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カテゴリ:美空ひばり
ひばりちゃんの代表作の一つ、 「お祭りマンボ」は 15歳の時の歌唱だったのだ! (15歳のひばり、お祭りマンボ) (まえがき) 今回はひばりちゃん15歳の時の歌を採り上げてみます。 15歳の時の歌は、昭和27年5月29日から昭和28年5月28日の間に発売された歌です。楽曲としましては、昭和27年7月1日発売の「悲しき小鳩」<51番>」から、昭和218年5月25日発売の「パパは話がわかる」<77番>の26曲です。 ひばりちゃんは、昭和28年3月に精華学園女子中学校を卒業、同年4月に精華学園女子高等学校に入学しました。 「精華学園」(現在の「東海大学付属市原望洋高等学校」)は当時、西新宿にあり、現在の「堀越学園」のように、芸能人を多く受け入れていました。 精華学園のひばりちゃんの後輩には、吉永小百合、星由里子、小川知子、和泉雅子、中尾ミエなどがいます。 上記の芸能人のなかで、吉永小百合についてちょっと触れてみます。 吉永小百合は、昭和35年、都立駒場高校に入学しましたが、芸能活動が多忙になったため、昭和36年に精華学園に転入学しました。しかし、精華学園でも芸能活動が超多忙となったため、やむを得ず精華学園を中途退学しました。この時点で、吉永小百合の学歴は「中卒」ということになりますが、彼女は昭和40年に「大学入学資格検定(大検)」を受験しました。「大検」には不合格だったようですが、早稲田大学が彼女の学力を「高卒」と同等以上と認定したため、昭和40年4月、「早稲田大学第二文学部西洋史学専修」に入学しました。 (吉永小百合) ひばりちゃん、 横浜に家があったのに、 何故、 新宿にあった精華学園に通ったのか? ちょっと不思議ですが、リュウちゃんの推測では、当時の精華学園はおそらく、殆ど出席しなくても、定期的にレポートを提出すれば卒業出来た、通信制高校のようなものだったのではないでしょうか? 通学に拘った小百合ちゃんは退学しましたが、通学に拘らなかったひばりちゃんは、卒業出来た、という事ではないかとリュウちゃんは想像するのです。 またまた「前置き」が長くなってしまいました。 ここから、楽曲に入ります。 (22)<51番>「悲しき小鳩」 <悲しき小鳩> ⤴ここをクリック、以下同じ ★発売日:昭和27年7月1日(15歳)、作詞:西條八十、作曲:万城目正、 ★映画「ひばりのサーカス・悲しき小鳩」主題歌、★カラオケ無し、評点:B (23)<52番>「旅のサーカス」 <旅のサーカス> ★発売日:昭和27年7月1日(15歳)、作詞:西條八十、作曲:万城目正、 ★映画「ひばりのサーカス・悲しき小鳩」主題歌、「悲しき小鳩」のB面曲、★カラオケ無し、評点:A、 <映画「ひばりのサーカス・悲しき小鳩」、34分バージョン> 「悲しき小鳩」と「旅のサーカス」は、上記ポスターの映画「ひばりのサーカス・悲しき小鳩」の主題歌及び挿入歌です。(22)の「悲しき小鳩」がA面曲なのですが、リュウちゃんは断然「B面の「旅のサーカス」が「お気に入り」の歌なのです。 この映画で特筆するべきことがあります。 それは、サーカス団のメンバーに、佐田啓二と岸 恵子が、恋人役で共演していることです。(上記ポスターの右下に2人の姿が見られます) 佐田啓二と岸 恵子=「君の名は」 映画「ひばりのサーカス・悲しき小鳩」 の2年後、 「君の名は」で大ブレイクするのだ! (24)<53番>「お祭りマンボ」 ★発売日:昭和27年8月15日(15歳)、★作詞:原 六朗、作曲:原 六朗、 ★カラオケあり、評点:特A、 美空ひばりに、モダンな楽曲を提供した、原 六朗のひばりちゃんの最初にして最大の大ヒット曲です。 原 六朗は、服部良一の門下生で、服部から作曲およびアルト・サックスの演奏を学びました。米山正夫と同じく、大半の楽曲で作詞も担当しています。 ひばりちゃんに提供した曲を以下に挙げてみます。 