ心 淡き夢の町 東京~♪

​​​昭和22年といえば、まだ戦災からの復興が始まったばかりで、戦前の銀座のシンボルだった「柳並木」も戦災で消失してしまったようです。上記「夢淡き東京」の明るい歌詞で謳われた「東京」は現実の「荒廃した東京」ではなく、文字通り、「淡き夢の町東京」だったのですね。​​​

​この歌は昭和22年に公開された映画「音楽五人男」の主題歌です。​

◎「白鳥(しらとり)の歌」
​​
映画「音楽五人男」の挿入歌として、若山牧水の有名な短歌3首に曲を付けた「白鳥(しらとり)の歌」が作られ、この曲もヒットしました。
<「白鳥(しらとり)の歌」~藤山一郎・松田トシ>
 
以下にこの歌の歌詞になった若山牧水の短歌3首を書きます。

白鳥(しらとり)は かなしからずや 空の青 海の青にも  染まずただよふ

いざ行かむ 行きてまだ見ぬ  山を見む このさびしさに  君は耐ふるや

幾山河(いくやまかわ) 越えさり行かば  寂しさの はてなむ国ぞ  今日も旅ゆく

​(※)若山牧水の短歌「白鳥は~」は、牧水がまだ早稲田の学生だった明治40年頃、千葉県の外房・根本海岸で詠まれたもののようです。この短歌は明治41年に刊行された牧水の第一歌集「海の声」に収録されました。ここに出てくる「白鳥」は、SWANではなく、カモメだという説が優勢で、この歌のタイトルも「白鳥(はくちょう)の歌」ではなく、「白鳥(しらとり)の歌」なのです。​

古関裕而の「白鳥の歌」、
日本の抒情歌の屈指の名曲なのだ!

(※)この歌、リュウちゃんが指導している「歌声サークル」で、昨年採り上げ、好評を博しました。
◎「雨のオランダ坂」
​​
​​昭和22年の大ヒット曲です。長崎を舞台にした映画「地獄の顔」(原作:菊田一夫)の主題歌、古関裕而初の「長崎もの」、また、後年、古関裕而と組んで数々の大ヒット曲を世に送り出した劇作家・作詞家の菊田一夫の最初の作詞曲です。​​


(菊田一夫)

<「雨のオランダ坂」~渡辺はま子>
 
<雨のオランダ坂」~藍川由美>


(渡辺はま子)
​◎「三日月娘」​​

​​昭和21年、NHKの「ラジオ歌謡」で放送、翌年(昭和22年)にレコードが発売されました。一貫して「ボレロ」のリズムで歌われるエキゾティックな「大陸歌謡」の最後の作品です。​​
<「三日月娘」~藤山一郎>
 
以下に1番の歌詞を挙げます。

♪~幾夜重ねて 砂漠を越えて
あすはあの娘(こ)の いる町へ
鈴が鳴る鳴る 駱駝(らくだ)の鈴が
思い出させて 風に鳴る~♪

この歌の舞台は、多分「ゴビ砂漠」か「タクラマカン砂漠」、まるで「アラビアン・ナイト」のようなエキゾティックな歌ですね。

この歌もリュウちゃんの最愛の
カラオケ・レパートリーの一つなのだ!

​(※)「大陸歌謡」とは、​​

​戦前、日本が満州や中国に進出するのに併せ、アジアを舞台にした歌謡曲が多数作られました。これらの歌を総称して「大陸歌謡」といいます。以下、幾つか「大陸歌謡」のYou-Tubeを貼り付けます。​
 
 
 
 

「三日月娘」は
「大陸歌謡」の白眉だ!

