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リュウちゃんの懐メロ人生

リュウちゃんの懐メロ人生

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2021年03月02日
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カテゴリ:美空ひばり
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​
美空ひばりの歌こそは
懐メロリュウちゃんの原点であり、
終着点なのだ!



​​<プロローグ>
リュウちゃんは昭和21年6月生まれ、今年の6月で75歳の後期高齢者になります。美空ひばりの歌は幼い頃、当時住んでいた田舎の集落でも、ラジオ放送でよく流れていまして、何となく自然に幼いリュウちゃんの心の中に沁み込んで来たのです(当時、リュウちゃんの自宅にはレコードプレーヤー(蓄音機)はありませんでした)。

​​「悲しき口笛」、「東京キッド」、「私は街の子」、越後獅子の歌」、ひばりの花売娘」、「あの丘越えて」、「リンゴ追分」、「お祭りマンボ」などのひばりちゃんの初期のヒット曲は全てリュウちゃんが幼い頃、自然と覚えた「リュウちゃんの歌の原点」だったのです。
​​
​小学校5年生の頃、朝、起き掛けのラジオから流れて来たひばりちゃんの歌に、ビビッっとリュウちゃんの身体にショックが走りました。
その歌のタイトルは
「長崎の蝶々さん」、
何と素敵な歌なのだろう!
何と素敵な歌唱なのだろう!

これまで、何となく心に沁み込んでいたひばりちゃんの歌でしたが、この歌を耳にした瞬間、リュウちゃんはひばりちゃんのファンになったのです。

​「長崎の蝶々さん」に続いて、「別れのトロイカ」も同じようにビビッと身体に電気が走ったのです。​
​​​​その後、中学校~高校~大学と、ひばりちゃんの歌とは距離を置いていたのですが、昭和45年に「芸能生活25周年記念・美空ひばり」(全15巻、各2枚組LPアルバム)というレコードが順次発売されました。

このアルバムは、デビュー曲の「河童ブギウギ」から、当時の新曲であった「愁い酒」までの、ひばりちゃんのA面・B面を含めた全シングル盤リリース曲(417曲)+1曲、計418曲を、15巻30枚に収めた画期的なアルバムだったのです。​​​​

藤山一郎などの大歌手の「全曲集」は数多くあるが、
せいぜいA面のヒット曲止まり、

デビュー曲から
A・B面の曲を全て収録した
「全集」をリリースしたのは、
美空ひばりが初めてなのだ!

このアルバムの発売を知って、リュウちゃん、久しぶりにひばりちゃんに興味が戻って来ました。それで、「長崎の蝶々さん」や「別れのトロイカ」を含む「第8巻(全28曲)とその前後の「第7巻」、「第9巻」の計3巻を購入し、愛聴したのです。


(「芸能生活25周年記念・美空ひばり9」のLPジャケット)

平成元年5月24日、美空ひばりは「特発性間質性肺炎」が原因で死去しました。享年52歳、
昭和62年に死去した石原裕次郎も享年が同じだったのです。
ひばりが亡くなった前日の平成元年5月23日の夜、当時、行きつけだった大阪・曽根崎新地のカラオケスナックでリュウちゃんは徹夜でひばりちゃんの古い歌を、ほぼワンマンショーで30曲近く歌ったのです。ワンマンショーを終えて、奈良の自宅に朝帰りしましたところへ、美空ひばりの訃報が飛び込んできました。

昭和の歌姫死す!
訃報の日に
久々に歌ったワンマンシュー、
虫が知らせたのか?

改めて美空ひばりの遺した歌を
全部聴いてみたい!

​美空ひばりが亡くなって、ほぼ3ヶ月後の平成元年8月21日に、「今日の我に明日は勝つ/美空ひばり大全集~さようなら、そしてありがとう・・・~」という35枚組のCD(税込み定価¥64077)が発売されました。​


​(「今日の我に明日は勝つ/美空ひばり大全集~さようなら、そしてありがとう・・・~」)
​​​​このCD、ひばりちゃんのデビュー曲「河童ブギウギ」から最後のシングル盤「川の流れのように」まで、生前に発売されたオリジナル・シングル曲(全517曲)をA・B面曲を全て収録した、正に「美空ひばりの究極のコンプリート・シングルコレクション・アルバム」だったのです!​​​​

これまで断片的にしか聴いてこなかった
美空ひばりの517曲のシングル曲が、
このCDで全部聴ける!
こりゃ、買うきゃない!

