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テーマ:政治について(20206)
カテゴリ:その他
「同和」または「部落」と言う。
日本の闇の一つであり、また色々とタブーが多いこの問題についてちょっと考えてみた。 正直「同和問題」とはよく分からない。 私の学校ではサヨバイアスがかかっていたのにも関わらず、この同和教育にはそれほど熱心ではなかったらしく、巷で囁かれているように「にんげん」などという人権教育を一度も受けたことがなかった。 かといって、テレビで詳しくこの「同和問題」を取り上げる番組も少ないために、今一その本質が分からない。 そんな中途半端な知識で語ることなんてほとんどないんだけど。同和利権とか同和差別とかはもっと詳しい人のサイトさんを観たほうがいいと思う^^; で。 私が、同和問題を知ったのは、テレビで丁度同和問題をほんの少し取り上げていたことに起因する。 テレビでは各年代に「もし、子供の結婚相手が同和出身者だったら?」などというアンケートを取っていた。 子供だった私には「同和って何?」「部落?????」「え。何でこの人達差別されているんだろう??」 と、疑問一杯だった。 だけど、さすがにテレビでもそこまで突っ込んで同和問題を取り上ることはせず、あたりさわりなく、「今の日本人の心の中にも同和差別は残っているのです」という締めくくられ方をした。 「どうして差別されるのか」「同和とは何なのか」 このテレビを見たのは小学校六年生。 全く同和に関する教育を受けずに何年も過ごしてきた(思い越せば、エタ、ヒニンについてもほとんど教育を受けなかった) そこで「同和問題」というテレビを観て初めて「被差別問題」を知ったのである。 もし、そのテレビを見たり、同和についての知識を得なければ私は同和問題なんて一生知らなかった可能性があるし、知ったとしてもかなり年代が上になってからだと思う。 それは当然だ。同和についての知識。例えば「○○○地域に住んでいる人は同和だ」とか「現在も同和差別がはびこっている」などと知識を注入されなければ、見かけではほとんど日本人と変らない。 普通では見分けがつかない人間を全く同和についての知識がない状態で「同和だ!」と差別することは不可能に近い。 これが人種、あるいは宗教、あるいは体型や人格なら、見た目やある程度接すればその差異に気づくだろう。 でも、同和出身者は普通にしてたら多分気づかない。(ある人によれば言動とかで分かるらしいけど、同和出身者とその他ではどこがどう違うのか私には分からない。服装かな?) つまり。 同和差別は同和問題を知った時から始まる 同和問題さえ知らなければ同和を理由に差別なんて出来ない。 だから。 このさい、同和を無かったことにするっていうのはどう? 同和利権も止めて、同和を理由に差別されてきた歴史を隠蔽。この世の中に「同和地区」なんて存在しない。同和利権に群がる連中なんていない。 同和出身者を特別枠で進学、就職させたりしない。 当然子供達にも人権教育という名のもとに同和教育を行わない。 それを数十年も続けてれば、きっと同和差別は激減しているのではないかと思う。 歴史の中に葬り去り、同和という存在そのものを抹殺する。 今、物凄いたくさんの「アリエネー」というツッコミを聞いたような気が・・・・ああ、ダメですか。そうですか。 大体ね。 差別を無くすなんて言っておきながら、進学、就職に同和枠があったり、何でもないことにでもエセ同和団体がかみついたり、マスコミのハンナン偽装事件への及び腰報道。 同和利権、被差別部落タブー こんなのが依然残っていて「部落差別を無くそう!」なんて言うほうが無理!! 差別無くすのが無理なら、無かったことにしたっていいじゃない。 「同和」という存在が日本の歴史の表舞台から消えれば、それに伴って同和差別も根絶とは行かなくても縮小傾向になりますよ。 そうなっちゃ困る人がいるのかもしれないけど。 それともそれぐらいじゃ、縮小されないほど根深い差別心があるのかな。 まぁ、同和地区と長らく隣接していた地域の人には色んな意味で複雑なのだとは思うが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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