◎「とんがり帽子」

​昭和22年7月から始まったNHKラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌です。​
 
<「とんがり帽子」~川田正子>


(ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」ポスター)
​​戦争から復員してきた青年(加賀美修平)が、戦災孤児(浮浪児)たちのために、信州に彼らの住める場所を作ってあげようと努める物語です。当時、都市部では浮浪児が町中に溢れ、進駐軍のジープが来ると、片言の英語で、「ギブミーチョコレート」などと叫んで、アメリカの軍人に食べ物やお菓子をねだったのでした。「鐘の鳴る丘」に集められた浮浪児たちは、最初はてんでバラバラで、生きていく意欲も希薄だったのですが、修平青年の情熱が次第に浮浪児の心を解きほぐし、彼らは次第に力強く生きていきます。このストーリーが感動を呼び、戦後最初の「国民的大ヒットドラマ」になりました。
​​
このドラマは、佐田啓二(中井貴一の父親)主演で映画化されました。


(「鐘の鳴る丘」映画ポスター)
​尚、長野県安曇野市に「鐘の鳴る丘集会所」という建築物があります。​


(鐘の鳴る丘集会所)
​​​この建物の正式名称は「有明高原寮」、開放的な施設の男子少年院です。映画「鐘の鳴る丘」のロケで使われた建物なのです。この建物の中央にある時計塔の先端が「とんがり帽子」の形をしているので「とんがり帽子の時計台」という歌詞が生まれたのだそうです。
​​​
​​<作詞:菊田一夫と作曲:古関裕而のヒット曲>
​​
劇作家・作詞家の菊田一夫と古関裕而は、昭和22年にスタートしたラジオドラマ「鐘の鳴る丘」を皮切りに、次々とラジオ・テレビドラマのヒット作品を生み出していきます。以下、2人のコンビのヒット曲を辿ってみます。

​​◎「さくらんぼ大将」​​

​昭和25年末に終了したラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の後番組として、昭和26年にスタートしたラジオドラマ「さくらんぼ大将」の主題歌です。​
 
​​<「さくらんぼ大将」~川田孝子>


(川田孝子)
​ラジオドラマ「さくらんぼ大将」は、福島県のサクランボの名産地・茂庭(もにわ)村に住んでいる孤児の六郎太少年が、村の医師・蛮洋先生(古川ロッパ)と旅をする中で、成長していく物語のようです。​
ドラマの「挿入歌」として、下記の歌もヒットしました。
<「さくらんぼ道中」~古川ロッパ&土屋忠一>
 
​(※)リュウちゃん、幼い頃、「さくらんぼ道中」はよく歌っていた記憶があります。「アッハハーのアッハハー、アッハハーのハノハノハー~」の笑い声で始まる陽気な歌は、大人になってからも曲のタイトルは忘れてしまったのですが、よく口づさんでいたのです。​

「さくらんぼ大将」の歌を知ったのは、比較的最近のことですが、実に心の晴れる歌で、今では「とんがり帽子」以上の愛唱歌になっています。昨年、地元の公民館で指導している「歌声サークル」でこの歌を採り上げましたところ、最初は誰もこの歌を知らなかったのですが、今ではクラブの愛唱歌の一つとして定着したのです。

「さくらんぼ大将」、
「とんがり帽子」以上の
素晴らしい歌なのだ!

​​◎「君の名は」​​

​昭和27年4月から2年間に渡り、NHKラジオドラマ(連続放送劇)として放送され、放送時間(毎週木曜日、午後8時30分~9時)には「銭湯の女湯がガラガラになる」という伝説を生んだほどの超人気番組になりました。​
昭和28年には、当時のトップスターであった佐田啓二と岸 恵子主演で映画化、映画「君の名は」は爆発的大ヒットとなり、第1部から第3部まで製作され、3作合計3000万人の観客を動員したのです。


(「君の名は」第1部ポスター)


​(「君の名は」の佐田啓二と岸 恵子)​


(岸 恵子)
<映画「君の名は」~第1部冒頭の動画>
 
古関裕而は、この映画の主題歌と挿入歌を合計8曲作曲し、レコードもそれぞれ大ヒットしたのです。以下、各作品の主題歌・挿入歌のYou-Tubeを貼り付けます・

​◎「君の名は」第1部​
 
 
​◎「君の名は」第2部​
 
 
(※)リュウちゃん、「君の名は」の歌の中では、「花のいのちは」が一番好きな歌なのです。

​岸 恵子の歌声が聴ける
唯一の歌なのだ!
​​
でも、岸 恵子の歌はイマイチで、「節回し」が上手く回らないのです(残念!)

