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カテゴリ:奈良散策
月ヶ瀬湖を見下ろすピンクの枝垂れ梅、 月ヶ瀬梅渓、春爛漫! 3月11日、2年ぶりに奈良県の梅の名所である「月ヶ瀬梅渓」に行って来ました。昨年の梅の季節は、新型コロナ禍が始まったばかりで、当時リュウちゃんは「しばらくは公共交通は使わない」と誓ったばかりでしたので、それまで殆ど毎年行っていた「月ヶ瀬行き」をパスしてしまったのです。 昨年後半から、「大阪や京都のような大都会に行かない限り、マスク着用で公共交通を使えば、大丈夫」と考えるようになりましたので、奈良県内のローカルな公共交通を使う機会が増えて来たのです。 奈良人リュウちゃんのモットーは。 「梅は月ヶ瀬、桜は吉野」です。 毎年行かないと悔いが残る! 「月ヶ瀬梅渓」は、奈良県の三大梅林の一つです。梅の本数の多い順に紹介しますと、(1位)賀名生(あのう)梅林(2万本)、(2位)月ヶ瀬梅渓(1万3000本)、(2位)広橋梅林(5000本)、となります。 奈良の三大梅林の内、 何故、「月ヶ瀬」だけが 「梅渓」と称されるか? それは、月ヶ瀬を流れる「名張川」(五月川)が、かっては深い渓谷だったことから来ている名称なのです。この雄大な渓谷は、昭和44年、高山ダムの完成に伴い、この辺りの「五月川」は堰き止められて「月ヶ瀬湖」となり、渓谷は湖の底に沈んでしまったようです。 「月ヶ瀬梅渓」の起源は古く、14世紀の後醍醐天皇の時代まで遡れます。元弘元年(1331年)、後醍醐天皇が笠置山から吉野に落ちのびる際、女官の「姫若」が「真福寺」の境内に一本の梅の木を植え、「烏梅(うばい)」という紅染の触媒剤の製法を教えたのが、「月ヶ瀬梅渓」の始まりとされています。 当時、「烏梅」は非常に貴重かつ高価なものであったため、村人はこぞって梅の木を植え、「烏梅」を作ったようで、最盛期の江戸時代には、約10万本の梅の木が植えられていたようです。 10万本の梅の木 現在の約10倍の本数だ! 松尾芭蕉もビックリなのだ! 20世紀に入りますと科学的に合成された紅染の合成染料が普及したため、「烏梅」の需要は激減し、烏梅生産のための野性的な品種の梅は次々と伐採され、「月ヶ瀬梅渓」は観光梅林及び食用梅の生産梅林に変貌しました。 大正11年、奈良公園などと共に、「日本で最初の名勝地」に指定されました。 月ヶ瀬梅渓、 そのダイナミックな景観により、 全国屈指の観光梅林なのだ! 例によりまして、女房殿お手製のおにぎり弁当と、リュウちゃんお手製(?)の缶ビール(2缶)をリュックに詰め、午前8時30分に家を出発、午前9時11分、奈良駅発月ヶ瀬行きのバスに乗り、午前10時30分、月ヶ瀬梅渓の入り口である「桃香野バス停」で下車。 今日は「桃香野バス停」からスタートし、 「月ヶ瀬梅渓」を隅から隅なで歩くぞ! 以下は「月ヶ瀬MAP」です。 上掲のMAPにつきまして、少し説明致します。 ★リュウちゃんが降りた「桃香野バス停」は、上図の「10キロおり返し」と表示された辺りにあります。 ★図を斜めに横切って流れている川は「名張川」です。この辺りは「五月川」とも呼ばれています。また川は図の左上にある「高山ダム」によって堰き止められていますので、この辺りは別名「月ヶ瀬湖」とも呼ばれています(同じ川に名称が3つもあり、ややこしいのですが、本ブログでは、今後、「月ヶ瀬湖」に統一します) ★「月ヶ瀬梅渓」の梅林は「2層」に別れています。「1層目」は、上掲図の月ヶ瀬湖の下側の湖畔の斜面約5キロメートルに渡って続いている小さい梅林群です。本日の散策で確認出来た梅林の名前を順に挙げて見ます。 「桃香バス停」→「龍王梅林」→「奥の谷梅林」→「コケ石梅林」→「宮の芝梅林」(月ヶ瀬橋の傍の梅林)→「竹陰の梅林」→「湖岸梅林」(五月橋の手前にある梅林)。 ★この「1層目の梅林」の中心部となる「月ヶ瀬橋」の標高は、130mです。