母。
本日は通院日なり。朝からバタバタしていたが、更に、母が妹バイト先へ出向き、私の病状を知ったらしくその足で私の好きな花を買い、家に来た。体調を聞いてきたが、ありのまま話す。真面目すぎるねん・・。お母さんは子育て失敗したから、尚のことそれがあって、几帳面な子育てして神経質になって・・。もちろんお母さんのこともあったやろうし、弟のこともあったやろうし・・・。ごめんやで。と。もっと気を抜いたらいいねん。と、ぽろぽろ泣いた。泣かれてもなぁと思いつつ。疎遠になってる母にわずかばかりの感謝の気持ちもあった。私の作るハンドメイドをこよなく愛し、身に持ち、行く先々で娘が作ったと自慢する母。私の好きな花を持ってきてリラックスしなさいと。疲れたときはすぐに電話しなさい。夕飯くらいいつでも作れるんだから!と。何だかへんなことに私は実家で食事をすることはとても甘えてるというか、だらしが無いと家庭を持ってから思うようになってきて。もちろん、養父の家であるのだから、行きづらいのも手伝って。殆どあっちで食事をとったりしたことはない。自立支援法にのっとって、鬱を申請することで市から、助成を認められれば窓口での負担金はなくなる手続きを病院から薦められた。このような病気は長く通院し、さらには仕事が出来ない人も多いので収入が減り、通院できなくなる現状もあり、家族が気が付いたときには死んでしまうか、精神病棟入りなのだという。それを打破するために、この方法が取られ、診断書5000円を病院で払えば、一年は診療代も薬代もいらないのだという。ただ、問題は「障害者」という括りに入ることである。精神障害者であるというお墨付きをもらうのだ。目に見えない人たちと話したり、奇声を発するタイプのいわゆる精神障害の方は手帳が作られるのだが、私のやったものはあくまでも診療代についての助成だと念を押され何も弊害もないし、公務員も手続きしてる人多いですといわれた。何ゆえ引き合いに公務員よ?とひとりで笑ったが、とにかくかるい障害者であるのだろうか?一連の書類を母に見せたら、また泣いた。母も視聴覚障害者であるのだが、それを申請するときとても躊躇したのだ。障害者になりたくない。健常者だと。私はそのころは手帳を貰うことで有益になることが多いのだからと薦めたが、今となっては母の戸惑いもわからないでもない。が、どこかしらこんな病気なのにタフな私はすんなりと申請し、本日の診療代も、薬代もなかった。薬がカラダにあってるようなので、2週間分が出せる限界だそうで。仕方が無いので、2週間分フルに貰った。そんなに時間は割けないのだ私のためには。