​◎「君の名は」第3部​
 
 
 
​<「綾の歌」:淡島千景>​
動画なし(残念!)

​​◎「あの橋の畔で」​​

昭和37年のテレビドラマ、菊田一夫=古関裕而のコンビの最初で最後のテレビドラマです。このドラマの主演は園井啓介と歌手の島倉千代子、「君の名は」の佐田啓二と岸 恵子と同じような役柄です。このドラマは好評で、同年に映画化、映画でのコンビは園井啓介と桑野みゆきでした。

この映画の脚本に
「男はつらいよ」の山田洋次監督が
参加している!

​​園井啓介は昭和33年から始まったNHKテレビドラマ「事件記者」の「ヤマさん」役で人気を博しました。テレビのメロドラマにも多数出演し、主婦層に絶大な人気を博したのです。​


​(「あの橋の畔で」の園井啓介と島倉千代子)​

<「あの橋の畔で」:島倉千代子>
 
<「夕月:島倉千代子>

​​​(※)島倉千代子の「夕月」、リュウちゃん最愛
の歌の一つです! カール・ブッセの「山のあなたの空遠く、幸(さいわい)住むと人のいふ~」を思わせる菊田一夫の美しい詞に、古関裕而が付けた優婉なメロディ!お千代ちゃんの絶唱を聴くたびに「涙ウルウル」になるリュウちゃんなのです。​​

​――<菊田一夫=古関裕而の項、これで終りですーーー​​

ここからは歴史のネジを巻き戻し、昭和23年以降の古関裕而の名曲を辿ってみます。
 
​◎「栄冠は君に輝く」
(夏の全国高等学校野球選手権大会の歌)

​​
<「栄冠は君に輝く」~伊藤久男>
 
​​​​昭和23年、学制の改革に伴い、これまで「全国中等学校優勝野球大会」と称されていた「夏の甲子園」が、「全国高等学校野球選手権大会」に名称が変更されました。この変更に伴い、主催する朝日新聞では、新しい「大会歌」を作ることになり、歌詞を広く一般から公募することになりました(大賞賞金5万円、これは現在の貨幣価値に直せば、200~300万円に相当します)。応募総数5252編の中から大賞に選ばれたのは、石川県在住の文筆家・加賀大介でした。​​​​

​(※)リュウちゃんが地元の公民館で指導している「歌声サークル」では、毎年8月になりますと、この歌を歌います。この歌、単に聴いているだけでも力強さと爽やかさが充分に伝わってくる歌なのですが、実際に歌って見ますと、加賀大介の詞と古関裕而のメロディがぴったりシンクロしていることに驚かされ、歌えば歌うほど、感激が胸に迫って来る名歌なのです。
​◎「フランチェスカの鐘」
​​
「水色のワルツ」で著名な「二葉あき子」の昭和23年のヒット曲です。詞は菊田一夫、上掲のシリーズに入る歌ではなく、菊田=古関の単発のヒット曲です。
 
「フランチェスカの鐘」の実物は
何処にあったのか?

​​と思って、ちょっと調べて見ましたが、作詞者の菊田一夫の弁によれば、「フランチェスカという言葉は俺の好きな発音だったから使っただけなんだよ」とのことでした。広島出身の二葉あき子は、この歌を​「広島市への原子爆弾投下の犠牲者への鎮魂歌」​として、最も大切な曲だとしていたようです。​​

​◎「長崎の鐘」​​

​​​昭和24年に発売され、古関裕而=藤山一郎のコンビを代表する大ヒット曲になりました。詞はサトウハチローです。この詞は、長崎原爆で被爆した長崎医科大学助教授・永井 隆(たかし)博士の随筆「長崎の鐘」をモチーフにして書かれました。この詞には、原爆の惨禍を直接描写した語句は一切出て来ませんが、その様々な思いを「平和の鐘」に託した「抑えた表現」が、かえって感動を呼び起こし、長く歌い継がれる名歌になったとリュウちゃんは思っています。この歌も「歌声サークル」の愛唱歌になっています。​​​
<「長崎の鐘」:藤山一郎>
 
