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リュウちゃんの懐メロ人生

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2023年10月27日
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6年ぶりの「山の辺の道」縦断、
まだ彼岸花が咲き残っていた!





​​​​​​10月2日、6年ぶりに奈良の「山の辺の道」(南コース)を縦断遠足して来ました。「南コース」はJR(近鉄も同じ)「天理駅」からJR「三輪駅」に至る全長16キロ「古代の道」です。途中、寄り道や回り道をしますので、実際に歩く距離は20キロ位になります。


(「山の辺の道」:南コース)

ここで改めまして、「山の辺の道」の南コースをウィキペディアの記述に基づいて。紹介させて頂きます。

​<山の辺の道・南コース>
​​
​​​★天理市の石上(いそのかみ)神宮から笠置山地の麓にそって、三輪山の麓にある大神(おおみわ)神社までの約16キロの道、現存する「日本最古の道」である。​​​
​​​​​​​★途上には、「内山永久寺跡地」、「夜都岐神社(やつぎじんじゃ)」、「竹之内環濠集落」、「念仏寺」、「長岳寺」「崇神天皇陵」「景行天皇陵」「檜原(ひばら)神社」「纏向(まきむく)遺跡」「箸墓(はしはか)古墳」などの古代~近代のヤマトの歴史的な遺跡、神社が点在している。尚、「纏向遺跡」は古代、卑弥呼女王が治めた「邪馬台国」の有力な候補地で、また、「箸墓古墳」は卑弥呼の墓だとの説が有力である。​​​​​​​
​​​★「大神神社」から直線距離で約5キロのところに、持統天皇が治めた「藤原宮跡」があり、「藤原宮跡」から南に1キロほどの所には、古代天皇の宮跡が幾つもあった明日香村がある、推古天皇の補佐をした聖徳太子は飛鳥の地から「山の辺の道」の一部を辿り、法隆寺に通勤したようだ。​​​
​★「万葉集」に詠まれた「山の辺の道」に関連する歌​
<味酒(うまさけ) 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山のまに い隠(かく)るまで 道の隈 い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放(みさ)けむ山を 心なく 雲の 隠さふべしや >(額田王、巻1・17)
<三輪山を然(しか)も隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや> (額田王。上記長歌の反歌、巻1・18)
<衾道を引手の山に妹を置きて山路を行けば生けりともなし >(柿本人麻呂)

「山の辺の道」は、
古代ロマンの道なのだ!

例によりまして、女房殿お手製の「おにぎり弁当」と、リュウちゃんお手製(?)の缶ビール(2缶)をリュックに詰め、朝8時に家を出発、8時50分、スタート地点の「天理駅」に到着、

久々の「山の辺の道」
無事にゴールの大神神社に
辿り着けますことやら?

9時20分、石上神宮が見えてきました。

おお、
まだ彼岸花が咲いている!
柿も実っている。
こりゃ、
彼岸花と柿の木行脚になりそうだ。








石上神宮に到着。

​神宮の神鶏がお出迎えだ。






​​
「内山永久寺」跡地の手前の松尾芭蕉の句碑です。
​​うち山や とざましらずの 花ざかり



「内山永久寺」跡地の石垣の上に登りました。
​石垣の上から、生駒山が見渡せました。


​​​​​「内山永久寺」は平安時代に建立、大和では東大寺・興福寺・法隆寺に次ぐ待遇を受ける「大寺院」で、松尾芭蕉がここを訪れた頃は、その規模の大きさと伽藍の壮麗さから、「西の日光」讃えられたようです。明治の「廃仏毀釈」によって徹底的に破壊され、現在では、この石垣と、石垣の上に建てられた「大和名所図会所収の境内図」のみが往時の栄華を留めるに過ぎないのです。
​​​​​
​正に​
夏草や つわものどもが 夢の跡
ですね。





ここ辺りは「柿」の名所なのだ!







細い山道が続きます。

「山の辺の道」で、
この辺りが一番の難所なのだ!





