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リュウちゃんの懐メロ人生

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2023年11月03日
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藤原宮跡から安倍文珠院へ、
今年も「コスモス行脚」が出来た!



​10月19日、今年初めての「コスモス行脚」に行って来ました。​
​​今回歩いたのは、奈良で一番のコスモスの名所である「藤原宮跡」と、桜井市にある古刹「安倍文珠院」です。
​​
本日の行程は以下です。

JR「畝傍駅」~「おふさ観音」~「藤原宮跡」~「安倍文珠院」~JR「桜井駅」
​おおよその距離は、JR畝傍駅から「藤原宮跡」までは約1キロ、「藤原宮跡」から「安倍文珠院」までは約4キロ、「安倍文珠院」からJR「桜井駅」までは約1キロ、合計約6キロです。
合計約20キロの
「山の辺の道」と比べると、
楽勝の行程だ!

​​例によりまして、女房殿お手製の「おにぎり弁当」と、リュウちゃんお手製(?)の缶ビール(2缶)をリュックに詰め、午前9時に家を出発、午前11時、出発点の「畝傍駅」に到着。
​​
ローカル線2回乗り換えに失敗、
乗車時間20分なのに、
2時間も掛かってしまった!

午前11時、JR「畝傍駅」に到着、ここからスタートです。

<おふさ観音>
​​
​「畝傍駅」から「藤原宮跡」までの途上に、バラの寺として有名な「おふさ観音」があります。



境内に入り、暫し「秋バラ」を鑑賞、

今正に「秋バラ」の季節、
境内には、
鉢植えのバラが咲き乱れていた!





















「おふさ観音」から歩いて10分くらいで、「藤原宮跡」の北側に着きます。

おお、
「藤原宮跡」のコスモス、
完全に「見頃」だ!



​「藤原宮跡」のコスモスは、約3万平方メートルの広大な敷地に、6種類300万本のコスモスが植えられています。
「藤原宮跡」の総面積は、
84万平方メートル、
コスモスエリアは全体の4パーセントだ。
全ての敷地を
コスモスで埋め尽くすとすると、
6300万本のコスモスが必要なのだ!


(「藤原宮跡」のコスモスエリア図)

コスモスエリアに入ります。

コスモスは、
晴れた秋空がお似合いだ!



























​「藤原宮跡」は、畝傍山、耳成(みみなし)山、天の香久山の、所謂「大和三山」のトライアングルの中心部にあります。
以下に、例によりまして「大和三山」とコスモスのコラボ写真を貼り付けます。

​<畝傍山とコスモス>






​<耳成山(みみなしやま)とコスモス>







​<天の香久山とコスモス>
​​
「大和三山」の中では「天の香久山」がコスモスエリアに一番近いので、写真も一番多く撮ったのです。










​​
もう正午を過ぎた、
お昼にしよう。
​​
​で、コスモスエリアの北にある「大極殿跡地」に移動、
この「大極殿」から、主(ぬし)だった持統天皇が左前方にある天の香久山を観て、百人一首で有名な、

春過ぎて 夏来にけらし白妙の 
衣ほすてふ 天の香久山

という歌を詠んだ筈です。








(「大極殿跡地」から見た「天の香久山」)

「大極殿跡地」にビニールシートを敷いて、昼食。

プファ~、ビールが旨い!
気分は持統天皇だ!

リュウちゃんも一首浮かびました。

​​夏過ぎて 秋来にけらしまほろばの 
香久山の下コスモス薫る(お粗末!)

午後1時過ぎ、「藤原宮跡」を後にして、「安倍文珠院」に向かいました。

「藤原宮跡」から
「安倍文珠院」までは、
約4キロの道のり、
1時間もあれば着くだろう。

​午後2時過ぎ、「安倍文珠院」の「表山門」に到着、



​下の写真は、「安倍文珠院の伽藍図」です。​
​​​コスモスは「金閣浮御堂」のある「文珠池」のほとりと、文珠池の右横の、「花の広場」に咲いています。この時期、「花の広場」には、「コスモス迷路」が作られているのです。



境内に入ります。

​先ずは「金閣浮御堂」の周囲のコスモスです。
「金閣浮御堂」とコスモスのコラボ、
「安倍文珠院」の秋の風物詩だ!





​「金閣浮御堂」の横にある「コスモス迷路」に入ります。



「コスモス迷路」に
植えられているコスモス、
背丈2~3m、
大人でも迷路の上から見渡せない。
レモンイエロー
や珍しい「八重咲き」もある。

この小さい迷路は、
コスモスのミクロコスモス(小宇宙)なのだ!















​「コスモス迷路」の入口に、一際小さい「チョコレートコスモス」を観ることが出来ました。
チョコレート色の、
チョコレートの匂いがする
不思議なコスモス、
今年もリュウちゃんを出迎えてくれた!