「私のボーイフレンド」、「お祭りマンボ」、「月の幌馬車」、「チューチューマンボ」、「バラ色の船」、「バラ色の乙女たち」、「すずらん峠」、「江戸っ子マンボ」、「ふるさとの月」、「雨によせて」、「娘とリボン」、「心ブラお嬢さん」、「エスキモのー娘」、「灰色のワルツ」、「素敵なランデブー」、「誰も知らない」、「ワンワン物語」、「哀愁のサンバ」、「気まぐれ東京っ子」、「悲しい事は忘れましょう」、 この歌で歌われている「お祭り」は、東京都千代田区にある「神田明神」の祭りのことで、山王祭、三社祭と並んで「江戸三大祭」の一つとされています。 (神田祭り) 神田祭りをテーマとしたひばりちゃんの歌は、他には19歳の時にリリースした「やくざ若衆祭り唄」<175番>があります。 「お祭りマンボ」の歌詞について、 ちょっと面白いことを発見! この歌詞に登場する人物は以下の3人です。 1、 私、 2、 隣のおじさん、 3、そのまた隣のおばさん、 1番の歌詞では、「隣のおじさん」の家が火事で焼けてしまうのですが、両隣の「私の家」と「おばさんの家」には類焼しなかったとは、普通では考えにくいですね。 田園調布の豪邸のように、隣の家が何十メートルも離れていれば類焼は起きないでしょうが、神田の下町の家は、家と家との間隔が殆ど無く、いわば、「軒を連ねる」というイメージです。「おじさん」の家を真ん中に、私の家と「おばさんの家は、「向こう三軒両隣」の関係の筈ですね。 そういう関係にある三軒であれば、おじさんの家が全焼すれば、両隣の「私の家」も、「おばさんの家も類焼は必至の筈です。 ♪~火事は近いよスリバンだ~♪ 「スリバン」とは、「擦り半鐘」の略語で、火事の時、半鐘を激しく打つことです。 おじさんの家が燃えているのに、 両隣の私とおばさんの家は無事??? 現実にはあり得ないことですね。 更にもう一つ、不思議に思えることがあります。 それは、おじさんの家がボーボー燃えている最中に、隣のおばさんの家に空巣が入って、おばさんのへそくりを盗むことです。 火事が起きているおじさんの家には、消防車や見物人で混雑している筈です。そのような人目につく所で、空巣行為は現実的には多分、不可能でしょうね。 それとも「火事場泥棒」という言葉があるように、火事のドサクサに紛れ込んで空巣に入ったのかな? ー閑話休題ー 「お祭りマンボ」は、ひばりちゃんの生涯を通しても屈指の大ヒット曲になりました。まるでラップミュージックのように早口言葉で歌われる大量の歌詞は、笠置シズ子の「買物ブギー」を想起させられます。 <笠置シズ子「買物ブギー」(昭和25年)> 平成3年、ジャニーズ事務所のアイドルグループ「忍者」が「お祭りマンボ」の詞とメロディを大幅に改変した「お祭り忍者」を発売、改めてオリジナルの「お祭りマンボ」が「永遠の名曲」であることを思い知らされました。 <「お祭り忍者」> (忍者) リュウちゃんにとりましても「お祭りマンボ」はカラオケのレパートリーの一つで、よく歌っています。 昨年、後期高齢者になったリュウちゃん、 何時まで「お祭りマンボ」 を歌い続けることが出来るのか? 「お祭りマンボ」は、 アンチエイジングの試金石なのだ! (24)<55番>「こだまは歌うよ」 <こだまは歌うよ> ★発売日:昭和27年9月10日、★作詞・作曲:米山正夫、★映画「リンゴ園の少女」挿入歌、★カラオケ無し、評点:B ひばりちゃん初の「ヨーデルソング」です。「ヨーデル」はヨーロッパ・アルプスの牧童が、遠く離れている仲間と呼び交わすために使用された発声法で、低音域の「地声」と、高音域の「裏声(ファルセット)」が入り混じった独特の発声法です。 日本のヨーデルソングとして一番有名な歌は、灰田勝彦の「アルプスの牧場」です。 (灰田勝彦) この歌の後半、 裏声で歌われる♪~レイホ― レイホ―~♪、 一番高い音は、何と、上の上の「D音」! 女性のソプラノの最高声域よりも3度も高いのだ! ひばりちゃんの「こだまは歌うよ」には、「アルプスの牧場」のような超高音は登場しない、普通の音域の歌なのですが、15歳という年齢に相応しい、明るく、元気な歌ですね。 尚、ひばりちゃんには、もう一つ、「アルプスの娘たち」<174番>というヨーデルソングがあります。