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リュウちゃんの懐メロ人生

リュウちゃんの懐メロ人生

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2022年03月05日
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カテゴリ:美空ひばり
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​
芳紀17歳のひばりちゃん、
確実に「大人の歌手」として成長した!



​(まえがき)
​​
さて、17歳のひばりちゃんです、ひばりちゃん17歳の時の楽曲は、昭和29年​​5月5月29日から昭和30年5月28日までに発売された歌です。具体的には、「お針子ミミ―の日曜日<108番>」から、「花の投げ節<137番>」の29曲です。この年は洋楽を4曲発売していますので、合計のリリース曲は33曲になります。
​​
​​(紅白歌合戦初出場)
​​
​昭和29年12月31日、「第5回紅白歌合戦」がラジオとテレビで同時放送されました。NHKがテレビの本放送を始めたのは、昭和28年2月1日からです。
以下の写真は、国産初のテレビ、です。14インチモノクロ、当時はサラリーマンの月給が3万円の時代でしたが、この国産初のテレビの価格は30万円、現在の価格に換算しますと、約300万円くらいになります。


​(国産初のTV受像機、シャープ<TV3-14T>)​

​​紅白歌合戦のテレビ放送は、昭和28年の大晦日に開催された「第4回」から始まり、「第5回」は2回目のテレビ放送になったのですが、当時のテレビはまさに「高嶺の花」で、現在、このテレビ放送を観たという人は殆どいないのではないかと思われます。
​​
第5回紅白歌合戦は男女各15人、計30人の歌手が出場、この内、5回連続出場した歌手は藤山一郎と二葉あき子の2人だけでした。デビュー2年目だった春日八郎が、大ヒット曲「お富さん」で紅白デビューを果たしました。

​(三人娘)
​​
​​​この紅白では、後に「三人娘」として大人気を博した江利チエミ雪村いづみ、それとひばりちゃんの3人が勢揃いしました(チエミは2回目、ひばり、いづみは初出場)
​​​
​​​江利チエミは昭和12年1月生まれ、ひばりちゃんより半年早く生まれ、学年も一年上です。ひばりちゃんと同じように「天才少女」と云われていましたが、レコードデビューは、15歳の時で洋楽の「テネシーワルツ」だったのです。​​​
​​<江利チエミ「テネシーワルツ」>


(江利チエミ)
雪村いづみは、昭和12年3月生まれ、江利チエミと同学年で、ひばりちゃんより2か月ちょっと年上です。裕福な家庭で育ちましたが、父親の自殺、母親の経営していた会社が倒産、いzづみは内定していた高校進学を諦め、歌手を志望し、芸能活動を始めました。レコード・デビューは、昭和28年4月、いづみちゃん16歳の時の「思い出のワルツ」で、江利チエミと同じ、洋楽曲でのデビューだったのです。​
​​<雪村いづみ「思い出のワルツ」>


​(雪村いづみ)​

「三人娘」
年齢順は江利チエミ>雪村いづみ>美空ひばり、
昭和29年年末までのレコーディング曲数は、
江利チエミ:48曲、雪村いづみ:32曲、
美空ひばり:138曲!

歌手としてのキャリアがダントツだったひばりちゃんが、何故、紅白出場が遅くなってしまったのか?
思い当たることはありますが、ちょっと不思議ですね。


​(三人娘)​

またまた「まえがき」が長くなってしまいました。
楽曲に入ります

​​(48)<108番>「お針子ミミ―の日曜日」​​
★発売日:昭和29年6月1日、★作詞:木下忠司、作曲:黛 敏郎、​★映画「青春ロマンスシート・青草に座す」主題歌、★カラオケあり、★評点:A
​(49)<109番>「ひばりの冒険」​​
★発売日:昭和29年6月1日、★作詞作曲:木下忠司、★映画「青春ロマンスシート・青草に座す」主題歌、★「お針子ミミ―の日曜日」のB面曲、★カラオケなし、★評点:B



リュウちゃんの他に
カラオケで
「お針子ミミ―の日曜日」を唄う人が
いるのかな?

