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国際結婚ってなんだろう国際結婚です。って言うと、よく凄い~とか、様々な驚く反応が返ってくる。 国際結婚って本当にすごいの?って、思うのです。 結婚って、その時は一生懸命で、『愛あればこそ~~』ってどんどん突き進むって感じ。 でも、家族同士の結びつきで、二人さえ良ければそれで良いってものではないって 結婚を決意する前に突きつけられ思い知らされるのが国際結婚って気がするのです。 結婚を考えた時、まず思ったのが『どちらの国に住むのか。』 私はパリに留学中だったし、私がフランスに住む方が何も問題無い。 相手も仕事を続けられるし、フランスでの生活にも慣れ フランス語もどうにか生活には問題がない感じになっている。 では、両親とは・・・遠くに離れてしまう。一生離れてしまうのか?本当にそれでいいのか? 自問自答の日々が続く。いきなり突きつけられる究極の選択。お前はどちらを選ぶのか。 家族との楽しかった日々が脳裏を過ぎる。そうなると涙が止まらなくなるのです 両親に何か起きてもすぐに飛んで行ける距離ではないし、子供が生まれたら・・・? 主人の両親は私がフランスへ来るものと決めていたし、 私の両親も、私がフランスへ行ってしまうと思っていた。 私が結婚を決意し母に伝えた夜、父が仕事を終え帰宅したら 母は部屋に電気もつけづ泣いていたそうです 『とにかく日本へ帰ってこい。話はそれからだ。』と、父からの電話。 急遽帰国が決まり、フランスを発つ時、ティティを主人に預けゲートでお別れ。 『絶対日本に行くから。待っててくれ。』それが彼からの言葉でした なのに機中でも何故かポロポロ涙が流れ止まらない。自分でも呆れるくらい。 つまり、どちらと別れるのも辛い 帰国したら、両親は静かだった。彼が日本に来ることは伝えてあった。 果たして、彼は本当に結婚を申込みに日本まで来るのか。 両親が来いと言い出したことではないのですが、彼が来る日が、両親と私にとっては けじめとなる日、節目となる日には違いなかったのです。 彼が日本に来るにはもう一つ理由が。 フランスで日本へ帰国直前、異様な腹痛を起こし、私が入院したのです。 早刻手術を勧められたのですが、薬で押さえて日本で手術する方を選んだ為 どこの病院で手術するのか、『担当医に会い話を聞きたい』と彼は言ってました。
数ヶ月後、彼が日本に来た時、『もう、反対する理由もない。』と、両親は折れた。 医師にも会い、日光東照宮や皇居を散策し、彼は帰国 それからはお互いの国で別々に結婚準備の日々の始まり。 一緒に行動することはありえない。電話でやりとりするのみ 私は、まずは無事手術を終え、体調を元に戻すことからでした。 また、フランスではウエディングドレスのレンタルはないし 子供の頃より自分で作ると決めてもいたので、母とドレスの生地を探しに新宿へ。 フランスへの結婚の引き出物をどうするか。勿論フランスではそんなものは必要ない。 祝ってもらうのだから、お返しなんかない。だから、記念品を手作りすることに。 日本人なのかな~。気持ちの問題ですね。荷物の搬送は少しづつ郵便で送ることに。 フランス大使館へビザの申請にもいかなくてはならない。 毎日が飛ぶように過ぎていきました。 彼は市役所や教会や式場の手配。 プレゼントに欲しいものの書き出し(リスト ドゥ マリアージュ)。 車の手配。招待状の作成。写真館の手配。新居の準備。 今のようにメールだのネット等ない世界。 お互いを信じ任せることで事が進んでいきました そうやって、出来上がったウエディングドレス 幸せになるためのサムシング フォー? オールドは母からプレゼントされたネックレス。ニューはレースの手袋。 バローは彼のいとこから髪留め。ブルーは衣装の中にビーズで縫い込んで
そして、後ろにある花嫁人形は母の友人が作ってくれたもの。その友人が私のお師匠さんになってくれて、木目込み人形を教えてもらったのです