​「難所」を過ぎ、広い舗装路を下った「みかん畑」の傍に「十月桜」(?)が咲いていました。







​「みかん畑」から、次のマーキングポイントである「夜都岐神社(やつぎじんじゃ)」に向かいます。
沿道には、
点々と彼岸花が咲いている。







「夜都岐神社」の鳥居です。春には、この鳥居の右手にある土手の桜が見事なのですが、本日も境内には入らず、鳥居の前を通り過ぎたのです。



「夜都岐神社」の鳥居を通り過ぎた辺りから、沿道の彼岸花が濃くなって来ました。

ここは「山の辺の道」の、
彼岸花のメッカだ!
白い彼岸花も見られた!













​<西山塚古墳>
​​
​ちょっと見では「円墳」にしか見えないのですが、全長114mの巨大な前方後円墳です。
史跡に指定されていないので、
古墳はみかん畑になっている!



​<念仏寺>
​​
「念仏寺」の墓地に入ります。

墓地のお地蔵様と彼岸花のコラボ、
まるで浄土世界に入ったようだ!





​「念仏寺」から、次のマーキングポイントの「長岳寺」に向かいます。
道筋には、彼岸花、芙蓉、
コスモスが咲いていた。
正に「秋たけなわ」だ!









​<長岳寺>
​​
​正午、「山の辺の道」の南コースの中間点に位置する高野山真言宗の古刹、「長岳寺」に着きました。この古刹は、平安時代の初期に空海によって建立されたようです。


境内の桜並木の根本に、彼岸花が咲いていました。





​「長岳寺」の横に、「山の辺の道」をハイキングする人の休憩所である「天理トレイルセンター」があります。
当初の予定通り、ここのベンチで昼食、

プファ~、ビールが旨い!
秋晴れの下、おにぎりも美味しい!
​​これで桜が咲いていたら、最高なのだが、、、




(6年前に撮ったトレイルセンターの枝垂れ桜)

​​<崇神(すじん)天皇陵>
​​
昼食を終えて、午後1時、トレイルセンターを出発、
​眼前に第10代・崇神天皇陵が見えてきました。



​崇神天皇陵は全長242mの巨大前方後円墳です。「山野の辺の道」道筋にある古墳としては、これから訪れる「景行天皇陵」、「箸墓」に次ぐ、巨大古墳なのです。
崇神天皇陵は、
「山の辺の道」の第3の巨大古墳だが、
景観はピカ一なのだ。





陵の周りにも。彼岸花。コスモス、萩、ススキが秋の風情を醸し出していました。












​<景行天皇陵>
​​
様々な花を愛でながら、景行天皇陵に向かいます。







前方に、景行天皇陵が見えてきました。



​​​第12代景行天皇は、熊襲征伐、東国征伐で英雄と称えられる日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の父、陵は全長300mの前方後円墳で、「山の辺の道」の最大の古墳、全国でも第8位の巨大古墳です。
​​​
「山の辺の道」は、
「巨大古墳の道」なのだ!








​前方に、ゴールの「大神神社」の神山である「三輪山」が見えてきました。



もうゴールは近いのだ!
花を愛でながらゴールに近づこう。









​<檜原(ひばら)神社>
​​
​午後3時、ゴールの大神神社から1,5キロ手前にある摂社・「檜原神社」に到着しました。





​「檜原神社」は全国的にも珍しい「三ツ鳥居」のある神社で、パワースポットとしても有名な神社のようです。


(「檜原神社」の「三ツ鳥居」)

​<檜原神社の「元伊勢」伝承>
​​
​「檜原神社」は、「元伊勢」の最初の伝承地です。
​という長いタイトルのサイトから、「元伊勢伝承」の記述をコピペします。
​<元伊勢伝承>
​​
​​天照大神(あまてらすおおみかみ)が現在の伊勢神宮(内宮)に鎮座されるまでの間、各地を放浪し一時的に鎮座された場所のことは「元伊勢」と呼ばれているのですが、伝承によるとその一つがこの檜原神社だとのこと。もちろん御祭神も伊勢神宮(内宮)と同じ天照大神です。​​
​​​かつて天照大神は宮中で祀られていたそうなのですが、第10代・崇神天皇の御代に疫病が蔓延したことから、崇神天皇は皇女・豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に天照大神の神霊を託し「倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)」に祀らせました。その倭笠縫邑が檜原神社であったというのです。
(上掲の記述に続く以下の記述と「図」は、(<太陽神と旅した皇女・倭姫命(祈りの回廊のコラム)>​)からのコピペです。