​と思われるほどの異色作で、クラシックの前衛的作曲家であった黛 敏郎(まゆずみとしろう)の唯一のひばりちゃんへの提供曲です。
以下に歌詞を書いて見ます。
♪~
1、六日も空を見なかった 六日も土を踏まなんだ
だからミミ―の日曜は リュクサンブールに幕が開く
貸船木馬にミュージック ユラリユワロン幕が開く
鳩がベンチが噴水が あれあれみんなバラ色よ
ララリラララリラララリララララ~ 「うるさいわね!」
野暮いうお方はお出口へ
2、お針子ミミ―はパリジェンヌ ダニー・ロバンが大好きで
白い晴れ着がよく似合う どこかで見たよなパリジャンと
腕組み第2場セーヌ河 ユラリユワロン幕が開く
橋が煙が川船が あれあれみんなバラ色よ
ララリラララリラララリララララ~ 「当たり前だわよ!」
恋にローズはつきものよ
3、モンマルトルのキャフェ―で、ちょいと真似してカルヴァドス
見たよな殿御と思ったは ジュラールフイフイフィリップ
  さあさ一、二、三拍子 あれあれみんなバラ色よ
  ララリラララリラララリララララ~ 「あら、いいわネ」
  皆さん一緒に踊りましょう~♪

リュウちゃん、カラオケでこの歌を歌うようになってから、歌詞の意味について考えるようになりました。
​​​先ず、歌のタイトルのヒロイン「お針子ミミ―」とは、イタリアのオペラ作曲家・ジャコモ・プッチーニの著名な歌劇「ラ・ボエーム」のヒロイン、「お針子ミミ」のことなのですね。​​​
​♪~六日も空を見なかった 六日も土を踏まなんだ~♪
​この部分は、19世紀末のパリのお針子さんは、日曜日しか休日が無かったことを示しています。正に「楽しい日曜日」だったのですね。
♪~ダニー・ロバンが大好きで 白い晴れ着がよく似合う~♪
ダニー・ロバンはフランスの清純派女優です。


​(ダニー・ロバン)​

​​昭和28年、ジャン・マレー、ダニー・ロバン主演の「真夜中の愛情」という映画が公開されました<リュウちゃんも高校時代、テレビでこの映画を観た記憶があります。ダニー・ロバンのエレガントな美貌にクラクラしてしまいました(苦笑)>
♪~ちょいと真似してカルヴァドス~♪

​​カルヴァドスとは、リンゴから作られた蒸留酒のことです。ノルマンディ地方で産出されるもののみ、カルヴァドスと呼ばれ、それ以外で産出されるものは、単に「アップル・ブランデー」なのだそうです。



(カ​ルヴァドスのボトル)
​♪~ジュラールフイフイフィリップ~♪
ジュラール・フィリップは、フランスの二枚目俳優です。


​(ジュラール・フィリップ)
​​​​​​​​昭和22年の「肉体の悪魔」で、その人気は世界的なものになりました。日本でも、昭和27年公開の「花咲ける騎士道」「夜ごとの美女」で人気爆発、昭和28年10月に来日、物凄い「ファンファン・フィーバー」(ファンファンは彼の愛称)を巻き起こしたようです。残念ながら昭和34年に肝臓癌で、わずか36歳の時に夭折しました。「フランスの2枚目俳優」としてジュラール・フィリップの後を継いだのが、アラン・ドロンです。世界的な大ヒットとなった「太陽がいっぱい」は、ジュラール・フィリップの死の翌年の昭和35年に公開されたのです。
​​​​​​​​
​映画「青春ロマンスシート・青草に座す」の主演は桂木洋子です。


(桂木洋子)