本ブログでは、この「1層目の梅林群」を「下の梅林」と呼ぶことにします。 ★「湖岸梅林」から、月ヶ瀬橋にもどり、「2層目」の梅林に登って行きます。上掲図で「ゴール」と表示されている所が、「2層目」の梅林の入り口になります。入り口から更に急坂を上りますと、頂上の「真福寺」に辿り着きます。 ★「真福寺」から、一般的には「月ヶ瀬梅渓」として知られている「帆浦梅林」、「品種園」、「天神梅林」があります。 ★「真福寺」の標高は260mです。従いまして、「2層目の梅林」は標高250m前後の所にあります。なので、本ブログでは、この梅林のことを「上の梅林」と呼ぶことにします。 「上の梅林」と「下の梅林」の標高差は、 約120m、 この標高差が他に類を見ない 「名勝地」の景観を造り出しているのだ! ★「上の梅林」、「下の梅林」は、月ヶ瀬の地勢が「河岸段丘」であることから来ています。リュウちゃんの孫姫たちが以前住んでいた群馬県沼田市は「河岸段丘の町」として有名で、地元の人は、「上の町」、「下の町」という表現をしますが、月ヶ瀬も同じなのですね。月ヶ瀬の地勢は、名張川の浸食によって形成された「河岸段丘」なのです。 ★「月ヶ瀬=河岸段丘」を俄か調べしているうちに、ビックリするような記述を発見しました。それは、 月ヶ瀬の地は、 400万年ほどの昔には、 琵琶湖の湖底だった!!! 「琵琶湖」のウィキペディアの「自然史」の記述の一部を以下に貼り付けます。 「琵琶湖は世界有数の古代湖であり、その成立はおよそ440万年前まで遡る。以降現在に至るまでの琵琶湖の各時代の環境は、古琵琶湖層群と呼ばれる三重県から滋賀県にかけて分布する地層における各累層の泥・砂・礫の構成比率の違いにより示されている。440万年ほど前に琵琶湖が生まれたのは、後の三重県伊賀市(月ヶ瀬の隣町)である・・・」 またまた前置きが長くなってしまいました。 ここから月ヶ瀬梅渓のフォトブログになります。 <桃香野バス停卑近・高山ダム> 「桃香野バス停」で下車しますと、眼前に高山ダムの近くの梅林が見られます。 <龍王の滝> 「月ヶ瀬湖」とは反対側の山道に入りますと、「龍王の滝」という小滝があります。ここはかって「役の小角(えんのおづぬ)」が修行したところなのだそうです。 <龍王梅林と白鬚の梅> 「龍王の滝」のすぐ傍の梅林です。 「湖畔の里つきがせ」という土産物店の入り口に、樹齢400~500年とされる「白鬚の梅」(奈良県指定・天然記念物)があります。まだ現役の梅の古木で、小さい白い花が咲いていました。 <八幡橋> 「下の梅林」は、殆どが「白梅」なのですが、1本だけ、ピンクの梅の巨木がありました。 <奥の谷梅林> <コケ石梅林> <竹陰の梅林と浮見堂> 「下の梅林」のシンボルである「月ヶ瀬橋」の近くにある小梅林です。湖畔に「浮見堂」があります。 <湖岸梅林> 「五月橋」近くにある、「下の梅林」の終着点です。 ここにも、白梅に交じって ピンクの梅が咲いていた! 毎年のように月ヶ瀬梅渓を訪れているリュウちゃんですが、「湖岸梅林」まで足を延ばしたのは初めての体験です。今回、「湖岸梅林」を訪れた目的は、ここから「上の梅林」を見上げることだったのです。 湖岸から120m上空にある 「上の梅林」、 中々の景観なのだ。 <月ヶ瀬梅の資料館・月ヶ瀬橋> 「湖岸梅林」から月ヶ瀬橋に戻り、橋の畔にある「月ヶ瀬梅の資料館」に立ち寄りました。 ここから「上の梅林」に登って行きます。 道の途中から見下ろした「湖岸梅林」です。 この景色、 名勝地「月ヶ瀬梅渓」の 絶景の源なのだ! <「上の梅林」の入り口、小谷商店の庭の枝垂れ梅> 「月ヶ瀬梅の資料館」から徒歩20分で、「上の梅林」の入り口に到着しました。 上の写真の石碑の後ろにある「梅ソフトクリーム」の旗を掲げている店が「小谷商店」です。 小谷商店の裏庭の枝垂れ梅と サンシュユ(山茱萸)、 「上の梅林」の最初の見所なのだ! 