カテゴリ:●ニャンズ
今回は、少しだけ??自分とニャンコの関係を書いてみます。 今の仕事は平成元年2月7日に独立。 独立以前から借金2.000万円以上(保証人)を抱えていたので 会社勤時代から給料も差し押さえられていました。 その為に「離婚」もしています。 朝6時から深夜2時までタクシーに乗って… 2日に1度の休みには朝6時からニッカポッカの仕事をしてました。 働いても働いても借金は減らず、 当時はサラ金規制法も無かったので想像を絶する24時間の激しい取立。 自分の借金でも無いのに…。 何度・死のうと思ったかも知れません。 それでも、そんな悔しさをバネにして僅かのお金を貯め(50万円)民家の1階部分を借り、 リサイクルショップから8.000円の机を買って、 今の仕事、デザインスタジオ・マゼンタを立ち上げました。 元々、好きな仕事でしたから、それはそれは気が狂ったように仕事をしました。 土曜・日曜関係無く、睡眠時間も1~2時間。若い時は自衛隊の経験も有るので? 机や椅子に寝るのは難も無い事でした。 借金も独立10年で完済する事が出来ました。 それらと平行して現在のテナント(引越し)は4軒目です。 最初の所は6年位だったかな? 大家の遊び癖が原因で家・土地が人手に渡ったので仕方なく引越しました。 丁度、従業員も増えて手狭だったし良かったのかもしれません。 ビルの4階、15坪・ベランダ12畳に移りました。 それまで、私の趣味「魚釣り」の他に熱帯魚もやってました。 8基の水槽に、ディスカス~レッドテールキャット(アマゾンの鯰)等、何十種類。 その熱帯魚を養う為の行き付けショップの2階は、犬専用のペットショップでした。 やがてペットショップからの仲介で1匹のニャンコを貰いました。 小学2年生位と4歳位の2人の子が、 「お父さんの転勤で飼えなくなりました可愛がって下さい」と言われて預かりました。 同封された手紙には、病歴・薬・好きな食べ物・名前…色々書いてありました。 名前は「キキ」。 当時の宮崎映画「魔女の宅急便」から取ってつけた名前とは容易に想像が出来ます。 実は、このニャンコは私が飼う為では無く、 実家の田舎で「ネズミ捕り」の為に、婆さん(母親)に頼まれたので仕方なく店に頼んでいたんです。 当然、預かったニャンコには何の「情」も無かったので実家に置いてきました。 1週間後・・・ ニャンコの仕事振りを見に、実家へ寄ったら、、、外のダンボールに入れられてました。 婆さん曰く「毛が長すぎてイヤだ」、なんとワガママなババァ(しつこいですが、母親)なんだ!? 「あんた・そりゃ~無いだろうが!!」。小さい女の子達と約束した手前、このままじゃいけない! 仕方なく、当時・移転して1週間の新事務所に連れて帰り、 仕事場の『マスコット猫』として極めて「軽い気持ち」で飼う決心をしました。 こうやって、最初のニャンコ「キキ」との生活?仕事?が始まりましたが・・・・ ところがナント、事務所に連れて来たその日の夕方、 キキはビルの4階ベランダから飛び降りて居なくなってしまいました。 連れて来たのはお昼。 居ないのに気付いたのは夜。 ビルの前は激しく車が行き交う道路・・・。 どうしよう…どうしよう…。 つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年11月19日 00時33分20秒
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