​ということで、発売直後にこのCDを購入し、それから10年くらいは、「ひばり三昧」の日々を送ったのでした。​

本ブログでは、「ひばり三昧」の日々を送った日々の中で聴いた名曲を、発売順に出来るだけ多く紹介して行きたいと思っています。

​​​その方法の一つと致しまして。CDに収録された曲順に沿って「曲番」を付けました。デビュー曲の「河童ブギウギ」は「1番」、最後の「川の流れのように」は「517番」という「曲番」になります。因みに、主なヒット曲の「曲番」を以下に幾つか挙げてみます。
​​​
★最初のヒット曲「悲しき口笛」(2番)、★「越後獅子の唄」(17番)、★「リンゴ追分」(49番)、★「お祭りマンボ」(53番)、★港町十三番地(194番)、★花笠道中(231番)、★「柔」(352番)、★「悲しい酒」(371番)、★「真っ赤な太陽」(384番)、★「愛燦々」(508番)、★「みだれ髪」(514番)

​前置きはこれくらいにして、早速、楽曲の紹介に入っていきますが、これまで散々美空ひばりの歌を聴いてきましたので、各楽曲についてリュウちゃんなりの「評価」(評点)が定まっています。その「評点」を「S・特A・A・B」の四段階で書いてみます。​

「S評点」:このCDアルバムで初めて聴いて、大感激した歌、
「特A評点」:以前から知っていた歌の中で、特に「名曲」だと思った歌
「A評点」:このCDアルバムで初めて聴いた歌と、以前から知っていた歌で、「名曲」とは言えないものの、「いい曲」だと思った歌。
「B評点」:S・A評価以外の歌、

(※)この「評点」は、一般的に認知されてい評価ではなく、あくまでもリュウちゃんの独善的な「評価」だということを最初に御断りしておきます。

<美空ひばりの517曲~その(1)>

(美空ひばりのプロフィール)
​​美空ひばりの歌の紹介ブログを書くに当り、最初に出生からデビューの頃までの年譜を書いてみます(この年譜は、ウィキペディアを参考にしました)

★昭和12年5月29日、横浜市磯子区の魚屋「魚増」を営む父・加藤増吉、母・喜美江の長女として生まれました。​本名:加藤和枝。
​​★昭和18年6月、和枝6歳の時、父・増吉が海軍に徴兵さて出征、その壮行会の席で和枝は、塩まさるの「九段の母」を熱唱、聴く人を感銘させました。これを見た母・喜美江は、「和枝の歌は人を惹きつける特別な力がある」と確信、これが後年の歌手になる端緒となったようです。​​

​★昭和20年、和枝8歳の戦後間もない時、和枝のために自費で「青空楽団」を結成、和枝は楽団と共に近所の慰問や舞台で歌うようになりました。この頃、初めて「青空和枝」という芸名を母が付けました。​

​​★昭和21年、和枝は「NHK素人のど自慢」に出場、予選で、並木路子のヒット曲「リンゴの唄」を歌ったのですが、落選、本選出場はなりませんでした。​​
​その時の審査員は、「うまいが子供らしくない」「非教育的だ」などと母親に落選の理由を告げたと云われています。​

​​​★昭和22年春、横浜で行われたのど自慢大会に出場、その時、審査員として席についていた古賀政男の元に駆けつけた母は「どうぞ娘の歌を聴いて下さい」と古賀に直訴、和枝は古賀の前で、彼の作曲した「悲しき竹笛」歌いました。古賀はその子供とは思えない才能、度胸、理解力に感心し「きみはもうのど自慢の段階じゃない。もう立派にできあがっている」、「歌手になるなら頑張りなさい」と激励した、と言われたとされています。​​​
​​(※)NHK素人のど自慢の審査員の言葉と、古賀政男の言葉は、明らかにひばりの母・喜美江が発信源ですね。デビュー前の「ひばり伝説」の類かもしれませんが、ここではウィキペディアの記述を殆どそのまま書いておきます。
​​
​★同年(昭和22年)、杉田劇場(現・横浜市磯子区民文化センター杉田劇場)で漫談の井口静波、俗曲の音丸一座(座長は、古関裕而の最初のヒット曲「船頭可愛や」で有名な音丸)の前座歌手として出演、一座と共によく地方公演に行きました。昭和22年4月28日、高知県での公演のため、バスで移動していたところ、このバスが崖から転落、和枝は一時、仮死状態になりましたが、危うく一命を取り留めました。​