このレコードを聴いて感激した永井博士は、サトウハチロー、古関裕而、藤山一郎に、以下の「新しき朝」という短歌を贈ります。

​<永井 隆「新しき朝」>​
新しき朝の光のさしそむる 
荒野にひびけ長崎の鐘
この短歌は、古関裕而、藤山一郎がそれぞれ別の曲を作曲しました。藤山一郎作曲のものは、時折、彼が「長崎の鐘」を歌う際、続けてうたいました。

<藤山一郎「長崎の鐘」+「新しき朝」>
 
古関裕而が作曲した「新しき朝」は、長い間、レコーディングされる機会が無かったのですが、平成8年(1996年)に発売されたCD<藍川由美「古関裕而歌曲集」>で、作曲後47年目にして初めてレコーディングされたのです。
残念ながら上記の藍川由美さんのYou-Tubeには「新しき朝」は収録されていませんが、興味のある方は下のCDをお買い求め下さいね。


(古関裕而作曲の「新しき朝」が収録されている藍川由美「古関裕而歌曲集」)
​◎戦後の藤山一郎の古関裕而の歌​​

藤山一郎は戦前は古賀政男、戦後は古関裕而の歌をレ多くコーディングしました。ここでは「長崎の鐘」以降の藤山=古関の歌の動画を出来るだけ挙げてみます。


(藤山一郎)
 
<「長崎の雨」>
この歌、全然有名ではないのですが、リュウちゃんの大好きな歌なのです。

例に拠りまして、藍川由美さんのYou-Tubeも貼り付けます。
 
 
 
 
 
​​◎「イヨマンテの夜」​​

昭和24年、伊藤久男のヒット曲です。
​元々はラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の劇中の山男の歌として、山男が「ア~ア~」と口づさむだけのメロディだったようですが、ドラマとは独立した形で菊田一夫が新しく詞を書いた作品です。​
​​「イヨマンテ」とは、アイヌ語で「熊祭り」、「送り儀式」のことのようです。​​
この歌の4年後に、アイヌを題材にした「黒百合の歌」(歌:織井茂子)が「君の名は」第2部の主題歌として登場しますが、「イヨマンテの夜」は「君の名は」とは直接の関係はないようです。

戦後の古関裕而=伊藤久男の歌を幾つか挙げてみます。
 
 
​​◎「あこがれの郵便馬車」​​
昭和26年の大ヒット曲です。
えっ、郵便馬車って、
戦後の日本にもあったの?

という疑問が起こりますね。

​​「郵便馬車」はヨーロッパでは18世紀の終わり頃にメールコーチ(mail coach)という郵便馬車が現れたようです。1827年に作曲されたシューベルトの歌曲集「冬の旅」の第13曲目に「郵便馬車(Die Post)」という名曲があります。
​​
​また、19世紀のロシアの歌曲に「郵便馬車の馭者だった頃」という悲しい歌があります。​

日本では明治時代の初期に「郵便馬車」の制度が出来たようですが、徐々に鉄道やトラックに取って代わられ、遅くとも大正時代の末期には日本から郵便馬車は消えてしまったようです。

​なので、「あこがれの郵便馬車」は実在したものではなく、メルヘンの世界の「夢の馬車」なのです。​

​​◎美空ひばり「花売り馬車」
​​
​古関裕而の「馬車もの」の歌としまして、昭和30年に発売された美空ひばりの「花売り馬車」があります。この歌は昭和30年の第10回文部省芸術祭レコード部門に参加した歌ですが、「あこがれの郵便馬車」以上にメルヘンティックな歌ですね。ひばりちゃん18歳の時の歌唱で、ひばりファンのリュウちゃんと致しましては、素敵な歌!なのです。