​この映画の桂木洋子は、まるで「和製ダニー・ロバン」というべき、清楚で溌剌とした演技を見せてくれます。
実はこの時、桂木洋子は
「お針子ミミ―の日曜日」の作曲者の
黛 敏郎と結婚していたのだ!
ちょっと悔しい(苦笑)

​黛 敏郎と桂木洋子の長男として、昭和28年に生まれたのが、NHKドラマのディレクターとして活躍している
黛りんたろうなのです。

​(50)<番外>「ひばりのお買い物」​​
★発売日:平成2年3月21日(録音日:昭和33年?)、★作詞:石本美由紀、作曲:上原げんと、★収録アルバム「秘蔵!幻の未発表曲集」★カラオケなし、★評点:B、

​​美空ひばりの死後、これまで録音した曲で発売されず、「お蔵入り」になった歌22曲をCD2枚組として発売した中の一曲です。「お蔵入り」になった曲だけに、あまりピンとくる曲はなかったのですが、この曲だけは印象が残り、リュウちゃんも時々鼻歌で口づさむ曲になりました。録音が昭和33年、ひばり21歳の時の録音のようですが、ここで紹介しておきます。
​​
​(51)<110番>「日和下駄(ひよりげた)」


​(日和下駄)
★発売日:昭和29年6月15日、★作詞・作曲:米山正夫、★映画「七変化狸御殿」挿入歌、★カラオケあり、★評点:特A、
<映画「七変化狸御殿」、14分バージョン>
​​​ひばりちゃんの粋な「江戸もの・東京もの」の会心作です。ひばりちゃんの「江戸・東京もの」は他に「江戸の闇太郎<215番>」「ら・あさくさ<240番>」​​​
​​​​「江戸っ子4寿司<241番>」「大川ながし<250番>」「大川祭り囃子<264番>」「車屋さん<292番>」などがありますが、「日和下駄」は数ある「江戸もの・東京もの」の中でも、ピカイチの名曲だとリュウちゃんは思っています。ひばりちゃん本人も「お気に入りの歌」だったようで、後年、テレビやコンサートでもよく歌っていましたね。

<美空ひばり42歳の時の「日和下駄」>
​​
この歌は、昭和28年111月に録音されましたが、発売は何故か録音の半年後の昭和29年6月です。

何故、発売日が
録音日から半も年
遅れてしまったのか?

​​​ひばりちゃんは、昭和29年1月、浅草国際劇場正月公演で、恐らく(?)、永井荷の風の随筆「日和下駄」を基にした「日和下駄」というタイトルの舞台を演じ、好評を博しようです。恐らく、「日和下駄」は、浅草国際劇場の正月公演のために作られた楽曲で、当初はレコード発売の予定は無かったのかも知れませんが、舞台の評判が頗る良かったため、舞台から半年を経てレコードが発売されるようになったのかも知れませんね。

レコード発売から半年後、上掲のミュージカル映画「七変化狸御殿」で挿入歌として使われましたが、ちょっと場違いな使われ方ですね。この映画では、ひばりちゃんが十数曲を歌いまくっているようで、若い頃のひばりちゃんファンにとりましては、堪らない「宝の山」のようです。
​​​
​♪~おっと危ない横丁の黒犬よ~♪
このラストの歌詞を聞きますと、リュウちゃんは本居長世の30秒の名作童謡​、「三丁目の犬」を思い出すのです。​
​​<「三丁目の犬」>

(52)<111番>「心ぶらお譲さん」


(心斎橋)

★発売日:昭和29年6月15日、★作詞・作曲:原 六朗、★カラオケ無し、★評点:A、

​​​​​​​​ひばりちゃんの唯一の「大阪もの」です。「心ぶら」とは、大阪の南の繁華街、「心斎橋」をブラブラと歩くことで、東京の銀座をブラブラ歩くことを「銀ぶら」というのと同じ省略語です。

ひばりちゃんは、13歳の時に「銀ブラ娘<20番>」という、唯一の服部良一作曲の歌があります。

服部良一が何故、
ひばりちゃんに、
たった1曲の楽曲しか
作曲しなかったのか?

