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リュウちゃんの懐メロ人生

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2021年04月14日
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カテゴリ:奈良散策
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​
中千本の「吉水神社」から見上げる桜、
上千本から見下ろす桜、
桜の吉野、春爛漫!





​​「梅は月ヶ瀬、桜は吉野」
本ブログでは何度も言っていますが、これが奈良人リュウちゃんのお花見のモットーなのです。

毎年、月ヶ瀬梅渓の梅と
吉野の桜を観ないことには、
年が越せない(苦笑)

で、今年は、3月11日に「月ヶ瀬梅渓」に行き、満開の梅を観ることが出来ました。

吉野の桜、
何時、「見頃」になるのかな?
​​
​新聞夕刊の「桜便り」は、3月20日頃から始まりましたが、3月25日の「桜便り」では、吉野の「中千本」は、まだ「咲き始め」、
この分では、吉野の桜の「見頃」は、
4月5日頃なのかな?

しかし、その後、開花は猛烈なスピードで進み、3月31日の「桜便り」では、
吉野の「下千本」・「中千本」は既に「満開」、「上千本は「七分咲き」、

ありゃ~
開花のスピードが異常に早い!
よし、明日、吉野に行こう!

ということで、急遽、4月1日に吉野に行くことにしました、生憎、この日は女房殿は所用がありましたので、リュウちゃん単独でJRと近鉄電車を乗り継ぎ、吉野行きを決行したのです。

例によりまして女房殿お手製のおにぎり弁当と、リュウちゃんお手製(?)の缶ビール(2缶)をリュックに詰め、午前7時半、家を出発、JRと近鉄電車を乗り継いで、午前9時52分、近鉄吉野駅に到着、

下の写真は、駅前の風景です。

さすが天下の吉野山、
相当な混雑ぶりだ!




​ここで、「吉野山散策図」と、吉野駅の案内板を貼り付けます。


(吉野山散策図)


(駅の案内板)

​リュウちゃんの本日の散策予定は、近鉄吉野駅から「上千本」の「吉野水分(みくまり)神社」まで、全て徒歩で往復することです。
近鉄吉野駅の標高は207m、
吉野水分神社の標高は596m,
近鉄吉野駅から水分神社までは、全て上り坂で4,7km、
つまり、標高差389m、距離4,7kmの道を、途中、「蔵王堂」、「吉野朝宮跡」、「吉水神社」、「竹林院」などに立ち寄りながら、吉野の桜を愛でようとする趣向です。時間が許せば、後醍醐天皇の陵のある「如意輪寺」にも立ち寄る予定です。

今年は、
中千本の上部にある「竹林院」の桜が、
一番のお目当てなのだ。

<下千本・七曲坂(ななまがりざか)>

​​午前10時ジャスト、近鉄吉野駅を出発、「中千本」までは公共交通としましては、奈良交通バスと、昭和4年に開通した日本最古のロープウェイである「吉野山ロープウェイ」がありますが、リュウちゃんは「公共交通を使わず、全て徒歩で踏破する」ことがモットーなので、当然のことながら、歩いて登って行ったのです。
​​
​吉野登山は、「七曲坂」からスタートします。



「七曲坂」の道沿いは、
「下千本」そのものなのだ!











「七曲坂」の頂上近くに、2本の「ピンクのしだれ桜」が咲いています。

このピンクのしだれ桜、
「下千本」の一番の「見所」なのだ!











​​<大橋>
七曲坂を登り切ると、小さな赤い橋に出逢います。この小さな橋は、そのサイズに似合わず「大橋」という名前が付けられています。

​ここから「中千本」なのだ!



​​<黒門>

「大橋」から5分位歩きますと、吉野山全体の総門である「黒門」に至ります。

​ここからが、
本当の「吉野」なのだ!



<金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂>
​「黒門」から10分位、坂道を登っていきますと、吉野のシンボルである「金峯山寺蔵王堂」に着きます。



おお!
「蔵王堂」の前のヤマザクラ、
ほぼ満開だ!