​(18歳の頃のひばりちゃん)
​​◎「高原列車は行く」​​

​昭和29年の大ヒット曲です。藤山一郎と並び、戦後の明るい歌謡曲の歌い手だった岡本敦郎(あつお)の代表作であり、現在でも広く歌い継がれている名曲です。​


(岡本敦郎)
<「高原列車は行く」:岡本敦郎>
 
この歌、リュウちゃんの指導している「歌声サークル」の愛唱歌の一つです(作詞:丘灯至夫)

♪~汽車の窓からハンケチ振れば
牧場の乙女が花束投げる
明るい青空 白樺林
山越え谷越えはるばると
ララ……原列車は行くよ~♪

上記の歌詞、まるで「アルプスの少女ハイジ」のような正にメルヘンの世界です!

この詞に謳われている「高原列車」とは
スイスの氷河特急のことかな?
それともJR小海線のことなのかな?

​と、リュウちゃんはずっと思っていたのですが、「歌声サークル」でこの歌を指導するに当り、ちょっと調べてみました。

この詞の3番に「五色の湖」という具体的名称が出てきます。
「五色の湖」とは、
福島県の裏磐梯高原にある「五色沼」だ!
五色沼に近い高原列車は、「JR磐越西線」だ?

​と思ったのですが、後に、この「高原列車」は、作詞家・丘灯至夫が少年時代によく乗っていた「磐梯急行電鉄」(昭和44年廃線)であろうということが分かりました​。


​(五色沼で最も大きい毘沙門沼。後に磐梯山)​

​(※)作詞者・丘灯至夫(おか・としお)について、​

​古関裕而と同じ福島県出身の作詞家・丘灯至夫は、昭和24年、コロムビアレコードの専属作詞家になりました。古関裕而とのコンビの作詞が多く、最初のヒット曲も古関裕而とのコンビで作られた「白いランプの灯る道」(歌・奈良光枝、後出)だったのです。以下、古関とのコンビの作品を挙げて見ます。
​★「白いランプの灯る道」(昭和26年)、★「長崎の雨」(昭和26年)、★「あこがれの郵便馬車」(昭和27年)、★「みどりの馬車」(昭和28年)、★「高原列車は行く」(昭和29年)、​

昭和38年には、舟木一夫のデビュー作「高校三年生」の詞を手掛け、この年日本レコード大賞作詞賞を受賞しました。
他に「東京のバスガール」(コロムビア・ローズ)、「千恵子抄」(2代目コロムビア・ローズ)、「襟裳岬」(島倉千代子)などの作詞があります。

​​◎「白いランプの灯る道」​​

昭和26年、美人歌手・奈良光枝のヒット曲です。

 
この歌もリュウちゃんの大好きな歌です。子供の頃、何かの機会に聴いて、現在まで「心に残る名曲」の一つだったのです。最近、カラオケでもよく歌っていまして、今年の「歌声サークル」で採り上げようと思っている歌なのです。

どろどろとした感情を、霧で包むようにしたロマンティックな大人の別れの歌ですね。

この歌の舞台となった場所は
何処なのか?
手掛かりの一つは、2番の歌詞のラストです。

​♪~遠い汽笛に 夜が更ける~♪​​

​汽笛の音が遠く聞こえる公園、この歌詞から推定すると、上記、藍川由美さんのYou-Tubeの映像のように、横浜市の「港の見える丘公園」なのかも知れませんね。​
もう一つの手掛かりが、1番の歌詞のラストです。

​♪~銀杏並木に 霧が降る~♪
​横浜の「港の見える丘公園」には、銀杏並木は無さそうです。首都圏の銀杏並木で、一番有名なのは「明治神宮外苑の銀杏並木」です。​

​​
(明治神宮外苑の銀杏並木)

多分、作詞した丘灯至夫のイメージには、「港の見える丘公園」と「神宮外苑の銀杏並木」が混在していたのでしょうね。

2カ所のイメージが見事に昇華されて
美しい詞が出来上がった!?