​​★昭和23年2月、神戸松竹劇場に出演に際し、神戸の興行を仕切っていた暴力団・三代目山口組組長・田岡一雄に気に入られ、以後、和枝は田岡のことを「神戸のおじさん」と呼んで慕うようになりました。​​

​​★昭和23年5月、当時、人気絶頂だったボードビリアンの川田晴久に才能を見込まれた和枝は、横浜国際劇場公演に抜擢されました。川田は和枝を傍に置いて可愛がり、和枝もまた川田のことを「アニキ」と呼んで懐いていたそうです。美空ひばりとしてデビュー後の歌の節回しも、川田から学んだようです。​​尚、ひばりの初期の映画は、殆ど川田晴久が共演しています。



​<川田晴久「地球の上に朝が来る」>​
​​​​​<川田晴久「地球の上に朝が来る」>

こをクリック(以下同様)

​​​​
​​​​​​​​★和枝は川田一座で、笠置シズ子の物真似で人気が出て、「ベビー笠置」として拍手を浴びました。またこの頃、横浜国際劇場に前座で出演、笠置シズ子の「セコハン娘」を歌い、これが評判になり、当時、横浜国際劇場の支配人をしていた福島通人(つうじん)に認められ、以後、通人は「美空ひばりのマネージャー」として活躍、ひばりのために「新芸術プロダクション」を設立、ひばりが出演した「東京キッド」以降の多くの映画のプロデューサーを務め、ひばり・いづみ・チエミの「3人娘」の結成や歌舞伎座から​中村錦之助​、大川橋蔵​を映画界に引き抜いて、ひばりと共演させたのも通人の業績です。​​​​​​​​
​昭和33年頃、ひばりが自分のプロダクションを設立した後には、ひばりに代わるスターとして西田佐知子(当初の芸名は浪花けい子)を育てました。​

以下に、西田佐知子のデビュー曲を貼り付けます。

「コーヒー・ルンバ」や
「アカシアの雨がやむとき」のような
都会的なポップスではなく、
​時代物の歌謡曲で
西田佐知子はデビューしたのだ!​

​<「伊那の恋唄」:西田佐智子(本名)>​
​​★昭和24年頃、「美空ひばり」という芸名が付けられました。命名の由来は諸説あり、不明のようですが、昭和24年3月に公開されたひばりの映画デビュー作「のど自慢狂時代」には、「美空ひばり」という芸名がクレジットされています。​​

以下に、「のど自慢狂時代」のポスターを貼り付けます。写真がボケていて、ちょっと見にくいのですが、上部のキャストクレジットの左から8番目に「美空ひばり」と、クレジットされています。


(映画「のど自慢狂時代」のポスター)
★映画「のど自慢狂時代」に、ひばりはブギウギを歌う少女の役で出演していたようです(現在、この映画のひばり出演シーンは残っていないようです)。
昭和24年1月、ひばりは日劇のレビュー「ラブ・パレード」に出演し、笠置シズ子の「セコハン娘」や「東京ブギウギ」などを歌って人気を博しました。

​<「東京ブギウギ」:笠置シズ子>​
​<美空ひばりが歌う「東京ブギウギ」~映画「びっくり五人男」より>​
​★映画「のど自慢狂時代」の原作者であった詩人・劇作家のサトウハチローは、昭和25年1月23日付けの「東京タイムス」紙のコラム「見たり聞いたりためしたり」の中で、猛烈な美空ひばり批判をしました。​