(「蔵王堂」について)
​​​「蔵王堂」は、修験道の開祖とされる「役小角(えん の おづぬ)」(伝:643年~701年)により、7世紀の後半に創建された金峯山修験本宗(修験道)の本山です。ここから「最も険しい修験道の道」である「大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)」が熊野まで170キロにわたり、続いています。​​​
本尊は3体の「蔵王権現」(秘仏)です。修験道の伝承では、蔵王権現は役行者が金峯山での修行の際に感得した(祈りによって出現させた)ものとされています。

​尚、スキーのメッカとして全国的に有名な「蔵王山」は、古くは刈田嶺(かったみね、かったね、かりだのみね)、または、不忘山(わすれずのやま)と呼ばれていた山岳信仰の山だったのですが、吉野から蔵王権現が勧請され、平安時代には修験者が修行するようになったため蔵王山とも呼ばれるようになったのだそうです。

​​<吉野朝宮跡>

​蔵王堂の左側にある石段を降りたところに、後醍醐天皇の行宮(あんぐう)跡があります。







​​​​延元元年/建武3年(1336年)の暮、足利尊氏の京都占領によって建武政権が崩壊(建武の乱)し、幽閉されていた後醍醐天皇が京都を脱出して穴生(賀名生)を経由して吉野吉水院に入り、数日後に近くの金峯山寺の塔頭・実城寺を「金輪王寺」と改名して行宮と定めました。これが「吉野行宮」で、後醍醐天皇から後村上~長慶~後亀山と、4代56年に渡る南朝で、約20年間に渡り、ここが「皇居」だったのです。
​​​​
​(注)「行宮(あんぐう)」とは、
政変や行幸などで、天皇の正規の「御所」が無い場合、臨時に設けられた「御所」のことを「行宮」と言います。南朝では、一番長かった「吉野行宮」の他に、
「吉水行宮」、「賀名生行宮」、「天野行宮」、「金剛寺行宮」、「観心寺行宮」、「男山八幡行宮」、「住吉行宮」、「船上山行宮」、「栄山寺行宮」と、計10か所も「行宮」があったようです。
「行宮」を置くということは、「遷都」することです。

南朝は、少なくても10回も
「遷都」したのだ?

「行宮」のウィキペディアに、面白い記述を発見!
それは東京都千代田区にある「皇居」は、東京が日本の首都であると直接的に定めた法令は存在せず、「現在の皇居も一時的な宮殿」、つまり「行宮」であるとする主張があるという記述です。

​​現在の「皇居」は「行宮」なのだ!?

ちょっと興味深い主張ですね。

おお、「蔵王堂」の前から、
「上千本」が一望出来る!



​​<東南院>
​​「蔵王堂」の東南にある大峰山の持護院で金峯山修験本宗別格本山。開祖は「蔵王堂」と同じで「役小角」です。昭和12年に和歌山県の「野上八幡宮」から移築された見事な「多宝塔」と、その横に植えられている「しだれ桜」が「見所」なのですが、
​​
アチャ~、ここのしだれ桜、
もう殆ど散ってしまっている!
「中千本」の満開の時期には、
このしだれ桜の「見頃」
は絶対観られないのだ!






​​<吉水神社>
「吉水神社」の前に、人垣が出来ていました。



おお、
ここから「中千本」、「上千本」、
そして「奥千本」が一望出来る!

ここは「吉水神社一目十年」、
吉野でも屈指の桜のビュースポットなのだ!







​​上掲の最後の写真で、左側の桜は「中千本」の上部です。一番上近くに、後醍醐天皇の勅願寺である「如意輪寺」があり、その奥に後醍醐天皇陵があります。
​​
​​真ん中の三角形の桜が「上千本」、その右側の一番高い所にある桜が「奥千本」です。
​​
​<中千本>



​<上千本>



​<奥千本>



​​​​​​​「吉水神社」は、7世紀後半の白鳳年間に金峯山寺の僧坊・吉水院(きっすいいん)として役小角により建立されたと伝えられています。文治元年(1185年)12月には源頼朝に追われた源義経、武蔵坊弁慶や静御前などが5日間吉水院に身を潜めた所で、南北朝時代には、後醍醐天皇が一時、ここを「吉水行宮」としました。文禄3年(1594年)に豊臣秀吉が行った「吉野の花見」の際には、吉水院はその本陣とされ、秀吉はここに5日間滞在したのだそうです。
​​​​​​​
源義経も豊臣秀吉も、ここから観た桜、
やはり天下の絶景なのだ!