のだとリュウちゃんは勝手に想像していのです。

​​◎「奈良光枝」​​

リュウちゃん、奈良光枝のファンです。ここではリュウちゃんの好きな奈良光枝の歌を幾つか貼り付けます。

 
 
 
 
上記の歌、全部リュウちゃんのカラオケの
重要なレパートリーなのです(苦笑)


(奈良光枝)
​​◎「モスラの歌」​​



昭和36年に公開された東宝怪獣特撮映画「モスラ」の劇中歌です。映画の中で「ザ・ピーナツ」が歌います。

​​◎ハモンドオルガン​​

古関裕而と云えばハモンド・オルガン、昭和20年代の「鐘の鳴る丘」~「君の名は」などのラジオドラマは全て、ぶっつけ本番の「生放送」でした。古関裕而は番組放送中、BGMとしてハモンド・オルガンの即興演奏を毎回やっていたのだそうです。
​ハモンド・オルガンは、昭和4年、アメリカのローレンス・ハモンドによって発明された91の鍵盤を持つオルガン型の電気楽器で、その音色は2憶種類以上もあるようです。発明当初は高価なパイプオルガンが買えなかったアメリカの黒人地区の教会に設置され、ゴスペル音楽の伴奏楽器として発達しました。​
1960年代からは、次第にシンセサイザーなどの小型の電子楽器に取って代わられ、1970年代には、その役割を終えてしまいました。


(ハモンド・オルガン)

古関裕而は何時、
ハモンド・オルガンと出会ったのか?

​これにつきましては、古関の自伝「鐘よ、鳴り響け」の中に、下記のように書かれています。​
「昭和22年頃、進駐軍放送が始まっていたが、その終了番組に、ハモンド・オルガン独奏が毎晩あって、その音色が非常に多彩豊富で変化があり、幽玄な境地さえ表現できるので、私は、これを使おうと思いついた。菊田さんも独活山さんも、これに賛成」

「放送局には、ハモンド・オルガンが発明された2年後に1台購入してあった。時々パイプ・オルガンの代わりに使用されていた。奏者は、東京管絃楽団のメンバーであり、パイプ・オルガンも、アコーディオンも弾ける小暮正雄氏にお願いした。また一番大切なテユープラー・ベル(鐘)だけは、打楽器奏者でないと困るので、1名加えて演奏関係は2名と決まった」

「最初は順調だったが、だんだん台本の仕上がりが遅くなり、作曲が間に合わなくなりそうで、小暮正雄氏に渡すオルガンの楽譜もぎりぎり放送直前になったりした。また菊田さんの音楽指定が複雑になり、ムード表現の作曲はその場その場で、非常に微妙な変化を要求され難しくなってきた。それを伝える時間的余裕もない。ついに独活山さんは菊田さんと相談して、私自身がオルガンを弾くことになった。小暮さんには悪かったがそれより方法がなかった。小暮さんに電気的操作と、レジストレーション(音色構成)の基本を教えてもらい三か月目頃から私が弾くことになった。これが私とハモンド・オルガンとの最初の出合いであった。それまで鍵盤楽器を習ったことはなく、作曲する時にちょっとピアノを弾いてみる程度であった」

「私の演奏が少し巧くなると、菊田さんの音楽効果をねらう要求は、益々細かくなり、せりふの間をぬって時々刻々の変化をせねばならなく、結局、即興曲のようなことになった。その間も即座に音色を変えられ、2億数千万種の音色が出るというオルガンの機能の魅力にひかれ、菊田さんの指定の個所で秒差の狂いもなく場面転換できたりし、二人で満足した」

これまでピアノを
習ったことが無かった古関裕而が
「竹取物語」や交響曲など
の管弦楽作品を作曲していた!
古関裕而は
モーツアルトのような天才だったのだ!