小谷商店の裏手から、急な坂を登って行きます。 坂の途中は、見事な蝋梅が満開を迎えていました。 蝋梅の近くにあった黄色い花 蝋梅によく似ているが、 何という花なのだろう? <真福寺> 急な坂を登った頂上に、「真福寺」があります。 この寺は「月ヶ瀬梅林発祥の地」と云われ、境内には紅白の枝垂れ梅や水仙、 サンシュユなどの花が咲いています。 <姫若の梅> 真福時の本堂の前に、「姫若の梅」という梅の古木が植えられています。推定樹齢690年、月ヶ瀬梅渓の梅の木では、随一の古木です。 「姫若の梅」の前の立て札の文言を文字起こししてみます。 「元弘2年(1331年)、後醍醐天皇が笠置山に遷幸されし折り、この地に難を避けるべく逃げる途中、生根尽き圓生の森でたおれていたところを村人に助けられ、姫は村人に感謝し、真福寺の境内に梅の木を植え、烏梅(染織の原料)の製法を教えたのが梅林の始まりとされる」 樹齢690年の「姫若の梅」、 今も小さい白い花を咲かせている! <一目八景みおろし茶屋> 「真福寺」から少し山道を下ったところに、「月ヶ瀬梅渓」随一のビュースポットである「みはらし茶屋」があります。ここからの眺めは「一目八景」と呼ばれていて、比類ない絶景が見られるところなのです。 このブログ冒頭に、ここで撮った2枚の写真をUPしましたが、ここでは、冒頭の2枚の写真以外の写真を何枚か貼り付けます。 正に「一目八景」、天下の名勝地! 太古の時代、 琵琶湖の底に在ったことが 信じられない天空の絶景なのだ! いけない、もう午後1時を過ぎた。 お腹が空いた。 で、帆浦梅林にある休憩所で遅い昼食、 プファ~、ビールが旨い! 流れる白い雲に乗ったような気分だ! <月ヶ瀬梅林品種園> 午後2時少し前、「品種園」に到着、 ここは月ヶ瀬の観光客の憩いのスポットの一つです。品種園の前には、見事な枝垂れ梅があり、品種園には20種近くの梅が植えられています。 品種園に植えられている品種の1/3くらいは「白加賀」という白梅です。 (白加賀) 品種園で、ちょっと面白い品種を発見、 一本の木に、色違いの花が咲く「思いのまま」という梅です。 「思いのまま」、 大阪城梅林にもあった! <天神社の赤い橋> 「品種園」のすぐ下に、小さな「天神社」があります。ここの赤い小橋も、月ヶ瀬梅渓のビュースポットの一つなのです。 「天神社」といえば、梅の花を愛した菅原道真を祀る社(やしろ)ですね。 東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな(菅原道真、拾遺和歌集) <月ヶ瀬小唄> <天神梅林> 「上の梅林」の最後の「天神梅林」です。この梅林の名称は、やはり菅原道真に因んでいるようです。 リュウちゃんは「天神梅林」が好きで、いつもはこの梅林の枝垂れ梅の下で、「プファ~、ビールが旨い!」とやるのですが、今回は「上の梅林」に着くのが遅くなってしまいましたので、手前の「帆浦梅林」で「プファ~!」と昼食を摂ったのでした。 「天神梅林」を暫し散策して、帰途につきました。帰路は、「天神梅林」の少し先から、「月ヶ瀬橋」に直接下る「春告げの小路」を辿ったのです。 (春告げの小路) 「春告げの小路」の途上から見下ろした「月ヶ瀬橋」、 この辺りは梅の木は少ないが、 橋の景観は素晴らしい! 午後2時40分、「月ヶ瀬橋」の畔にある「月ヶ瀬梅の資料館」に無事到着、万歩計の歩数は24000歩でした。 24000歩、 大体、13キロくらい歩いたことになる。 「月ヶ瀬梅の資料館」の向かいの石垣の上に、紅白の枝垂れ梅が咲いていました。 これで今年の「月ヶ瀬梅渓」とはお別れ、 来年の「月ヶ瀬梅渓」、 どんな表情を見せてくれますことやら? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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