​​「・・・やり切れなくなった。消えて無くなれと怒鳴りたくなった。吐きたくなった。いったいあれは何なのだ。怪物・バケモノのたぐいだ・・・」
​(※)この時、美空ひばりは12歳、12歳の少女に、この酷評は、余りに酷いものでしたね。当時の歌手は殆ど音楽学校でクラシックの声楽を学んだ後に歌手になりました。また、川田正子などの少女歌手は、殆ど童謡か唱歌しか歌わなかった時代です。​
川田正子は、昭和9年生まれ、美空ひばりよりも3歳年上です。代表曲の一つである「みかんの花咲く丘」のレコードは昭和21年、川田正子12歳の時に発売されました。
​<「みかんの花咲く丘」:川田正子>​
​この時代の少女歌手といえば、「みかんの花咲く丘」の川田正子のような、可愛い子供の声で子供の歌を歌うというのが、当時の(今もですが、)常識でありカルチャーだったのですね。​​

​そんな時代の中で、突然、彗星の如く現れて、小学生なのに大人の歌を見事に歌った美空ひばり、サトウハチローなどの当時の音楽関係者にとりましては、「強烈なカルチャーショック」だったと思われます。​

​​ひばり母子もこの記事にショックを受けたようですが、ショックにめげることなく前に進んで行こうという決意を固める意味で、この記事の切り抜きをずっと保存していたようです。後年、ひばりとサトー・ハチローは和解したようで、昭和37年、ハチローはひばりのために「ほんとかしらほんとかしら」(320番)と、「わが母の姿は」(321番)の作詞をしています。​​

前置きが長く成ってしまいましたが、ここから美空ひばりの歌を順番に辿って行きます。

​(1)<1番(デビュー曲)>「河童ブギウギ」​​
​​(データ)★発売日:昭和24年6月23日(ひばり12歳)、★映画「踊る竜宮城」挿入歌、★作詞:藤浦  洸(こう)、作曲:浅井 挙曄(たかあき)、★霧島昇「楽しいささやき」のB面曲)、カラオケ有り、リュウちゃんの評点:B​​

​昭和24年8月公開のレビュー映画「踊る竜宮城」の挿入歌です。12歳のひばりちゃんは河童の扮装をしてこの歌を歌います。​
以下にこの映画のポスターを貼り付けます。



ポスター左下の河童スタイルの少女がひばりちゃん、
以下の動画は映画「踊る竜宮城」で「河童ブギウギ」を歌うひばりちゃんです。

​<「河童ブギウギ」:映画「踊る竜宮城」のシーン>​
美空ひばりは、自分の持ち歌のない少女時代、笠置シズ子の物真似で人気がでました。当初は笠置シズ子もひばりちゃんを激励していたのですが、段々とひばりちゃんの人気が出るに従い、その歌の力に脅威を感じたのか、ある時、ひばりちゃんが自分(笠置)の歌をステージで歌うことを禁じてしまったのです。

​​自分の持ち歌が欲しい!
「河童ブギウギ」で、やっと自分の持ち歌が1曲だけですが出来たのです。

でも、この歌、ちょっとグロテスクですね。
​しかし、言葉さばきは明確で抜群、特に、「♪~しぶきはパチャパチャパチャパチャキャ~♪」の「パチャパチャ」という擬音(オノマトペ)の表現は、一音一音が明快でリズム感も抜群ですね!​

​​(2)<2番>「悲しき口笛」​​
​(データ)★発売日:昭和34年8月12日(12歳)、★ひばり初主演の映画「悲しき口笛」の主題歌、★作詞:藤浦  洸、作曲:万城目正(まんじょうめ・ただし)、カラオケ有り、リュウちゃんの評点:A、
​​
​美空ひばりのセカンド曲にして、初期のひばりを代表する名曲です。デビュー曲「河童ブギウギ」とは打って変わって、しっとりとした文芸的な「大人の歌」ですね。このレコード(78回転SP盤)は当時45万枚の売り上げを記録し、ひばりちゃんは一躍、トップ歌手として躍り出ました。​

​​​​​作詞は「河童ブギウギ」と同じ藤浦  洸、作曲は、「旅の夜風」、「リンゴの唄」の万城目正藤浦=万城目のコンビは、初期のひばりの楽曲を12曲提供したのです。尚、万城目正はひばりちゃんの歌を100曲近く作曲していて、ひばりちゃんの歌の「最多作曲家」なのです。
​​​​​
この歌は、高峰三枝子の昭和15年のヒット曲「湖畔の宿」によく似ています。
​<高峰三枝子「湖畔の宿」>​
​リュウちゃん、この歌も万城目メロディだと思っていましたが、調べてみました所、笠置シズ子にブギウギの曲を書いた服部良一の作曲であることが分かりました。​

「悲しき口笛」のヒットを受けて、同じタイトルの映画が作られました。



​​初めての主演映画!

