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昨日は母の日でした。 皆さんお母様達は沢山嬉しいことがありましたか~。 我が家はまだまだプレゼントの楽しみはないので、家族で映画を鑑に行ってきました。 その名も テルマエ・ロマエ。ローマが題材の漫画を映画化。面白かったです。 ローマ帝国 フォロ・ロマーノの世界でした。 好天にも恵まれ気持ち良く、お出かけ日和でしたね。もうすぐ金環日食でもあります。 で、今回がローマ散策 最後です。長々お付き合いくださりありがとうございました。 最後までよろしくで~す。 夜行列車の旅(6) ローマ(5) 2000年前から脱出。次に目指すはサンタ・マリア・イン・コスメディン教会。6世紀に創建され、8世紀、ローマ教皇バトリアヌス1世により拡張。12世紀にロマネスク様式の7層の鐘楼が建てられた。『真実の口』がある所と言ったほうがすぐに分かってもらえるかも。そう、『ローマの休日』ですね。オードリー・ヘップバーンが可愛かったです。 「真実の口」は、入口柱廊部の左奥に飾られており、1632年に外壁からほじくり出されたこの円形の石盤。かつては海神トリトンか川の神を彫り込んだ井戸又は下水道の蓋だったものを、教会建築時に石材として使ったのではと言われてはいる。それを説教で戒めの道具として利用したために:ローマの休日の映画では、ウソをつく人間がこの口に手を入れると抜けないという伝説をグレゴリーペックとオードリー・ヘップバーンがユーモアたっぷりに使ったために、一躍、ローマの一大観光スポットとなったのです。 このあたりはローマ時代、幹線道やテヴェレ川の水運を利用した市場として栄えた場所。その中心だったボッカ・デラ・ヴェリタ広場(真実の口広場)には、ローマでは最も古いヘラクレスに捧げられた円形神殿・ヴェスタ神殿が残っている。
さて、同じく『ローマの休日』で有名になった場所。スペイン広場です。何故スペイン広場って呼ぶのか。それはかつて隣にスペイン大使館があったからだって。 階段頂上?にあるのがトリニタ・ディ・モンティ教会。16世紀初頭から100年かけて完成。カトリック巡礼地の一つで前にあるオベリスクは法王ピウス6世が建てたもの。 何故階段が多いのかって?それはここはかつて崖の上だったそうで、これでは大変だろうと137段の階段ができたらしいです。皆さんスペイン階段と呼んでいて、今ではベンチ替わり。でも飲食禁止で~す。汚れてしょうがないのですって。 最後に モーゼ像 で有名な教会 サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会。 この教会は5世紀に西ローマ帝国皇帝ヴァレンティアヌス3世の妻(東ローマ帝国皇帝テオドシウス2世と皇妃エウドチア・アウグスタの娘)であるエウドッシア・リチニアによって創設され15世紀に再建されたものです。 聖ピエロがエルサレムのマメルティーノの獄中につながれていた時の鎖を皇妃エウドチアがエルサレムへの旅の途中で信者からもらい受け、ローマにいる娘のエウドッシアへと送り、これを教皇レオ1世に献上したのです。1500年以上前の古い鎖。この伝説の鎖は今も主祭壇の下に納められ、毎年8月1日に信者に開帳されているのです。
ミケランジェロの「モーゼ像」。1505年に法王ユリウス2世から依頼された時の法王ユリウス2世の廟墓は当初もっと壮大なプランでしたが、その途中で当の法王はサン・ピエトロ大聖堂の再建の方に興味が移り、結果的には墓全体としての計画は頓挫。実際に完成していたのは、依頼を受けてから8年後、このモーゼ像と2体の奴隷像のみで奴隷像はフィレンツェのアッカデミア美術館とパリのルーブル美術館にあります。 モーゼは偶像崇拝するイスラエルの民に激しく怒り、持っていた石板を投げつけて偶像を砕いた、と言われています。
これで訪問箇所は終了です。 ロマーノを出たときはお昼時。見学が終わり次の散策先に向かって歩いているとき、可愛い男の子が寄ってきました。首から胸に画板を広げてかけてます。年は5~6歳頃でしょうか。私の前に立ち、画板の上の紙を見せて『どれかを選べ』と言っています。どうも何やらメニューが書いてあるようす。でも、いらないので人さし指を立てて左右に振りました。でも、強引に画板を押し付けてきます。 眉根が曇りました。友人が新婚旅行で私より少し先にここローマにも来たのですが。子供が寄ってきたら要注意。と聞いていたのです。そう、スリなんですよ。画板を押し付けて、下から手を伸ばしポシェットやカバンから財布やパスポートを取るのです。友人はその被害にあったのです。その時は『画板を上から思い切り叩くように。』と、現地警察から教わったようです。かわいそうでしたが、そうしました。その子はびっくりして逃げていきました。 まさか、私も同じ思いをするとは思いませんでした。あんな子供が・・・。ショックですよね。気が抜けないところだな~とその時は思いました。 でもね、帰りはフランスに戻るのでレオナルド・ダ・ヴィンチ空港までタクシーで行ったのです。時間があるかと運転手さんに聞かれ・・・返事にきゅうしてました。2度も続くと警戒心バンバン。そうしたら、運転手さん、さっさと遠回りしてあるお家にたどり着いたのです。車を降りて、その家の塀に空いた穴から中を覗けというのです。アハハ~勘弁~。いくらなんでも・・・と思っていたら、腕を引っ張ります。とうとう覗きをする羽目に。外国まで来てなんで~~~。ですよね。 ところが、覗いてビツクリ。素敵な庭園が広がってました。花が咲き乱れ、石膏像が置かれ、様々な木が植えられてました。 最後に素敵な風景を見て機中の家族へ~。この数ヶ月後、私は日本へ帰国しました。 なんで~~?それはね結婚準備のためで~す ティティは? ティティは、主人が引き取ってくれたのです。日本に連れて帰りたかったのですが、母が喘息だったので猫はダメでした。泣く泣く諦めて・・・シャルルドゴールから飛び立ったのです。絶対また会える。少しの間我慢してね。待っててね。と、固く固く約束したのでした。 え~~フランスは?パリは?まだ見てないよ~って? そうですね~。次から、載せま~す。フランスでの結婚式からで~す 我が家の庭のツルアイスバーグの最初の一花が大きく開きました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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