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夜行列車でイタリアへ独身生活最後の両親とのイタリア旅行 当時 フランス・べルシ―駅を起点とする 国際夜行列車 アルテシアナイトに乗って パリを出発 フランス・パリからスイスを経由しイタリアへ フィレンツェ・ローマ 又は ミラノ・ヴェネツィアを結ぶ ソファーに座って 車窓からどんどん変化する風景を楽しんだり ベットに寝転がって ゆっくりくつろいだり 部屋を出ると長い廊下がありラウンジへ行ったりと列車の旅を満喫 朝食は個室へのサービスを利用 車掌さんが凄く親切でした パスポートのチェックは勿論列車の中で
出発前のべルシ―駅 チョッと通りすがりに一枚 この方知らない人で~す。 今の列車はもっとかっこいいですよ 余談ですが 日本の新幹線の個室 ペットをゲージから出すのOKでした。 フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェック駅に到着 ザ・ウエスタン・エクセルシオ・フローレンスホテルへ 7世紀の伝統を誇るホテル 家具も雰囲気もイタリア~ ホテルの窓から眺めた アルノ川やトスカーナの街の風景 川べを散策しながらシニョ―リア広場へ シニョ―リア広場 Piazza della Signoria は ベッキオ宮殿前の広場で今も市の政治的中心地 周りに歴史的建造物が並んでいて ローマ都市だった頃のフォルム しゃれたカフェが軒を連ね 勿論ここで昼食・・・の前に観光をせねば 広場を見渡すと まず目に飛び込んでくるのは ゴシック様式の ヴェッキオ宮殿 正面 ミケランジェロのダビデ像のレプリカ(左)とヘラクレスとカークス像(右)
ヴェキオ宮殿に並ぶのがウフィツィ美術館 ジャンボローニャ作 『サビニの女たちの略奪』 あらゆる角度からの鑑賞に耐える上に向かう蛇のような螺旋状の動きを持った作品を目指 ヨーロッパ史上3人以上の群像はこの作品が最初のもの 右側にあるアーケードを持つ ランツイのロッジア(回廊) Loggia dei Lanzi 14世紀後半(1376~82)に建設され アーチはコリント式柱頭のある束ね付柱で支えられている。後、ウフィツィ美術館ができたあとベルナルド・ブオンタレンティが屋根をテラスに改造。メディチ家の王子たちが広場で行われる式典等を観覧する場所とした。重たいヴェッキオ宮とは好対照。ルネサンス美術の野外彫刻展示場
宮殿左にあるのが1575年バルトロメオ・アンマンナーティ作の『ネプチューンの噴水』白の巨人と呼ばれるネプチューンはローマ神話の海の神様。足元にマニエリズム様式の群像を配している その左側に『大公コジモ1世(コジモ・デ・メディチ)の騎馬像』 フィレンツェはトスカーナの中心都市、後フィレンツェ共和国の首都 メディチ家は金融業で有力になり 下層階級と手を結ぶことで共和国の真の支配者となるのです。 フィレンツェのフローリン金貨は全欧州の貿易の基準通貨となり商業は世界を支配します。ルネサンス芸術が15世紀大きく開花しボッティチェリ レオナルド・ダ・ヴィンチ ミケランジェロ ラファエロなどの巨匠を輩出。1569年には教皇よりトスカーナ大公の称号がメディチ家に授与されました。1737年にメディチ家の後継者が途絶えメディチ家の支配は終焉 このトスカーナ大公国を継承したのがオーストリアのハプスブルグ家皆さんよくご存知のルイ16世の王妃 マリー・アントワネットの実家 なのです。このマリー・アントワネットがフランスに婚姻する時、デンマークのパン職人も同行。デニッシュ・ペストリーの生地のパン、クロワッサンとコーヒー(カプチーノ)が、またメディチ家によってフォークとスプーン等の食器や料理がフランスに伝えられたのです。ちなみに、アントワネットが処刑された時(1760年当時)のトスカーナ大公国を所有していたのはアントワネットの父フランツ1世でした 1860年にイタリア王国に合併され1865年首都となるも1871年首都はローマに移された 観光用の馬車
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