​<竹林院群芳園>
​​
​「中千本」の繁華街(!)の突き当りに、奈良県の三大名園の一つである「竹林院群芳園」があります。​
​実は、今回の吉野散策の目的の一つが、この庭園の池のほとりにある樹齢300年以上とされるしだれ桜、「天人之桜」の満開を観ることだったのですが、
アチャ~、「天人之桜」
殆ど葉桜だ。残念!







でも庭園の山裾に咲いているヤマザクラやミツバツツジは格段に美しかったのです。









​(「竹林院・群芳園」について)
​​​「竹林院」は、寺伝によれば、聖徳太子が開創して椿山寺と号し、その後弘仁年間(810年~824年)空海が入り、常泉寺と称したと伝えられています。
​1385年(至徳2年/元中2年)に竹林院と改められたようです。

「群芳園」は、​
​文禄3年(1594年)、豊臣秀吉が「吉水神社」で花見をした際、「千利休」がそれまであった庭園に手を加え、現在見られるような桃山風の回遊式庭園に造り直したのだそうです。
豊臣秀吉や千利休は、「天人之桜」を
観ることが出来なかった!?

<中千本から上千本へ>

「竹林院」から、急な坂道を登り、「上千本」に向かいます。
以下の写真は、その途上で撮ったものです。














​坂道の一角に、以下のような西行法師の歌碑が建てられていました。
吉野山うれしかりける導(しる)べかな 
さらでは奥の花を見ましや



​西行(1118年~1190年)は、吉野を愛し、桜を愛した平安時代の武士であり僧侶であり、歌人です。年代は不明ですが、奥千本の一角に「西行庵」を結び、​
そこで3年間、侘び住まいをしました。

今回は奥千本には行けませんので、4年前に行った時の西行庵と奥千本の写真を以下に貼り付けます。


(西行庵)


(奥千本の桜)

西行は生涯に20000首以上もの膨大な数の短歌を詠みました。吉野や桜に関する歌もいっぱいあるのですが、ここでは2首だけ挙げてみます。

吉野山 こずえの花を見し日より
心は身にもそわずなりにき

願はくは花の下にて春死なん 
そのきさらぎの望月のころ

​<上千本>
​​
午後1時少し前。「上千本」に到着、午前10時ジャストに近鉄吉野駅を出発してから、既に3時間が経過してしまいました。












ここまで約3時間、歩きっ放し、
お腹が空いた!

で、いつもの「さくら咲競(さくら)プロジェクト」の看板の場所で遅い昼食。



プファ~、ビールが旨い、
下界のコロナ禍が嘘のような、
ここは別世界なのだ!












「下千本」、「中千本」、「上千本」、「奥千本」というが、

いったい、
吉野には何本位、桜があるのだろう?
​​
​​4月4日(日)TBSの「情熱大陸」で、<「一目千本」世界に誇る吉野の桜を守る3人の男たち>という番組が放送されました。
​​
以下、4月2日の毎日新聞の「情熱大陸」についての番宣記事を紹介させて頂きます。

​​​奈良県中部に位置する吉野山。奈良県中部に位置する吉野山。世界遺産であり、日本三大桜の名所の一つだ。山肌一面、50ヘクタール(東京ドームの6,5倍の広さ)に3万本(番組では18000本)もの桜が生えており、春には「一目千本」とも表現される圧巻の景色が広がる。そんな桜の世話をするのが「桜守」と呼ばれる職種。文字通り「桜を守る人」。吉野山出身でリーダーの伊藤将司(33歳)、元造園業の奥西信介(38歳)、ムードメーカーの山口公佑(42歳)だ。


(左から山口公佑氏、伊藤将司氏、奥西信介氏)