この歌も「こだまは歌うよ」と同じく、米山正夫の作詞・作曲の歌なのです。 新発見! 映画「リンゴ園の少女」の中で、 この歌が挿入歌として使われている! (25)<59番>「二人の瞳」 <二人の瞳> ★発売日:昭和27年10月10日、★作詞:藤浦 洸、作曲:万城目 正、★映画「二人の瞳」主題歌、★カラオケなし、評点:B、 (「二人の瞳」ポスター) (美空ひばりとマーガレット・オブライエン) 映画初公開当時、3歳のチビっ子だったリュウちゃんは勿論、初公開の時には、この映画は観ていないのですが、初公開から13年経った昭和36年、高校一年生の時にリバイバル上映で、故郷の伊勢市でこの映画を観たのです。 4姉妹の末っ子、べスを演じた マーガレット・オブライエン、 たちまちファンになってしまった! (「若草物語」のマーガレット・オブライエン) この映画では、長女メグをジャネット・リー、次女ジョーをジューン・アリソン、3女エイミーをエリザベス・テイラー、そして夭折する4女べスをマーガレット・オブライエンが演じています。 (「若草物語」の4姉妹) 上掲のスチル写真を見ますと、映画出演当時14歳だったマーガレット・オブライエンは、3人の姉に比べると、飛びぬけて小柄です(マーガレット・オブライエンはひばりちゃんと同い年なのです) 社会人になってから、「二人の瞳」をDVDで観て、ビックリしました。 マーガレット・オブライエンは、 ひばりちゃんより 10センチ以上も背が高い! マーガレット・オブライエンは 「大女」なのだ! 歌の「二人の瞳」は、ちょっとノスタルジックで、ジャジーなスローの歌だったのですが、世界的な人気子役女優との共演を果たした映画は、ひばりちゃんの数多い映画の中でも、エポックメーキングな作品になったとリュウちゃんは思っているのです。 (26)<62番>「初夢道中」 <初夢道中> ★発売日:昭和27年12月15日、★作詞:西條八十、作曲:万城目 正、 ★映画「ひばり姫初夢道中」主題歌、★カラオケ無し、評点:B、 (27)<63番>「乙女旅」 <乙女旅> ★発売日:昭和27年12月15日、★作詞:西條八十、作曲:万城目 正、★映画「ひばり姫初夢道中」主題歌、「初夢道中」のB面曲、★カラオケ無し、評点:A、 ひばりちゃん初の「道中もの」です。歌謡曲の世界では、戦前から「道中もの」は数多くのヒットソングが生まれました。 「旅笠道中」、「妻恋道中」、「おしどり道中」、、、 「道中もの」の中で、渡世人が旅をするという設定の歌は「股旅もの」と呼ばれ、ことらも数多くのヒットソングがあります。 「赤城の子守歌」、「旅姿三人男」、「大利根月夜」、「勘太郎月夜唄」、、、、、 「股旅もの」の中に「三度笠もの」があります。 「三度笠」とは、竹の皮やスゲ(菅)を編んで作られた深い編み笠のことで、時代劇の渡世人の定番のスタイルです。 ♪~縞の合羽に三度笠~♪ (橋 幸夫「月夜の渡り鳥」) (三度笠を被った渡世人) 「三度笠もの」は、「三度」を略し、単に「笠もの」となるケースもあります。 以下に「三度笠もの」の有名な歌を幾つか挙げてみます。 「花の三度笠(小畑 実)」、「弥太郎笠(鶴田浩二)」、「潮来笠(橋 幸夫)」、「木曽ぶし三度笠(橋 幸夫)」、「てなもんや三度笠」(藤田まこと)」、 ひばりちゃんの「三度笠もの」は以下の2曲です。 「ひばりの三度笠<136番>」、「白い野菊と三度笠<322番>」、 ひばりちゃんの「道中もの」は「初夢道中」を皮切りに、 「花かるたいろは道中<125番>」、「お役者道中<128番>」、「花笠道中」<231番>」、「星空道中<262番>」、「追分道中<289番>」、「初雁道中<318番>」、 と、計7曲あります。 「道中もの」の最初の「初夢道中」とB面の「乙女旅」は、2曲共に「地味な歌」ですが、リュウちゃんは「乙女旅」の清潔で丁寧な歌唱に惹かれているのです。 ★(28)<64番>「馬っ子先生」 <馬っ子先生> ★発売日:昭和28年1月15日、★作詞・作曲:米山正夫、★映画「リンゴ園の少女」主題歌、★カラオケ無し、評点:A、 ★(29)<65番>「津軽のふるさと」 <津軽のふるさと> ★発売日:昭和28年1月15日、★作詞・作曲:米山正夫、★映画「リンゴ園の少女」主題歌、★カラオケあり、評点:A、 <映画「リンゴ園の少女」全長版> 昭和27年5月1日に発売された「リンゴ追分<49番>、「リンゴ園の少女<50番>」のカップリング盤から、約8か月後に発売された、映画「リンゴ園の少女」の主題歌第2弾です。 このレコードには、2つの「謎」があります。 <第一の謎> 同じ「リンゴ園の少女」の主題歌なのに、何故、発売日が8か月もずれてしまったのか? この「謎」は、ひょっとすると「リンゴ追分」の大ヒットのせいなのかも知れませんね。本来なら「リンゴ追分」発売の1,2か月後に発売する予定だったのが、「リンゴ追分」の余りの大ヒットで、結局、約8か月も発売が遅れてしまった???、今やその真相は不明ですが、有り得る話だとリュウちゃんは思っています。 <第2の謎> <64番>の「馬っ子先生」は、「美空ひばりオフィシャルサイト」にも<映画「リンゴ園の少女」主題歌>と表記されていますが、上掲の 映画「リンゴ園の少女」を 始めから終わりまで全部観ても、 どこにも「馬っ子先生」は出てこない! リュウちゃんが俄か推測しますと、「馬っ子先生」は、当初、映画のラスト、「リンゴ祭り」のシーンで使うつもりで作曲されたのだと思っています。 ♪~ハア~祭りだ祭りだ リンゴの祭りだ~♪ 多分、映画のラストで、「津軽のふるさと」を、しんみりと歌ったあとで、映画のラストに相応しい「音頭もの」(この歌はひばりちゃん初の「音頭もの」の歌なのです)の明るい歌で、大団円を迎える予定で作曲されたのだと思いますが、結局、映画のラストでひばりちゃんが歌った唄は、ジャズ風にアレンジされた「リンゴ追分」だったのです。 という訳で、「馬っ子先生」は 幻(まぼろし)の主題歌となってしまいました。 「馬っ子先生」は、昭和30年の、桃太郎をひばりちゃんが演じたミュージカル映画「宝島遠征」で、「桃の祭り」と歌詞を変えて歌われ、昭和31年に発売されたのです。 <「桃の祭り」<173番> ♪~ハア~ 祭りだ祭りだ 桃の祭りだ~♪ 「津軽のふるさと」は、端正な歌曲風の歌です。この歌は発売当初はB面曲で、発売以来、ずっと「日陰の存在」だったのですが、ひばりが晩年、この歌をよく歌うようになり、「平成の名曲」としてファンに知られるようになりました。 以下の動画は、昭和59年に「ミュージック・フェア84」で、ひばり本人が歌った「津軽のふるさと」です。 上掲の歌唱は、15歳の時のオリジナルの歌唱よりも、5度くらい音程を下げて歌っています。なので、オリジナル歌唱にはあったひばりちゃん独特の「ファルセット(裏声)の魅力」が全く発揮されていません。 大方のひばりファンの皆様は、こちらの歌唱のほうが馴染み深いと思われますが、リュウちゃんは、「ファルセットの魅力」が充分に発揮されたオリジナルの歌唱が断然好きなのです。 A面の「馬っ子先生」とB面の「津軽のふるさと」は、共に昭和27年10月18日にレコーディングされました。改めて驚かせるのは、性格の全く違った両曲の「見事な歌い分け」です。 「馬っ子先生」は12歳くらいの無邪気な歌唱、 「津軽のふるさと」は20歳くらいの端正な歌唱、 同じ日に録音されたとは思えない「見事な歌い分け」、 やはりひばりちゃんは天才だったのだ! ★(30)<66番>「チューチューマンボ」 ★発売日:昭和28年2月15日、★作詞・作曲:原 六郎、★カラオケあり、★評点:A、 「お祭りマンボ」に続く原 六郎の、「ひばりマンボシリーズ」第2弾です。 ♪~暗い夜更けの屋根裏で 親にはぐれた子ねずみが ひとりぼっちで淋しくて 猫がこわいと泣いている チュ チュ 悲しそに チュ チュ 泣いている~♪ ちょっとイソップ童話の「田舎のネズミと町のネズミ」を連想する歌詞ですね。 (田舎のネズミと町のネズミ) この歌、当時、あまりヒットしたとは思われないのですが、何故か通信カラオケがあり、リュウちゃんも、カラオケ店でよく歌います。全体的には「悲しい歌」なのですが、「チュ チュ」というネズミの鳴き声を歯切れ良く歌うと、歌の良さが伝わるのです。 