フランスのお義母さんのために作った木目込み人形 『佳き日』 親戚にプレゼントした木目込み人形 『手鞠』 ひと針ひと針自分のドレスを縫いながら気持ちの整理がだんだん出来ていきました。 思いのありったけを込めて縫い、最後の一針を母に縫いこんでもらいました。 それらすべてをスーツケースに詰めて。 両親と共に日本から飛び立ったのが帰国してから8ヶ月後のことでした。
フランスに降り立って荷物を置くやいなや、やらなければいけないことが山積。 一番気になったのがティティ。ティティは、彼と住んでいる間日中は一人ぼっち。 それが面白くなかったのか、カーテンは引きちぎり、壁紙ははがしまくりと 部屋をボロボロに結局、いつも家にいる彼のおばぁ様に預けられてしまった。 自由に外を歩き回り、寝る場所も自分で選んで何とうさぎ小屋に住んでいた そのためか、久しぶりのご対面もどこにいるのやら。やっと会えた時の彼の姿は・・・ ほぼ野良猫同然。野性味あふれ、人を怖がったり警戒することは無くても 子供の時のティティの面影は消えていた。切なくなって思わず抱きしめても反応が 犬とは違うので、覚えていてくれているのかもわからなかった
式の準備が始まって、教会を見に行き、新婦様とお話。 結婚することの意志と宗派などを聞かれたのですが 私は幼稚園がミッションスクールだったので問題なし 彼のおばぁ様が歩行困難に近かったのと、そこから市役所も近かったので おばぁ様の家の近くの教会で式を挙げることに。喜んで承諾 リスト ドゥ マリアージュでいただいたものを見せてもらい、新居になるところへ 銀食器も含まれていて流石にフランスだな~と感激どれも可愛くて素敵なものばかり コーヒーミル等の電気器具、電話台等家具類もあり、すぐにも生活ができる状態。 両家の両親と共に彼の田舎のあちこちを訪問。親戚からのお食事への招待。 そうして迎えた式当日。 朝8時から美容院へ。髪のセットだけやってくれるのです。 帰宅して母の着物の着付けをし終え自分の準備。化粧をしてドレスを着て・・・ 髪飾りをつける頃、物を取りに家の中を右往左往していると、それに合わせるように 彼も私が見えない所へ右往左往。 『何やってんの~?隠れんぼ~?』 んなわけないでしょう、この忙しい時に。と半信半疑で尋ねると、 『新郎は新婦さんの準備が出来上がるまで見てはいけないのよ』 と、お義母さん。見ちゃったら幸せになれないんですって。 準備終了。彼とご対面。顔を真っ赤にした彼からブーケのプレゼント。 フランスではブーケは新郎が準備するのですって。その中の一輪を新郎の胸に。 用意されてる新郎新婦の車へは、まずは新婦と両親が乗るのです。 よくある車の後ろにたくさんの缶はついてません。ミラーやボンネットがリボンで飾られ 後ろの席には大きな花束が置かれてる。素敵な車。 その車を先頭に市役所までクラクションを鳴らしまくりゆっくり進むのです。 立ち並ぶ家の窓や道行く人々が手を振ってくださり、こちらも窓から手を振って・・・。 ん?どこかで見たような風景。そうです、皇太子の結婚式みたい。 市役所では、市長の前で結婚の宣誓式が行われます 新郎新婦・二人の保証人が同席し、親族・友人も列席します そして、ここで婚姻届にサインをするのです その時、保証人もサインをします。私の保証人は、一緒に留学し帰国せずフランスで勉強を続けていた友人にお願いしました。二人も列席してくれたのです。そして凄いサプライズが。何と、私が名誉市民に選ばれ、メダルまでいただいたのです。その名誉にサインをするノートがあり、日本語で一言添えて欲しいと頼まれ、私と両親で記入しました。 婚姻届にサインをすると、フランスでは家族手帳をいただけます。その中には新郎新婦の出生地。婚姻日。生まれた子供たちの名前を記入するページもあり、滞在許可証・健康保健証の習得にも必要になる大事な手帳です。 家族手帳といただいたメダルです 婚姻届けにサインをしてから教会へ 一番前を新婦と新婦の父が。続いて新郎の父と新婦の母が。親族・友人と続き最後を新郎と新郎の母が締めくくり進みますちょっと、写真は順番がちがっちゃってますが。(次回へ続くで~す。文字数がキテイオーバーしそう。すいませ~ん)
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