このことも謎の一つですが、ひばりちゃんのモダンな歌は、服部良一の弟子だった原 六朗に受け継がれたと考えれば、ちょっと納得ですね。
​​​​​​​​
​リュウちゃんが奈良人になったのは、東京から転勤で大阪の「北」の梅田勤務になった時からです。勤務地は「北」の梅田の繁華街にありましたが、「南」の心斎橋にも、しょっちゅう「寄り道」しました。
「心斎橋」を歌った歌で、リュウちゃんが好きな歌を一曲挙げてみます。

​​<「若い二人の心斎橋」:三田 明・吉永小百合のデュエット>



​(53)<115番>「ブラジルの花嫁さん」​​
★発売日:昭和29年9月15日、★作詞:西条八十、作曲:万城目 正、★映画「若き日は悲し」主題歌、★カラオケ無し、評点・特A、

35枚組の「美空ひばり大全集」で初めて聴いて、好きになった歌の一つです。

​​​​この歌は、多分、当時の「ブラジル移住ブーム」と、昭和29年2月の戦後初の日本航空による、東京(羽田)~ホノルル~サンフランシスコの国際線の開通を念頭に置いて作られた歌ではなおかと思われえます。それと、ひばりちゃんの「ブラジル公演」という構想も念頭にあった歌なのではないでしょうか(ひばりちゃんの「ブラジル公演」が実現したのは、「ブラジルの花嫁さん」発売の16年後の昭和45年だったのです)
​​​​
以下に1番の歌詞を書いてみます。

♪~桜振袖可愛く振って さよならお別れお富士さま
 廻るプロペラコメット機 
わたしはブラジルの花嫁さん
 お嫁に行きますサンパウロ~♪

​この歌は、ブラジルに移住した男性に、日本人女性がお嫁に行く、という内容の歌詞になっています。桜の咲く春に振袖を来て、周航したばかりの日本航空のプロペラ飛行機、「ダグラスDC-6B機」(多分?)に乗って、富士山を眼下に見ながら、日本とお別れする。行く先は、当時のブラジルの一番の大都市「サンパウロ」です。


​(ダグラスDC-6B機)
​実際にはブラジル移民は「苦難の連続」だったようですが、「ブラジルの花嫁さん」は夢と希望にあふれた底抜けに明るい歌です。
ひばりちゃんの「ブラジルの花嫁さん」
聴いていて気持良くなる楽しい歌だ!

​日本航空の飛行機が、プロペラ機からジェット機に代わっていたのは、昭和39年くらいのようです。この年の7月、日本航空はボーイング727機を国内線に投入、本格的に「ジェット機時代」の幕開けとなりました。


(​
ボーイング727機)

​♪~夢のジェット機 セブントゥーセブン~♪​
​​<「そこは青い空だった」:橋 幸夫と吉永小百合のデュエット>


(そこは青い空だった、ジャケット)
​(54)<117番>「八百屋お七」


​(「八百屋お七ふり袖月夜」ポスター)


​(月岡芳年 「八百屋お七」)​
★発売日:昭和29年8月20日、★作詞:野村俊夫、作曲:;万城目 正、★映画「八百屋お七ふり袖月夜」主題歌、★カラオケあり、★評点:A

​​​​「八百屋お七」とは、江戸時代前期、江戸本郷の八百屋の娘で、恋人に会いたい一心で放火事件を起こし火刑に処されたとされる少女です。山田風太郎のノンフィクション奇書「人間臨終図鑑」は、実在した923人の臨終の様子を年齢順に淡々と綴っていますが、この本の最初に登場するのが、15歳で火あぶりの刑で死んだ「八百屋お七」です。この実話は、井原西鶴の「好色五人女」で採り上げられたことで広く世に知られるようになり、歌舞伎の演目としても再三採り上げられるようになりました。
​​​​
1番の歌詞は以下です。