ひばりちゃんの満足度は如何ばかりだったでしょう。

​(3)<5番>「青空天使」​​
​(​データ)★発売日:昭和25年3月31日(12歳)、★作詞:門田ゆたか、作曲:万城目正、★東映映画「青空天使」主題歌、カラオケ無し、評点:A、​

​「悲しき口笛」と同じ、スローテンポの佳曲です。大きく上下するメロディラインを見事に歌い上げていて、初めて「涙を誘う歌唱」となっている歌なのです。
映画「青空天使」は、長らくプリントが行方不明になっていましたが、平成14年に大阪で発見され、修復されたプリントは東映でDVD化されました。

​​(4)<7番>「白百合の歌」​​
​​(データ)★発売日・昭和25年4月7日(12歳)、★作詞:藤浦  洸、作曲:万城目正、★カラオケ無し、評点:A、​​

​タンゴの楽曲です。間奏はアルゼンチン・タンゴの名曲「碧空(あおぞら)」に似ています。リュウちゃんは、この詞の3行目の<♪~遠いあの嶺 咲いた白百合を~♪>の部分にホロリと涙したのです。​

​​(5)<9番>「東京キッド」​​
​​(データ)★昭和25年7月20日(13歳)、★作詞:藤浦  洸、作曲:万城目正、★映画「東京キッド」:昭和25年9月9日公開、★カラオケ有り、評点:A、



​​
​​​「悲しき口笛」に続く、ひばり2作目の大ヒット曲です。この歌のヒットで、ひばりの人気は不動のものに成りました。「キッド」とは、「子供」のことで、「東京キッド」は、「東京の子供」ということになります。歌詞の中に「チューインガム」、「チョコレート」と、当時の子供には「高嶺の花」だったお菓子が出てきますが、リュウちゃんは戦後の焼け跡の中で子供達が進駐軍のアメリカ兵に「ギブミ―チョコレート」とおねだりしたことを思い起こしました。​​​

​歌詞の最後は、「♪~もぐりたくなりゃマンホール~♪」となっていて、浮浪児を連想しますが、映画の設定はそうではないようです。​
しかし、リュウちゃんはこの歌詞から、小坂一也の「オンボロ人生」を連想してしまいました(苦笑)
​<小坂一也「オンボロ人生」>​
​​(6)<13番>「拳銃ブギー」​​
<拳銃ブギ―>
​​データ)★発売日:昭和25年9月20日(13歳)、★作詞:名古屋 宏、作曲:浅井 挙曄(たかあき)、★カラオケ無し、評点:A、
​​恐らく、昭和24年の暮れに公開されたボブ・ホープ主演の西部喜劇「腰抜け二挺拳銃」にヒントを得て作られた歌のようです。ひばりちゃんにとりましては、デビュー曲「河童ブギウギ」に続く2作目のブギウギソングです。「河童ブギウギ」は、ちょっとぎごちない歌でしたが、「拳銃ブギ―」ではひばりちゃんのチャイルドパワー大爆発ですね!​
​尚、「腰抜け二挺拳銃」の主題歌、「ボタンとリボン」は、池 真理子がカバーして、大ヒットしました。​
​<池 真理子「ボタンとリボン」(バッテンボー)>​
​​(7)<17番>「越後獅子の唄」
<越後獅子の唄>
​​(データ)★発売日:昭和25年10月3日(13歳)、作詞:西條八十、作曲:万城目正、★昭和26年1月3日公開の映画「とんぼ返り道中」の主題歌、★カラオケ有り、評点:特A、


​(映画「とんぼ返り道中」)​
​​​ひばりちゃん、初めての「時代物」の歌です。「越後獅子」とは、新潟市南区(旧西蒲原郡月潟村)を発祥とする郷土芸能で、「角兵衛獅子」とも呼ばれています。​​​
​子供を中心とする「獅子舞の大道芸」です。江戸市中で流行したようです。​

映画「とんぼ返り道中」でのひばりちゃんの役柄は、浅草・浅草寺の鐘をつく少年という設定になっていて、越後に住んでいる母を探すために越後獅子の一座に入るという設定になっています。​

