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2011年12月07日
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ルビーが来たれど山河あり(2)

初めて家族に笑いを起こしたルビーはだんだん慣れて行った

反面 どうしても苦手な物があった

それは、ゆっくりノロノロ スリッパを引こづる様に歩く父と

ドスンドスンと歩く体の大きな息子

今までルビーの周りに存在しなかった面子だ

主人と私、娘に呼ばれると飛んで行き寝る時は横にくっついて寝る

父と息子が呼ぶと…飛んで逃げた。

息子は癪に障るのか わざと追いかけまわすのでよけい逃げた

仮住まいは2軒長屋の平屋建て 呼び鈴も付いてなかった

それでも 家族一緒に住めれば充分

ルビーは 日に日に家族の足音を覚え 

誰かが帰宅してくると教えてくれるようになった

家族に対してと来客に対しては吠え方が違うのだ

家族に対してはワンワンと教えるように吠える

来客にはウ~ワンワンワンと唸りが入る

おかげで誰かが戸をノックする前に気付けたし 

良からぬ事が起こる前に身がまえる事は出来た。

大体は郵便屋さんや学校関係・消防署の人達だったが(ごめんなさい)

 

日が飛ぶように過ぎても しなければならない事は山積

災害後の1カ月が一番苦しかった

葬式・取り壊しに主人の一か月の収入の20倍の費用

一か月を迎える頃には 生活費もそこを突く

銀行には毎月分しか入れておらず 

一か月分の生活費を引き出したばかりの火事で灰になってしまった

貯蓄してある郵便局は 手続き書類を出して2週間 

これで自由に引き出しが出来ると思ったら 

通帳が再発行されるまで更に2週間

使い物にならない

どうやって食べて行こうか はたして子供達が耐えられるのか

途方に暮れる中 私の中学時代の同窓生から援助金が届けられた

涙があふれ出た

もう二度と泣かないと決めていたのに 涙は止まらなかった

そうやってどうにか一か月を乗り切る事ができ 家の建て直しに入れた

父は 母が逝った土地で 母を供養しながら余生を過ごしたい

私は違う土地に住みたかった あまりにも辛すぎたから

子供達のトラウマも考えたらよけいそうしたかった

息子はまだ母の位牌に手を合わせる事が出来なかった

娘は クラスの男の子に 

『家が無くなったから こんな酷いところに住んでるのかよ』

仲良しの女の子には 

『援助金一万円出したんだから 感謝してよね!』 など言われ

一万円は多すぎるので慌ててお宅に御礼の電話を入れたら 嘘だった

心の傷を広げていった

家族で話し合った結果 

父の気持ちを優先して同じ場所に建て直す事にした

しかし、主人は外国人 

その当時の日本で外国人がローンを組むには

入国管理局で審査を受けなければならなかった

その結果が届くのに 三か月待たなければならない

仕事が混んでいるからだそうだ

管理局から許可が下り次第着工出来るように 

同時進行で設計も進めていた

しかし、予定の時が来ても管理局から連絡が無い

電話を入れてみると

まだ仕事が混んでいるので更に3ヶ月待ってくれとの返事

父の具合と、冬の家の中の寒さを考えると

一刻も早く立て直さなければならなかった

父はがんを患い 手術で無事摘出したが 抗がん剤を飲んでいた

その副作用で

心臓に異常が出て来ていて 何度か救急車で運ばれている

目も緑内障が進行していた。飲んでいる薬の量はすごい

このままでは次は父が持っていかれる 

必死だった。黙って引き下がれるわけがなかった。話し合いを続けた。

数週間後やっと許可が出た

それからは毎日 建設の打ち合わせの連続だった。

まさに時間との戦いだった。

どうにか父を子供達を冬の前に新しい家に住まわせたかった

学校生活がエンジョイできる生活環境でも無かったからだ

家を留守にする事が多くなり ルビーに困った症状が出始めた

 

 

 






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最終更新日  2011年12月12日 06時26分21秒
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