​​ それから年月が経ち、疫病も平癒した垂仁天皇の御代に、天照大神は豊鍬入姫命から離されて、今度は垂仁天皇の皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)に託されます。倭姫命は、倭笠縫邑を出発し、天照大神が鎮座する場所を求めて、まずは菟田(うだ)の筱幡(ささはた)へ。そこから近江(滋賀県)、美濃(岐阜県)を巡って、伊勢国に至り、現在の三重県の伊勢神宮の地に奉斎されることになります。


(この図は「祈りの回廊」のサイトから拝借しました)

 ​​倭姫命はその間およそ40年ほどの歳月をかけ、天照大神が鎮座する場所を探して旅をしました。『日本書紀』に登場する倭姫命の足跡は、倭笠縫邑と菟田の筱幡のみです。一方、平安時代成立の『皇太神宮儀式帳』や、鎌倉時代成立の『倭姫命世紀』には天照大神を祀った多くの場所が記載されています。この倭笠縫邑から伊勢神宮に至るまで、一時的に天照大神を祀った神社や場所は「元伊勢」と呼ばれています。


(倭姫命の伊勢までの道のり)

天照大神を祀る「元伊勢の旅」は
崇神天皇の皇女・豊鍬入姫命から、
垂仁天皇の皇女・倭姫命に受け継がれた。
倭姫命は40年も「伊勢神宮」を探す旅をした。

この旅、
苦難の旅だったのか?
それとも、「ロマンの旅」だったのか?

少し疲れましたので、檜原神社の参道の横にある茶店で「葛餅」と缶ビール(2缶)を注文して一服、

プファ~、ビールが旨い!
「山の辺の道」の旅は、
「ロマンの旅」なのだ!



​<箸墓(はしはか)>
​​
​​檜原神社の参道を降りて行った所に、全長278mの前方後円墳である「箸墓」があります。「箸墓」は全国古墳ランキング」で11位の古墳で、「山の辺の道」沿いの古墳としましては、「垂仁天皇陵」に次ぐ巨大古墳なのです。












​​​「箸墓」の被葬者は、宮内庁によって、第7代孝霊天皇皇女の​倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと、漢字も読み方もややこしい!)​とされていますが、もう一つは、古代の邪馬台国の女王・卑弥呼(ひみこ)の墓所という説で、リュウちゃんは「山の辺の道」を歩く時には、「卑弥呼説」を固く信じて散策するのです。
​​​
​リュウちゃんの<箸墓=卑弥呼の墓所>説の根拠は単純です。​
​​邪馬台国のことが唯一記述されている中国の「魏志倭人伝」に記述されている国名:地名は、すべて当時の日本人が語った「音声」を当時の中国の漢字に変換したものです。従いまして、中国式漢字表記の以下の言葉は、日本式の漢字に、以下のように置き換えることが出来ると考えているのです。
​​
邪馬台国=倭(やまと)国=大和国
卑弥呼=姫巫女

​今回は行かなかったのですが、「箸墓」の近くに「纏向(まきむく)遺跡」という弥生時代の遺跡があります。以前からここは邪馬台国の有力候補地だったのですが、170回に及ぶ発掘調査により、以下の写真のような大きな高床式の建物が何棟も建てられていたことが判りました。
一際大きな建物、
女王卑弥呼の住居だった!???


(纏向遺跡建物復元図)

​​<大神(おおみわ)神社>
​​
「箸墓」から15分位歩きますと、眼前に大神神社の「大鳥居」が見えてきました。

​いよいよゴール近しだ!



「大鳥居」を潜りますと、10分位で「大神神社」に到着です。

6年ぶりの大神神社参拝、
ご利益があるかな?







境内の杉の根本の彼岸花、
正に「見頃」だ!



​朝8時50分、天理駅を出発、途中、2回の「ビール休憩」を挟み、午後4時30分、帰路の「JR三輪駅」に到着、約6時間歩きっぱなしの旅も無事に終了しました。
「山辺の道」縦断旅は
古代ロマンを求める旅、
ロマンがあれば
6時間歩きっぱなしもへっちゃらなのだ!







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最終更新日  2023年10月27日 21時27分24秒
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