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5歳の時から日本で生活しているウクライナ人女性が、ミス日本コンテストにエントリーしたという。 彼女の言い分は、https://coolpan.net/current-affairs/former-ukrainian-man-karina-shiino-has-been-in-japan-for-the-miss-japan-contest-2024/ で検索できる。 私は、そもそも「ミス・コン」というシロモノがいまだにあるという事はどうなのかという疑問を持っているのだが、それは今は触れない。 「日本人」の一番簡単な規定は、「日本国籍を所有するもの」であると思うのだが、彼女は日本国籍を取得している。その点で全く問題はない。「日本語で考え、日本語をしゃべり、日本の文化が大好きで」という彼女は「内面は日本人」という事になる。 もしも「彼女はミス日本としてふさわしくない」というのであれば、選考規定の中に例えば「両親ともに「日本人」であること」と付け加えねばならない。さらに、「純粋の」日本人という一言を付け加えねばならなくなるだろう。これはおそらく、「純粋」という言葉を巡って問題となるだろう。 性自認と同じく、「民族自認」という問題は、日本以外の多民族国家では結構問題になってきたと思う。「ナショナリズム」の洗礼を受けた、あるいはその段階を通過した国々では「私は〇〇人である、ない」を巡って凄惨な殺し合いにいたった例も多い。ウクライナとロシア、アゼルバイジャンとアルメニアのような現在進行形の場合もある。 ふと考えれば、日本のプロ野球でよく使われる「助っ人外国人」という言葉、MLBで、大谷は決して「助っ人外国人」とは呼ばれない。 長い間、移民に対して寛容ではなかった日本の将来を考えるに、宗教的、日常生活での価値観の違いとどう向き合っていくのか。日本各地で重ねられている取り組みをもっともっと広く知らせる必要があるのではないか。 「郷に入らば郷に従え」ではすでにカタがつかない段階にまで来ていると思うのだが。
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Last updated
2023.09.24 12:26:29
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