「展望台」に登ります。

​「安倍文珠院」は平安時代の陰陽師・安倍晴明が陰陽道の修行をしたお寺で、上掲の「伽藍図」にある「展望台」は、晴明が天体観測をした場所のようです。
​展望台の直下に「コスモス迷路」があります。



​展望台からの眺望です。金閣浮御堂の右上の山は、藤原宮跡の北にある「耳成山」です。



展望台の脇に、ここからの眺望を示した絵図が掲げられていました。

写真は靄が掛かっていて
よくわからないが、
この絵図で、本日歩いてきた道筋を
明瞭に知ることが出来る!



ーーーー
​​<付録>
​邪馬台国は、やはり「纏向遺跡」だった!???>
​前回の「山の辺の道」のブログで、リュウちゃんは、「邪馬台国は桜井市にある纏向遺跡だ」と書きました。

その理由は、
邪馬台国のことが唯一記述されている中国の「魏志倭人伝」に記述されている国名:地名は、すべて当時の日本人が語った「音声」を当時の中国の漢字に変換したものです。従いまして、中国式漢字表記の以下の言葉は、日本式の漢字に、以下のように置き換えることが出来ると考えているのです。
邪馬台国=倭(やまと)国=大和国、卑弥呼=姫巫女
​​​というものだったのですが、その後、「魏志倭人伝」に記述に関しまして、<邪馬台国=纏向遺跡>説を補強する「ささやかな発見」をしましたので、ここに書いてみます。
​​​
​​<朝鮮から九州に至る「魏志倭人伝」の記述>

​★倭人は帯方(今の韓国ソウル付近)の東南大海の中に住み、山島に依って国邑をつくる。もとは百余国。漢のときに朝見(参内して天子に拝謁)する者があり、いま使者と通訳を接触させているのは三十国。
​​★郡(帯方郡)から倭に到達するには、海岸に従って水行し、韓国(馬韓)を経て、あるいは南へ、あるいは東へ進み、その(=倭国の)北岸の「狗邪韓国」(くやかんこく。伽耶・加羅・金海)に到達する。(帯方郡から隔たること)七千余里。
​​
​★海を渡ること千余里で、「対馬国」に着く。​
​★南に一海を渡ること千余里、「一大国」(一支・壱岐)に着く。​
​★海をわたること千余里で「末廬国」(まつろこく。松浦付近)に着く。​
​★東南に陸行五百里で、「伊都国」(いとこく・いつこく。糸島付近)に着く。​
​​★東南の「奴国」(なこく・ぬこく。博多付近)まで百里。​​
​​​(※)尚、「奴国」は、西暦56年に古代中国の「後漢」の光武帝が「漢委奴國王」と印字された金印を授けたことで有名です。この「金印」は、江戸時代に志賀島(現・福岡県福岡市東区の半島)で発見され、現在では、東京国立博物館が所蔵しています。
​​​
​この金印の発見により、「奴国」が現在の福岡市に存在していたことが確実になりました。


(漢委奴国王印:東京国立博物館蔵)

​​★東行して「不弥国」に(ふみこく・ふやこく)まで百里。​​
​​(※)「不弥国」までは、現在の北九州に存在していたことは確実です。問題はここからで、「不弥国」から南に向かう「九州説」と、東に向かう「畿内説」に分かれるのです。


(邪馬台国への行程図)

​​★南へ「投馬国」(とうまこく、つまこく)に至る、水行二十日。
​​
​​​※)「不弥国」から
水行二十日の行程の「投馬国」
、果たして何処にあったのか?
​​
上掲の図をご覧ください。
​上掲の図は、邪馬台国畿内説と九州説の2通りの経路が示されています。
​​​​畿内説では「投馬国」は広島県の「鞆の浦」(とものうら)辺り、九州説では、宮崎県の「西都市」(さいとし)辺りとする説が有力のようです。
​​​​
しかし、リュウちゃんは
思い切って想像を膨らませ、
「投馬国」を
奈良の「當麻寺」(たいまでら)の辺りにあった
考えるのです。
先ず、「とうま」と「たいま」の音読みが
似ている。

​そして、もう一つの類似性を、「魏志倭人伝」の続きの記述から拾ってみました。
​​★(投馬国の)官を彌彌(みみ。耳・美々か)と言い、副官を彌彌那利(みみなり。​耳成​・耳垂か)と言う。
​​
​​思わぬ所に
「耳成」という言葉が出てきた!
​​
これは大和三山の
「耳成山」の由来になった言葉だと
考えるのが合理的ではないだろうか?

「當麻寺」と「耳成山」は
直線距離で10キロ程度、
恐らく、古代の「投馬国(當麻国)」の
領内に「耳成山」も入っていたのだろう。

「耳成」は、邪馬台国畿内説の
重要なキーワードになりそうだ!

​最後に、古代の奈良の豪族の分布図を貼り付けます。以下の図は、多分、邪馬台国時代から2~300年後の勢力図のようですが、古代史を想像する上の参考になると思います。
​​​​​​​尚、下の図で、「當麻寺」は中央下部の「葛城氏」の表記のある辺り、右側(東)に「大和三山」があります。「纏向遺跡」は、図の右側中央下の「大王家」と表記された辺りにあるのです。



​奈良は何処でも、
古代のロマンと謎に満ちているのだ!​
​​​​​





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最終更新日  2023年11月07日 12時45分43秒
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