◎マーチ、番組のテーマ音楽など

​​◎「スポーツ・ショー行進曲」
​​
昭和24年からNHKのスポーツ番組で使われたマーチです。

このマーチ、
古関裕而のファンでなくても、
誰でも知っている曲だ!
<スポーツ・ショー行進曲>
 
​​◎「東京オリンピック行進曲」​​
<オリンピック・マーチ>











昭和39年の東京オリンピックの時、リュウちゃんは高校3年生でした。大学受験が目前に迫る中、受験勉強そっちのけでオリンピックのテレビ中継を見入っていたのです。さまざまな感動が今でも胸の奥に残っているのですが、入場行進の時に流された古関裕而作曲の「オリンピック・マーチ」の音楽は、今聴いても、胸キュンになるのです。​
 
​◎「オリンピック讃歌」
​​
古関裕而の「オリンピック・マーチ」と同じように感動したのが、同じく開会式で流れた合唱曲「オリンピック讃歌」でした。
​​この讃歌も
古関裕而の作曲した合唱曲なのか?
と、思っていたのですが、調べてみますと、大変興味深いことが分かりました。

以下、そのことについて書いてみます。

​​<オリンピック讃歌について>
​​
​★「オリンピック讃歌」は、近代オリンピックが復活した1896年の第1回アテネ大会の開会式で演奏された。作詞はコスティス・パラマス、作曲はスピロ・サマラスだった。​
★アテネ大会の開会式に列席していた近代オリンピックの父・クーベルタン男爵は​、「サラマスの作曲は大成功だった。静かにゆっくり始まる旋律が、やがて徐々に躍動を帯び、すべての声すべての楽器が一体となり、この上なく壮大な効果を生んだ。聴衆は熱狂的な拍手を贈った。人は皆、王までもがアンコールを求めた。2度目の演奏が終わった時、拍手喝采はさらに倍になった」​​と語った。​


(「オリンピック讃歌」の楽譜表紙)
★しかし、その楽譜は、アテネ大会終了のあと、急速に忘れられてしまい、楽譜も消失してしまった。第2回の「パリ大会」から第17回の「ローマ大会」までは、演奏されないか、もしくは別の「讃歌」が演奏された。
​★昭和33年(1958年)、アジアでは初めての開催となる「IOC総会」が東京で開催される直前、ギリシャのIOC委員から<消失していた「オリンピック讃歌」の楽譜が見つかった>という報告があり、IOC委員の東 龍太郎・東京都知事(当時)にギリシャから楽譜が届けられた。​
​★ところが、この楽譜が作曲者サマラス自身の手でピアノ用に編曲されたものだったため、日本オリンピック委員会はNHKを通じて作曲家の古関裕而に依頼し、オーケストラ用に採譜・編曲した。そして同年5月14日、NHKホール(初代)での第54次総会開会式で、当時の会長アベリー・ブランデージ以下各国のIOC委員並びに昭和天皇を始めとする日本側関係者の臨席の下、三宅春恵(ソプラノ)、川崎静子(アルト)、柴田睦陸(テノール)、大橋国一(バリトン)の独唱、東京藝術大学と東京放送合唱団の合唱、山田和男の指揮でNHK交響楽団の演奏により古関版オリンピック賛歌を披露した。​
​★国際オリンピック委員会は日本の善意と曲の素晴らしさに感激、以後この古関版を公式に賛歌と認定した。なお、原曲およびオーケストラ用の総譜は、IOC本部に保管されている。​
★公式に認定された後に最初に開催された1960年スコーバレーオリンピックから演奏され、1964年の東京オリンピックでは、第1回のアテネ大会以来、夏季大会としては68年ぶりに演奏された。

あの壮大な
「オリンピック讃歌」にも、
古関裕而は深く関わっていたのだ!
改めて感動!

​◎NHK朝ドラ「エール」

 
このブログの最後に、NHK朝ドラ「エール」に話を戻します。
​3月30日に放送された第1回では、
​「いきなり最終回」​と思われるエピソードになっていました。​

やはり物語の着地点は
東京オリンピック1964なのかな?

NHK朝ドラ「エール」
果たして物語はどのように展開して行くのでしょうか?
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​





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最終更新日  2020年10月24日 05時26分36秒
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