以下にネットからお借りした30分バージョンのYou-Tubeを貼り付けます(「越後獅子の唄」は、以下のYou-Tubeの12分辺りに出てきます)

​<映画「とんぼ返り道中」、30分バージョン>​
以下に、1番の歌詞を挙げてみます(詞:西條八十)
尚(​この詞は西條八十の最初の美空ひばり作品なのです)​

♪~笛に浮かれて逆立ちすれば
山が見えますふるさとの
わたしゃみなしご街道ぐらし
流れ流れの 越後獅子~♪

リュウちゃん、この歌は聴く毎に「涙ボロボロ」になります。

何と哀しい歌なのだろう!
何と上手い歌なのだろう!
そして、
何と瑞々しい歌なのだろう!

この歌をカバーする歌手は、後世、多数いますが、皆、このひばりちゃんのオリジナルの歌唱には遠く及ばないとリュウちゃんは思っています。

では、ひばりちゃんの歌唱と
他の歌手の歌唱は、どこが違うのか?

​​
と考えてみますと、リュウちゃんは、ひばりちゃんの天性のアーティキュレーションとフレージングの付け方の素晴らしさではないかと思っています。

​​アーティキュレーションは、「一つの音符の表情付け」、フレージングは「一塊りの音符の表情付け」のことです。​​

​​​​​「越後獅子の唄」の冒頭のフレーズ、「♪~笛に浮かれて~♪」の部分は、「ララシド―ミ―ドラシー」という8つの音符でメロディが作られています。このメロディをPCの打ち込み音や、「初音ミク」のような合成音で演奏すると、「無味乾燥」な音楽になってしまいますが、ここに歌手それぞれのアーティキュレーションとフレージングで「表情付け」することにより、本来、無味乾燥な音符は、見違えるように「生きた音楽」に生まれ変わるという訳なのです。
​​​​​
抜群のアーティキュレーションとフレージング、
そして明快な言葉さばきと抜群のリズム感、
詞の内容によって千変万化する歌声、
美空ひばりは、天性の名歌手なのだ!

<映画「とんぼ返り道中」の斎藤寅次郎監督について>
映画「とんぼ返り道中」の監督は、斎藤寅次郎です。
​​斎藤寅次郎監督は、昭和元年から昭和37年までの37年間に250本を超える映画を監督、その殆どがスラップスティック喜劇で、「喜劇の神様」と呼ばれる存在でした。​​
​​昭和61年に、「男はつらいよ」の山田洋次監督が、「キネマの天地」という松竹蒲田撮影所のオマージュ映画を作りました。この映画で、いつも奇想天外な面白いアイデアを出す「内藤監督」を堺 正章が演じていましたが、この「内藤監督」は斎藤寅次郎がモデルなのです​(斎藤寅次郎は、よく堺正章の父・堺駿二を映画に起用していましたが、「キネマの天地」では息子の正章は、父・駿二を起用した斎藤監督を演じたのです。尚、堺駿二は上述の映画「とんぼ返り道中」で、「源六」という役名で登場し、ひばりちゃんと一緒に旅をするのです)。​​​

「男はつらいよ」の
寅さんこと車寅次郎、
この名前は
斎藤寅次郎から採ったのだ!

斎藤監督は、子供時代のひばりちゃん出演の映画を、何と14本も撮っているのです

​斎藤寅次郎監督の美空ひばり出演作品一覧)​
​「のど自慢狂時代」、「びっくり五人男」、「あきれた娘達(金語楼の子宝騒動)}、「おどろき一家」、「憧れのハワイ航路」、「続・向こう三軒両隣り第三話・どんぐり歌合戦」、「続・向こう三軒両隣り第四話・恋の三毛猫」、「戦後派親爺」、「青空天使」、「東京キッド」、「とんぼ返り道中」、「母を慕いて」、「ひばりの陽気な天使」、「ひばり捕物帳・唄祭り八百八丁」、
斎藤寅次郎監督は、
ひばりちゃんの映画スターとしての
基礎を作った恩師だったのだ!


映画「とんぼ返り道中」のひばりと堺駿二(いちばん右)>
 
以下、「美空ひばりの517曲~その(2)」に続きます)
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最終更新日  2021年05月07日 21時34分11秒
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