♪~月を見てさえ 吉さま恋し
まして逢えなきゃ なおさらに
泣いて畳んだ 折鶴だいて
娘十六 恋ごころ~♪

​​​​​上掲の歌詞に出てくる「吉さま」とは、お七が惚れた「吉三郎」のことで、映画では中村錦之助が演じています。映画「八百屋お七ふり袖月夜」は歌舞伎とは違い、ラストでお七(美空ひばり)と吉三郎は結ばれるというハッピーエンドになっているようです。この辺り、かなりいい加減な脚本ですが、錦ちゃん、ひばりちゃんファンにとりましては、「良い結末」だったのかも知れませんね。
​​​​​
「♪~娘十六恋ごころ~♪」:映画では、八百屋お七は16歳という設定ですが、これは映画撮影時のひばりちゃんの実年齢に合わせたにおかもしれませんね。​
​​平成6年、演歌歌手の坂本冬美が「夜桜お七」という異色作をリリースしました。歌詞には全く出てこないのですが、「夜桜お七=八百屋お七」なのです。



​(55)<119番>「お夏清十郎」


​(映画「歌ごよみ・お夏清十郎」ポスター)​
★発売日:昭和29年11月1日、★作詞:石本美由紀、作曲:上原げんと、★映画「歌ごよみ・お夏清十郎」主題歌、★カラオケあり、★評点:特A、

​​<映画「歌ごよみ・お夏清十郎」、68分バージョン>
​​
​「八百屋お七」に続く、ひばりちゃんの「歌舞伎・浄瑠璃もの」です。
​​​​ひばりちゃんの「歌舞伎・浄瑠璃もの」は他に「恋の曾根崎<147番>」「お染久松<148番>」「おかる道ゆき<227番>」「御存じ弁天小僧<271番>」があります。
​​​​
​​​​​​​​「お夏清十郎」は、寛文2年(1662年)に、現在の姫路市で実際に起こった「駆け落ち事件」を題材にした物語です。姫路城下の旅籠・但馬屋の娘「お夏」は、手代の「清十郎」と恋仲になり、二人は駆け落ちをしますが、すぐ捕らえられてしまいます。清十郎は「かどわかしの罪」に加え、「店金持ち逃げの罪」を着せられ、「打ち首」ります。「お夏」は狂乱して行方をくらまし、以後、誰も「お夏」の姿を見ることはありませんでした。
​​​​​​​​
この実話は、江戸時代から歌舞伎・浄瑠璃などの人気演目となり、昭和111年には、田中絹代のお夏、林 長二郎(長谷川一夫)の清十郎という配役で、初めて映画化され、東海林太郎の歌った主題歌も大ヒットしました。

<東海林太郎「お夏清十郎」>
​​
​​映画「唄まつりお夏清十郎」は、「八百屋お七・ふり袖月夜」と同じように、歌舞伎や浄瑠璃の結末とは正反対のハッピーエンドの物語に改変されています。こちらもひばりちゃんファンにとりましては「良い結末」なのですね。
​​
歌詞の一部が、東海林太郎の歌と同じ部分があります。
東海林太郎の2番の歌詞は以下です。

♪~向こう通るは清十郎じゃないか
  笠がよう似たすげ笠が~♪

ひばりちゃんの歌の2番の後半、

♪~向こう通るは清十郎様か
  笠が似ている菅の笠~♪

​​これ、ちょっと「パクリ」なのかな?

