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です。 う~~~ん、更新しようと思っていたら、急な事になったからですね。 いやいや、なんにもなくっても、最近こんなペースの気がします。 グスン。 さて、もう、お気づきの方も、おられるかと思いますが、とっても残念なことに なりました。 去年の12月、満で100歳になって安部総理からのお祝いも頂いた 新潟の祖母が、永眠しました。 あと、1か月頑張れれば、待望の内孫の顔も、 見られたかと思うのですが、本当に残念でなりません。 ですが、たいした病気もせず、最後も長く苦しんだりもせず、きれいな顔をして いました。 肌もきれいで、柔らかで、私は何度も頬を触っていました。 昔から、地味ながらもお洒落で、いつも真白な長い髪に、油をつけて髪を結って いました。 5年前に、寝たきりになってからは、手間をかけてはと髪を切ったの ですが、それがとても残念だったようです。 小さい頃、田舎に帰ったら、いつも手作りの笹で巻いたヨモギ餅とかを、作って 待ってくれていました。 弟は、暫く田舎に預けられてしましたから、毎日、 おばあちゃんの手作りのおやつが、学校から帰ったら用意してあったようです。 100歳まで、ぼけもせず、去年結婚式に帰ったときには、久し振りに会って、それ も、かなり豹変してしまった私を見ても、ちゃんと名前を呼んでくれました。 家のそばで、一緒にみょうが取りをしたこと、私や弟が誕生の際、電車に酔うのに、 新潟から大阪まで、きてくれたこと、万博にも来てくれました。 懐かしい思い出です。 おばあちゃん、本当にありがとう!! 金曜の朝、5時に家をでて、新潟に帰ってきました。 でも、母方の祖母ですが、お葬式に出てもらう為に、父方の叔母達にも、会う事が、 出来ました。 迎えに行き、新しいお家を見せてもらったりと、短時間ではありま したが、元気な顔が見られたのは、嬉しかったです。 敬老の日には、弟の名前で、毎年、いろんなものを贈ってしましたが、これも、あと 何年出来るのだろうかと、毎年思っていました。でも、100歳のお祝いが出来ました。 これは、感謝しないといけないですよね。 そして、そして・・・・ おばあちゃんが、こんなに長生きできたのは、同居していた息子の嫁のおかげです。 おばさんが、頑張ってくれなかったら、100歳まで頑張れなかったでしょう。 和子おばさん、本当にありがとうございました。 あまり、私自身、最近体調がよくないですが、なんとか帰ってこれました。 小さな弟を、かばってくれていたおばあちゃんに、お礼が言えました。 ですが、最後に、私はとっても厚かましいお願をしました。 実は、おばあちゃんにと、丹波の黒豆のお菓子を持っていったのですが、余分に、 持って行った大阪土産のみたらし小餅と、奈良のお土産のお菓子を、うちの両親に、 持って行って欲しいと、預けたのです。 立っているものは、親でも使えとは 言いますが、こんな例は、あんまりないのではないでしょうかね~? 自分でも、超・厚かましいとは思いましたが、おばあちゃんが、届けて くれて、みんなで食べてくれたら、とっても有難いなと思いました。 きっときっと、そうなっていますように~。 明日は、1日ですので、早起き出来たら、三輪さんに行ってきます。 だったら、早起きできるように、早く寝ないといけないですよね~。 なので、話は他にもありましたが、今日は、これで失礼させていただきますね! 今日も、ありがとうございました。 おやすみなさいませ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.06.30 22:28:26
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