この歌のタイトル、 「チューチューマンボ」ではなく 「チュ チュマンボ」のほうが 良さそうだ。 ★(31)<70番>「春のサンバ」 <春のサンバ> ★発売日:昭和28年3月5日、★作詞:藤浦 洸、作曲:万城目 正、★映画「姉妹(きょうだい)」主題歌、★カラオケなし、評点:B、 (※)映画「姉妹」では他に「歌がはづめば」<68番>」、「乙女ごころの唄<69番>」、「私はシンデレラ<71番>」が挿入歌として使われています。 <映画「姉妹」、30分バージョン> ひばりちゃんの最初で最後の「サンバ」の歌です。1番の歌詞は以下です。 ♪~ほら ほら 釣鐘草が 土から首を出したよ もうすぐ春がそこに来ている 楽しい春が来ている ほら ほら 釣鐘草が にっこり花を咲かせた~♪ 早いテンポと上下動の激しいメロディの歌を15歳のひばりちゃんは楽々と歌いこなしています。日本の歌謡界でも、多分、サンバはこの歌が最初の楽曲だったと思われますが、ポップスの時代に入ってからは、「白い蝶のサンバ」(森山加代子:昭和45年)、「てんとう虫のサンバ」(チェリッシュ:昭和48年)、「お嫁サンバ」(郷ひろみ:昭和56年)、「マツケンサンバ」(松平 健:平成4年)などにヒット作が登場しました。 ★(32)<72番>「流れのギター姉妹」 <流れのギター姉妹> ★発売日:昭和27年11月28日、★作詞:藤浦 洸、作曲:上原げんと、★カラオケあり、★評点:A、 ♪~姉が奏でるギターの弦(いと)の 弦音(ねおと)悲しや 夜の街 ゆれる心の光の陰に あけて十六 妹の心~♪ 昭和13年、北海道の炭鉱町で生まれた双子の姉妹(姉:並木栄子、妹:並木葉子)は、昭和26年に上京し、山谷の木賃宿に住み、三味線を持って浅草の繁華街を流すようになります。昭和34年、コロムビアレコードに入社、「こまどり姉妹」の芸名で「浅草姉妹」という曲でデビューを果たします。 (こまどり姉妹) ひばりちゃんの「流れのギター姉妹」は、まるで「こまどり姉妹」の苦闘時代を歌にしたような錯覚を覚える歌です。「こまどり姉妹」の並木栄子・葉子はひばりちゃんと同学年で、浅草で流しを始めたのは、15歳の時でした。 ♪~あけて十六~♪ ひばりちゃんも「こまどり姉妹」も、 正に「明けて十六歳」だったのだ! この歌は、ひばりちゃん初めての「ギター演歌」です。あまりヒットはしなかったようですが、何故かカラオケがあり、リュウちゃんもよくカラオケで歌います。歌いながら、「こまどり姉妹」の苦闘時代をい想像し、「あけて十六」のところで、「涙ウルウル」になるのです。 ★(33)<74番>「バラ色の乙女たち」 <バラ色の乙女たち> ★発売日:昭和28年2月9日、★作詞:藤浦 洸、作曲:原 六郎、★ラジオ東京連続放送劇「ひばりアワー・バラ色の乙女たち」主題歌、★カラオケなし、 ★評点:B、 ミディアムテンポの、穏やかな青春の歌です。 ♪~都の空のたそがれに バラ色染める乙女雲 風よ風よ吹かないで 夢よ夢よ散らないで 流れて遠い果てまでも~♪ この歌、リュウちゃんは、「美空ひばり大全集(CD135枚組)」で初めて聴いた歌だったのですが、リュウちゃんより少し年上のひばりファン2人のオバサマから、 「バラ色の乙女たち」って、 いい歌ね、 と聞いたことがあります。 一人は東京のオバサマ、もう一人は奈良のオバサマ、2人のオバサマは面識がありません。 後年、ひばりが歌ったこともなく、 カラオケにも入っていないこの歌、 何故、知っているのだ? と、リュウちゃんは長年、訝しく思っていたのですが、今回、この歌がラジオ東京の連続放送劇「ひばりアワー・バラ色の乙女たち」主題歌だったことを知って、上記2人のオバサマの発言が腑に落ちたのです。 2人のオバサマは、 「ひばりアワー・バラ色の乙女たち」の リスナーだったのだ!? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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