この歌、リュウちゃんも大好きな歌の一つで、カラオケでひばりちゃんの「時代もの」をまとめて歌う時には、必ずこの歌から歌い始めるのです。

​(56)<127番>「千両舞いすがた」


​(映画「大江戸千両囃子」)
★発売日:昭和30年1月20日、★作詞:野村俊夫、作曲:万城目 正、★映画「大江戸千両囃子」主題曲、★カラオケあり、​★評点:S、
​​
​(57)」<128番>「お役者道中」​​
★発売日:昭和30年1月20日、★作詞:野村俊夫、作曲:万城目 正、★映画「大江戸千両囃子」主題曲、「千両舞いすがた」のB面曲、★カラオケなし、★評点:特A、

「千両舞いすがた」、
3曲目の「評点S」の歌です。
伴奏はジンタ風で頂けないが、
ひばりちゃんの歌唱はまさに絶品!
聴けば聴くほど、絶妙な歌唱に
体が震える思いだ!

​映画「「大江戸千両囃子」では、ひばりちゃんは旅役者一座の花形スター「小春」を演じていて、映画の中では、歌と踊りをタップリ披露しているようです。
​共演は後に東映チャンバラ映画で中村錦之助と人気を二分した東(あずま)千代之介です。


​(東 千代之介)
​​​​ひばりちゃんは、映画「ひよどり草紙」では、中村錦之助、映画「「歌ごよみ・お夏清十郎」では、後に大映映画の若手時代劇の大スターになった市川雷蔵、そして映画「大江戸千両囃子」では、中村錦之助と共に、東映チャンバラ映画の大スターになった東 千代之介と共演、また、18歳の時には、映画「笛吹き若武者」で大川橋蔵を歌舞伎界から映画界に誘い出し、橋蔵は「錦ちゃん、千代ちゃん」に続く東映チャンバラ映画の大スターになったのです。
​​​​
往年の時代劇の大スター、
中村錦之助、東 千代之介、
市川雷蔵、大川橋蔵は、
新人の頃、美空ひばりと共演し、
大スターになった。
ひばりちゃんは、
戦後の時代劇の大スターの
「生みの親」なのだ!

​​(58)<129番>「娘船頭さん」



​​<娘船頭さん>
★発売日:昭和30年3月10日、★作詞:西條八十、作曲:古賀政男、★映画「水郷哀話・娘船頭さん」主題歌、★カラオケあり、★評点:A、

​​<映画「水郷哀話・娘船頭さん」、78分バージョン>
​昭和期を代表する歌謡曲作曲家・古賀政男の初めての古賀政男の曲です。


​(古賀政男)
​​後年、美空ひばりは、「柔<362番>」「悲しい酒<381番>」という2大人気曲により、ひばりの歌の作曲家といえば、一番先に古賀政男の名前が挙げられるようになりました。しかし、ひばりちゃんがデビューした昭和24年には、既に古賀政男は日本コロムビアのトップ専属作曲家だったのです。
​​
​​ひばりちゃんは、デビューの2年前の昭和22年、横浜で開催されたのど自慢で、審査員として来席していた古賀政男の前で、彼の新曲「悲しき竹笛」(近江俊郎・奈良光枝のデュエット曲)を歌い、​<古賀はその子供とは思えない歌唱力、度胸、理解力に感心し「きみはもうのど自慢の段階じゃない。もう立派にできあがっている」、「歌手になるなら頑張りなさい」と激励した>​(ウィキペディアの記述)とされています。
<「悲しき竹笛」歌:近江俊郎・奈良光枝>



小学校4年生の少女だったひばりちゃんの歌う「悲しき竹笛」、恐らく古賀政男は、お世辞ではなく、本当に驚いたのではないかと思います。
​その2年後、古賀政男が所属していた日本コロムビアにひばりちゃんは専属歌手として入社し、「悲しき竹笛」とタイトルが似た「悲しき口笛<2番>」で早くも大ヒットを飛ばします。​
恐らく、それを見ていた古賀政男は考えたことでしょう。

