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朝ドラの「らんまん」を楽しく見ている。長田育恵作、神木隆之介、浜辺美波、志尊淳他の出演。 先週、ちょっと面白い部分があったので、紹介とコメントをしてみたい。 高藤なる人物が、浜辺美波演じる西村 寿恵子を見初め、来年開館する鹿鳴館のためのダンス指導者(ついでに妾)としようとする。レッスンは順調に進み、エリートたちが夫人を伴って会した場所で、お披露目が行われる。 高藤曰く。 「鹿鳴館は外国人に我が国が文明国であることを認めさせることが第一義、そのためにはダンスが必ずや必要となるものです。」 そして寿恵子と踊り終えた後で、 「どうです。鹿鳴館は目的ではなくただの手段です。我が国を認めさせ、屈辱の不平等条約を撤廃し、今度は我が国が他国へ出ていく。西洋諸国がそうしたように。」
「ダンスはただの手段だ」と始まった鹿鳴館でのダンスパーティーは、ほどなくして「目的」となる。要するに、明治のエリートたちは、ダンスの楽しさに目覚めてしまったわけだ。ダンスというのは、女を抱いて踊るという事だが、西洋人も中々粋なことをやってくれる、というセリフが少し前の回でささやかれていたと記憶している。 ジョルジュ・ビゴーの風刺画に、ドレスと燕尾服に身をかためた男女が鏡の前に立っている、という作品がある。鏡の中にはドレスと燕尾服を着たサルが写っている・・、というオチがつく。 形から入る。ダンスを楽しみ、パーティーには必ず夫人同伴・・というのが文明国と彼らは認識していたようで、まさに「猿真似」。
高藤曰く。 「この場にいる我らこそ民草を導いていくのです。日本は一等国となるのです。」
「民草」。このような言葉が発せられる以前の幕末の事。吉田松陰は、「草莽崛起(そうもうくっき)」という言葉を使っている。「草莽崛起」とは、在野の志ある人々が大義のために一斉に立ち上がることを意味する言葉である(wiki)。 松陰は、「民草」などという言葉を使ってはいない。万太郎のモデルとなった牧野富太郎は、「名もなき花、雑草などというものはありません。すべての草花は名を持ち、立派に生きています」と述べているが、その言葉と正反対なのが「民草」という言葉のようだ。
高藤が、寿恵子に、「あなたは変わらねばならない」と言い、「あなたと私は対等のパートナーだ」と言ったのに対して、「なぜ私は変わらねばならないのですか。私は菓子屋の娘ですが、両親のことを恥じたことはありません」と告げる。そしてダンスを教わったクララに対して、「心のままに生きることの大切さを教えていただきました。私には好きな人がいるんです」と語り、会場を後にする。 寿恵子を追おうとする高藤に対して彼の妻は「みっともない!」と言い、「男と女が対等だとあなたはおっしゃいましたが、あなたはすぐそばにいる女が目に入っていない」「この国の行く末を描くのに女の考えは聞こうともしない」と告げ、会場を去る。
鹿鳴館は、1883(明治16)年、外務卿井上馨によって「欧化政策」の一環として建設されている。今から140年前。 「この国の行く末を描くのに女の考えは聞こうともしない」という高藤の妻の言葉は、果たして明治初期を象徴する言葉なのか? 国会を牛耳る面々。政党内部でのセクハラ、パワハラの多発。立派に今でも残念なことに通用する言葉ではないか。 様々な面で日本が「一等国」から滑り落ちた現状を見るに、ただ単に「男である」という点にのみしがみついてその「特権」を手放さない男たちの責任の大きさに思いが及ぶのは私だけだろうか。
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