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テーマ:戦争反対(1190)
カテゴリ:その他
◆「そろそろ国連信仰はお捨てになったら」
石原慎太郎知事が27日の都議会本会議で「国連憲章なんてまともに信じてるバカはいませんよ」と答弁した問題で、共産党は28日の一般質問で「国連は第二次世界大戦の痛切な反省にたって設立されたもの。知事の発言は、多くの戦争犠牲者を出した首都東京の代表として許されるものではない」と抗議し、発言の撤回を求めた。 これに対し、石原知事は「国連憲章に何がうたわれていようとですよ。内部が腐敗しきった国連の実態。戦後60年たってなお戦勝国(旧敵国)条項なるものがまかり通っているいびつな仕組み、運営とその実態。そろそろ国連信仰はお捨てになったらいいんじゃないでしょうか」と再反論した。 また、都議会民主党は28日、石原知事の「国連憲章バカ」発言について、「議会の品位と秩序を保つ上でも、知事の慎重な発言を求める」として、議長に対し、都議会の意思として知事に申し入れるよう要請した。生活者ネットも知事の一連の発言に抗議する声明を出した。 http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/tokyo/news/20050929ddlk13010209000c.html >国連は第二次世界大戦の痛切な反省にたって設立されたもの。 ツッコみたい気持ちはあるんですがこれ、いちお~間違ってないんですよね。 「国連をつくろうという考えは、第2次世界大戦(1939~1945年)の惨禍の中で生まれました。この戦争で、数百万人の人々が犠牲となり、さらに数百万人の人々が避難を余儀なくされました。都市は破壊されました。 戦争を終わらせるべく協力していた世界の指導者たちは、平和をもたらし、将来の戦争を防止するような仕組みを作る必要を強く感じていました。指導者たちは、すべての国々が世界的な組織を通じて協力しなければ、これが実現しないことを悟ったのです。そして、この組織となるべきものが国連でした。 」 国連の成立と目的より きっと、設立当時はそう思っていたんでしょう。多分。(個人的には”戦争に行ってきた指導者達は戦争で得た戦勝国という利権を確固たるものにするために戦勝国クラブ(国連)を作りました”という気がするんですけどね・・・) ただ、チベットとかが無視されてますが、国連にとっては些細なことなのです!!多分。 国連で拉致問題を取り上げてもらうのにも凄い苦労しましたよね。 いつぞや、非難決議しようと思ったら半分近く反対してたし(苦笑) まぁその時は採択は何とかされましたが、実効性ないしねぇ。 国連幻想にはこの非難決議のさいの裏話が書かれてありますが。 外務省やEUの見立てでは今回の決議の賛否は当初拮抗(きつこう)しており、採決に持ち込むため「国別に細かい作戦を立てた」(外務省幹部) 具体的な外交努力としてはジュネーブや相手国首都で賛成を働きかけ、「七、八カ国が賛成に回った。普段は反対票を投じる国が棄権に回った」(外交筋)との見方もある。説得の際、ODA見直しに具体的に言及したケースもあるという。 非難決議一つ採択するのに、こんなことまでしなければならないのが、今の国連(人権委員会)の実態です。 そもそも、多くの方が指摘されてるように、国連の人権委員会メンバーの中には自国も人権抑圧や内政不安定などの問題を抱えてるケースも多く、他国を非難すればそれが自分に巡ってきかねないと危惧しているケースもあるそうです。 とくに常任理事国の場合は伝家の宝刀「拒否権」があるのですから。 そんな体たらくですので、チベット問題やチェチェン紛争を国連が収められるわけもありませんね。 最大例は1956年のソ連軍のハンガリー侵攻だといえる。 非スターリン化、自由化を進めたハンガリーの国民は親ソ連当局への反乱を起こし、共産圏離脱までを求めた。だが介入してきたソ連の大軍に鎮圧された。この間、ハンガリー国民代表は国連への訴えをつづけたが、国連はソ連の拒否権で動けなかった。 78年12月にベトナムの大部隊がカンボジアに侵攻し、ポル・ポト派「民主カンボジア」政権を首都プノンペンから撃退し、親ベトナムの新政権を樹立する。「民主カンボ ジア」は国連安保理にベトナム軍撤退の提訴をするが、ソ連の拒否権にあう。79年2月、中国がベトナムへの「懲罰」と称して、大軍をベトナム領内に侵攻させる。このときも国連はなにも行動をとることができなかった。 おまけになんですかこれは。 役立たずもいいところじゃないですかw 日本が侵略されてもきっと国連は助けてくれないでしょう。絶対。 国連っていうのはいざとなったら役立たずになる可能性があります。 政治家の皆さん、国連を信仰するのは止めておいたほうがいいと思いますよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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