「桜の世話」、といっても、その内容は多岐にわたる。「母樹」からの種拾いに始まり。種植え、苗木育成、植樹、土壌改善、草刈り、時には野生の鹿に傷つけられたり病気になってしまった桜の手当てまで。桜を子供とするならば、親役から医者役まで何でもこなす。桜守の作業で最も危険なこと、それは「崖」といっていいほどの切り立った山肌の草刈りだ、桜を観に来た人により美しい景色を見せたい、との思いで桜の周りの草刈りをする。だがそれは想像以上の厳しさだった。高さ50m、けもの道すらない斜面を、おのれの足で登り、草を刈る。
命の危険すらある作業を彼らは平然とやってのける。
​そんな桜のそんな桜の満開の期間はおよそ一週間、そのたった一週間のためだけに彼らは1年を捧げ続ける。リーダーの伊藤曰く「手をかけてやればやるほど、桜はそれに応えていい花を咲かせてくれるんですよ」

​​​​<プロフィール>日本一の桜の名所とも言われる奈良県・吉野山。2004年には吉野山を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に認定された。吉野山の桜は、1300年ほど前から「ご神木」として崇拝され、手厚く保護されてきた。春には日本古来の「シロヤマザクラ」を中心に約3万本(番組では18000本)という世界でも類を見ない規模の桜が咲き誇り、その絶景は「千本桜」「一目千本」とも形容される。​​​​
この番組そのものはYou-Tubeにアップされていませんでしたが、ナレーション無しの今年の吉野の桜のドローン映像がありましたので、以下に貼り付けます。

​​<「絶景:美し過ぎる千本桜(奈良吉野山)」:情熱大陸公式チャンネル>

↑ 

午後1時半、昼食を終え、更に上に登っていきます。

​​<花矢倉の絶景>
​​
​昼食を摂った場所から徒歩5分の所に、「上千本」の絶景スポットと言われている「子守茶屋展望台」(通称:花矢倉)があります。​
昼食を摂った場所からの景色と、殆ど同じですが、

​​​やはり絶景だ!






​桜の道の突き当りに霞んで見えるのは「蔵王堂」です。​
​その右横の川は​「吉野川」(紀の川)​です。







「花矢倉」の店の前には、シャクナゲが咲いていました、



​「花矢倉」から、本日の最終目標点であり、折り返し点である「吉野水分神社」に向かいます、
​道沿いの民家の庭に咲いていたピンクのしだれ桜とハナカイドウ(花海棠)のコラボ、
このコラボ。
吉野でも屈指の美しい花なのだ!





​<吉野水分(みくまり)神社>
​​
午後2時ちょっと前、「上千本」の頂点である「吉野水分神社」に到着、

境内のしだれ桜、
「見頃」になっているかな?



おお!
境内のしだれ桜、正に見頃!
良かった!











​<吉野水分神社について>
​​「水分神社」は、干ばつの時に雨を祈る水の神を祀った神社のことです。多くは川の源流や分水嶺の近くに創られたようです(水分=水配り)​​
​​「吉野水分神社」の創建の時期は不明ですが、遅くとも7世紀の終わり頃には存在していたようです。元来は吉野山の最奥部に在る「青根ヶ峰」(標高858m、古来より水分山と呼ばれた神奈備山)に置かれていましたが、大同元年(806年)頃に現在地へ遷座しようです。​​
主神は、水を司る神である天之水分大神(あめのみくまりのおおかみ)、
また、「みくまり」が「みこもり」となまり、子守明神と呼ばれ子授けの神としても信仰を集めているようです。

午後2時10分。「吉野水分神社」を後にして帰路につきました。
往路は、上り坂の上に、あちこち「寄り道」しましたので、近鉄吉野駅から「吉野水分神社まで、昼食時間も含めて約4時間掛りましたが、帰路は寄り道せず、一直線に歩きましたので、1時間20分で近鉄吉野駅に着いたのです。

午前10時、近鉄吉野駅出発。午後3時30分、近鉄吉野駅に帰還、

昼食の30分を除き、
約5時間、歩きっ放しの吉野紀行でした。

持参した万歩計の歩数は
36400歩でした!
​​
​電車の時間まで、少し余裕がありましたので、駅前の茶店で、「プファ~、ビールが旨い!」とやろうかと思いましたが、そうするにはちょっと時間が足りないと思い、以下のように〆たのです。
プファ~、桜ソフトクリームが旨い!
吉野の桜には、桜ソフトがよく似合う。
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​





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最終更新日  2021年04月18日 22時37分08秒
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