正に天才歌手の出現だ。
しかし、この天才に、
どういう曲を書いていいのか?
五里霧中だ。

ということで、ひばりちゃんへの初提供した歌が、彼女のデビューから6年も経った昭和30年になってしまったのではないかとリュウちゃんは愚推するのです。

​結局、古賀政男が美空ひばりに提供した曲は合計34曲にとどまります。
「娘船頭さん」は、西條八十=古賀政男のゴールデンコンビが満を持してひばりちゃんに提供した曲とあって、哀切極まりない中にも格調高い名曲になったとリュウちゃんは思っているのです。

​(59)<131番>「湯島月夜」



​​<湯島月夜>
★発売日:昭和30年3月15日、作詞:猪又 良、作曲:米山正夫、★雑誌「平凡」作詞募集入選詞、★カラオケ無し、★評点:B、

​​​​​三波晴夫「大利根無情」、石原裕次郎の「男の横丁」「口笛の聞こえる港町」、ちあきなおみの「新宿情話」などを作詞した猪又 良の作詞家デビュー曲です。
​​​​​
​​詞の題材は泉鏡花の長編小説「婦系図(おんなけいず)」「湯島天神の境内の場」(湯島の白梅)から得た歌です。


​(湯島天神の泉鏡花筆塚)
台詞入りの明治ロマンのムード溢れる歌ですが、リュウちゃんがこの歌に興味を持ったのは別の点にあります。それは、

​♪~わかりますとも お蔦のこころ~♪​
の、「お蔦の」の「の」の音符、
上の「F音」(五線の一番上)だ!

​​​​​リュウちゃんがカラオケでひばりちゃんの歌を歌う時には、全て原調で歌えるのですが、若し「湯島月夜」を歌うとすれば、3度下げないと歌えないと思われます。晩年の「みだれ髪」で、船村 徹は、「♪~憎や 恋しや 塩屋の岬~♪」の「塩屋」の「し」の音符を、当時の美空ひばりの体調を無視するかのようなキーの高い音符を書きましたが、それでも、この部分のキーは<上のD音>で、五線符の第4線、「湯島月夜」の「の」の音よりも3度低い音なのです。
​​​​​
「湯島月夜」の「の」の<上のF音>、
ひばりちゃんの全517曲の中で、
一番高い音程なのだ!

(60)<132番>「あの日の船はもう来ない」
★発売日:昭和30年4月15日、作詞:西沢 爽、作曲:上原げんと、★カラオケあり、★評点:A、

​​(61)<133番>「さすらいの雨」​​
★発売日:昭和30年4月15日、作詞:西沢 爽、作曲:上原げんと、★「あの日の船はもう来ない」のB面曲、★カラオケ無し、★評点:​特A、
「ひばりのマドロスさん」に続く、「マドロスもの」第2弾です。この歌は、「マドロスさん」に恋をした女性の失恋の歌ですね。

「愛したマドロスさんが船に乗って行ってしまった。マドロスさんは2度と帰ってこない。それでも私はいつもマドロスさんの帰るのを待って、波止場に行くが、彼の乗った船は帰ってこない。毎日波止場に行くので、波止場にいるカモメだけが私の友達なのだ」という悲しい歌なのです。
​​「ひばりのマドロスさん」の明るく陽気な歌と違って、しみじみとした、現代風に言えば「スローバラード」の曲ですね。このような「大人の歌」を17歳で歌ったひばりちゃん、やはり「天才」としかいいようがないとリュウちゃんは思っているのです。
​​
​​B面の「さすらいの雨」はA面の「あの日の船はもう来ない」とは打って変わって、早いテンポの「慟哭の歌」です。
​​
♪~港しぐれにギターもむせぶ 
唄も悲しや ああ おさげ髪~♪

悲しい歌が好きなリュウちゃん、
A面の「あの日の船はもう来ない」よりも、
B面の「さすらいの雨」のほうが、
断然、好きなのです。
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​

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最終更新日  2022年03月07日 05時40分21秒
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